エホバの証人親の子どもへの教育、すべて無意味な理由

すべてが無に帰するエホバの証人の親子関係

エホバの証人2世に”ふさわしい”遊びとは

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。両親は狂信的な信者で、私は厳格にエホバの証人の教理を適用されて育てられた。

「ちょっと外に遊びに行きたい」と言っても、「今日はエホバの証人の集会があるからダメ」と制止される。一緒に遊ぶ友達がエホバの証人でない場合は、両親は良い顔をしない。エホバの証人の基準で”ふさわしくない”とされた場所や遊びもNG。

このふさわしい、ふさわしくないは、一応エホバの証人の基準を前提にしているのだが、親の主観が多いに入る。

エホバの証人の子どもは”模範的”でなければならないとされている。エホバの証人の規範だけでなく、世間的に見てもお利口でなければならない。

エホバの証人は、信者でない人々を”この世の人々”と呼んで、見下している。その”この世”の規範にすら外れているなんてことは、エホバの証人的には有り得ない。

エホバの証人の子どもは、エホバの証人基準を建前にした親の主観や、一般的な基準を圧倒的に引き上げたレベルで自由を制限される。それがエホバの証人の子どもにとっての、”ふさわしい”こととなる。

全てが無に帰するエホバの証人の親の教育

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エホバの証人の長老が暴力を振るう、3つの原因とは?

エホバの証人の長老が暴力的になる理由とは?

エホバの証人の長老の暴力

私はほとんど生まれながらにしてエホバの証人2世だった。両親とも狂信的なエホバの証人で、子どもの頃から、ものみの塔の教理を厳格に押し付けられて成長した。

さらに、私の父は、エホバの証人の会衆の長老だった。

会衆とはエホバの証人のコミュニティ単位のことで成員100名程度。長老はその中から数人が任命される。エホバの証人の支店長のようなモノ。私の父は、その長老の中でも「主宰監督」と言われる、会衆の責任者だった。

私は、その父に何度か物を投げつけられたことがあった。小学生の高学年から中学生2年生の間、私がエホバの証人をやめる頃の話。

エホバの証人の懲らしめと呼ばれる体罰は、ケガをしないようにお尻をベルトや素手で叩く。これは組織推奨の教育手段。組織的にこんな児童虐待が行われているだけでも、エホバの証人は異常。

しかし、私の父はもっと常軌を逸していた。子どもの私に対して固い本や食器を投げつけてくるのだった。

まさか、本当にぶつけようとして投げてきたわけではないとは思う。だが、私の顔の真横をかすめた固い物体が、部屋の壁に大きな穴を開けたことがあった。私が避けずにいれば、ケガは免れなかった。

エホバの証人の長老が暴力を振るう原因3つ

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エホバの証人が見ることを許されないテレビ、その理由とは?

TV禁止のエホバの証人

エホバの証人2世の育つ毒家庭

私は生まれながらのエホバの証人2世だった。両親ともにエホバの証人という毒家庭で成長した。

1980~90年代、学校の友人の家にはたいていテレビゲームがあったのだが、私の家にはなかった。貧乏とかではなく、わが家がエホバの証人だったから。

エホバの証人は各家庭によって、ものみの塔の教理に対する厳格さや忠誠度が異なる。このため、中にはテレビゲームが許されているエホバの証人2世の子どもがいた。私にとっては、うらやましい限り。

私の家にはテレビすら置かれない時期もあった。両親は、テレビから流れる情報のほとんどは悪魔サタンが流している有害な情報だと信じていた。両親は、それほどに深いマインドコントロール状態にあった。

とはいえ、テレビが置いてあった時期もあった。しかし、1日に見ることのできる時間は30分とか1時間と、ガチガチに決められてはいた。しかも、NHKだけしか映らないように設定されていることもあった。

また、見たい番組は事前に両親の承認を得なければならなかった。許しが出た番組でも、一緒に見ていて途中でエホバの証人にとって「ふさわしくない」シーンがあると、テレビを消される。

「ふさわしくない」というのは、不道徳や暴力など。テレビで、未婚のカップルがキスしたり、服を脱ぎ始めたりするとチャンネルを換えられた。そもそも、子どもの大好きな戦隊物やヒーロー物は暴力的という理由で許されなかった。

傲慢エホバの証人よ、自分の頭で考えろ

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エホバの証人の悲しい父親、「野球盤」の思い出とは・・・

エホバの証人の子供の野球盤の思い出

エホバの証人の子ども、野球盤の思い出

私は幼い頃からエホバの証人2世として育てられた。

子どもの頃に好きだった野球選手は清原和博で、小学生のときに初めて買ったCDは槇原敬之の『冬がはじまるよ』だった。中学生の頃に好きだった歌手がチャゲ&飛鳥の飛鳥涼だった。

後年、彼らが薬物絡みで問題になったことと、私のエホバの証人2世としての経歴が関係しているのかどうかは解らない。個人的に抱えている葛藤が共鳴したのか、ただの偶然なのか。

野球の清原に関する話はまだある。私は本当に清原が大好きで、1987年の日本シリーズのことをよく覚えている。

日本シリーズ最終戦で、日本一まであとアウト1つという場面。1塁の守備についていた清原が、早まって男泣きしたシーンが忘れられない。対戦相手が清原が入団を希望していた巨人だったことも関係していたのだろう。思いのこもった涙だった。

当時流行っていたボードゲームの野球盤が我が家にもあった。エホバの証人の宗教本研究の後で、ちょっとだけ、父が野球盤で遊んでくれた。無論、私は当時清原が所属していた西武ライオンズで父と対戦する。

野球盤はピッチャーの投げる球速が調整出来た。スピードを全開にすると、普通の人の動体視力では到底打ち返すことが出来ない。凄まじい投手戦になりほとんど点数が入らない。

そのため、我が家の野球盤は投手側のバネをひく部分に丸めたティッシュを詰め込んで、スピードが限界まで出ないように改造されていた。ゲーム中に、何回か決めた回数まではそのスピード制御装置を外すことができるルールにしていた。勝負所で高速球を放ることが出来るため。

そんなこんなで、ある程度のゲーム性まで高められた野球盤で、小学生の私は父と遊んでいた。

エホバの証人の悲しい父親

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エホバの証人2世の衝動と、ドラッグ・薬物問題の関係性

抑圧からの解放という望みとアーティスト

エホバの証人の話のすり替え

私が子どもの頃に好きだったプロ野球選手が、清原和博だった。1980年代のこと。ちなみに中学生の頃は、チャゲ&飛鳥が好きだった。これが1990年代。

初めて買ったCDは槇原敬之の『冬が始まるよ』。このシングルCDをヘビーローテーションで聴いていた結果、エホバの証人の長老だった父に、CDケースごとへし折られてしまった。

エホバの証人にとって、「ふさわしくない」音源を繰り返し何度も聴くことは許さないということ。父にしてみれば、エホバの証人の活動をおろそかにする原因を取り除いたつもり。

不条理極まりない出来事だった。おこずかいをきっちり貯めて、初めて購入したCDが、たった数日で割られて捨てられてしまった。

怒りに任せて、子どもが現状で一番大切にしているモノを、力任せに破壊しゴミ箱に捨てる。これがクリスチャンの長老の行いと言えるだろうか。

こう言うと、エホバの証人はキリストが神殿で商いをしていた者に対して激昂した話を持ち出す。

子どもに対する接し方の話なのに、神を敬う行為のためならば怒りを前面に出すことも問題ない、という話にすり替えられてしまう。これがエホバの証人の論理トリック。何でも、自分たちに都合の良いように話をすり替える。

ものみの塔は、話のすり替えや意図的な局所引用を繰り返し行う欺瞞体質。この確信犯的悪癖が、エホバの証人の末端信者にまで影響している。

エホバの証人2世のホームラン

エホバの証人2世の衝動

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エホバの証人の親が、子どもたちに与える絶大な無力感

エホバの証人親の限界

父親によって、軽く否定されるエホバの証人2世の夢

私は、物心ついた頃には既にエホバの証人2世として育てられていた。エホバの証人2世とは、親にエホバの証人というカルト宗教を強要される子どものこと。

私は14才のときに、サッカーをしたいという自分の気持ちを優先させて、エホバの証人をやめた。しかし、そのサッカー熱も数年で冷めてしまった。

サッカーをしなくなった私は、エホバの証人が禁止されている、ありとあらゆるモノに手を出し始める。エホバの証人にとって許されないジャンル(※)のテレビドラマや映画、小説なども片っ端から目を通していった。
※エホバの証人は、性描写が極端なモノや心霊的なモノはすべて禁止

テレビゲームも、ロールプレイングから格闘ゲームまで一通りやることになった。このゲームには貴重な時間をだいぶ費やしてしまった。大抵のゲームには敵がいて闘わなければならない。イコール暴力的ということで、エホバの証人の子どもはゲームが禁止だった。

サッカーをやめた10代後半の私が、将来の目標として描いていたのがテレビドラマや映画などの製作に関わる仕事だった。ストーリーに直接関わるような脚本家になりたいと思っていた。

心を揺さぶる感動を同時に多人数の人に電波やスクリーンを通して発信することができる。その感動には自分の主張を込めることができる。そんな私の夢の話を父親にしたことがある。父親は

「そんな者になりたい人間はごまんといるから無理だ」と、軽く吹き飛ばすように否定してきた。

エホバの証人の親の限界

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子どもの排斥を怖れるエホバの証人親の逆効果、元エホバの証人2世の大暴走

元エホバの証人2世の反動の10代

親子の絆を断ち切る、ものみの塔の排斥処分

私は生まれながらにしてエホバの証人の2世信者として育てられた。

エホバの証人とは通称JWという自称キリスト教系の新興宗教。ものみの塔聖書冊子協会という名前でも知られている。2世信者とは、親の宗教を押しつけられる子どものこと。

私は、14才になる年に自分の意志でエホバの証人をやめた。

その後は、親や宗教に縛られた反動でやりたい放題の人生を歩んできた。ものみの塔によって禁止されているようなことをあえて選んでやっていた。反エホバ、否ものみの塔という立場を積極的に取っていた。

私は20才で家を出るまでは、いまだエホバの証人だった両親と同居していた。”この世”の法律で禁止されているような、未成年の喫煙や飲酒などにも私は手を出していた。ものみの塔的にも、当然それらは禁止。

両親はこの頃になって、私に対して急に甘くなった。幼い頃にものみの塔の戒律を厳重に押し付けてしまったことへの贖罪のつもりだったのだろうか。持て余していただけなのか。もはやこれは確認しようがない。

未成年の子どもがタバコを吸っているなんて、エホバの証人の親としては発狂するような状況。大人のエホバの証人信者でも、喫煙しているのが見つかると排斥処分になる。

排斥とはエホバの証人的村八分で、組織から追い出され、充分に悔い改めたと認められるまで復帰できない。排斥者とは、家族であっても最低限の接触に留めなければならない。街で偶然会っても挨拶すら禁止。

現役エホバの証人の父親にしてみると、一人息子が喫煙を理由に排斥されてしまうことは避けたかった。それは親子の絆が断ち切られるも同然だから。

私のように、ものみの塔協会に献身する前だと排斥にはならない。献身とはバプテスマと呼ばれ、ものみの塔に何もかも捧げると誓う儀式のこと。私がなかなか「バプテスマを受けろ」と両親に言われなかったのは、排斥回避のためだったのかも知れない。

エホバの証人2世の子供のハードスケジュール

中卒上等、エホバの証人2世

エホバの証人の両親による教育の反動

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1995年、ものみの塔の悪ふざけとエホバの証人の親子やり直し

エホバの証人の疑似親子プレイ

1995年、ものみの塔の悪ふざけ「ハルマゲドンまだ来ないっす」

私は生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。14才のときに自分の意志でエホバの証人をやめる。これが1994年。翌年の

1995年にものみの塔協会は自身の予言に大幅な訂正を加える。それまでは、明日にでもハルマゲドンが勃発し、この世の事物の体制は崩壊するとされていた。それが「ハルマゲドンは明日というほど早くはこないよ」という、緩やかな予言に訂正される。

明日にでもこの世が終わるのだからと、エホバの証人たちは世俗の仕事を捨て、高等教育を受けることも諦め、ものみの塔の不毛な活動に従事していた。

ところが、「そんなすぐにハルマゲドンは来ないぜ」と予言の出元であるものみの塔がいきなり発表。しかも、謝罪も何もない。冗談も程々にしろと言いたいところ。

1995年の私は、エホバの証人をやめたばかりでサッカーに熱中していた。この頃、両親はいまだにエホバの証人。当時、我々親子はエホバの証人に関することを全く話さなくなっていた。

そのため、私はものみの塔の悪ふざけのような、予言の訂正を知る術が無かった。1995年の私は、まだものみの塔による洗脳が解けないまま。幼い頃からの擦り込みの影響。「ハルマゲドンが今すぐにでも勃発する」という恐怖心を抱きながら、サッカーボールを蹴っていた。

この瞬間にでも、天からの落雷で命を落とすのではないかと怯える日々。神の強権、ハルマゲドンを心底恐れていた。それでも残り少ない生涯を全力で生きるべく、ひたすらサッカーボールを蹴り続けていた。

1914年の嘘と1995年の冗談

エホバの証人の教義とその特徴である二面性

エホバの証人の親子関係の修復

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元エホバの証人2世が得たのは、見せかけだけの自由

元エホバの証人2世の仮釈放

自分では何も決められない、元エホバの証人2世

エホバの証人の親は、子どもの2世信者の選択に無条件で同意することは絶対にない。子どもの意思よりも、神エホバの目からみてかなっているか、正確にはものみの塔の教理に沿っているか?ということを第一優先にする。

とくに我が家は、父がエホバの証人の会衆の長老という要職にあり、母は全時間の※正規開拓奉仕者という筋金入り狂信一家。その一人息子だった私は、ものみの塔の教理にガチガチに縛りつけられた。
※当時の正規開拓奉仕者は、年間1,000時間もの時間をエホバの証人活動に費やしていた

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。そのため、幼児期から少年期には、私の希望が叶うことは一切なかった。

私は14才になる年に、自分の意志でエホバの証人をやめる。そして、それまでの反動が来る。

生まれてこの方、自分の願望が叶えられたことがないため、私は目についたモノ、気になったモノ、あらゆるモノに興味を示し、試していくことになった。それらは、主にものみの塔の教理で禁止されているようなこと。

自分の心からやりたいこと、本来やるべきこと、なすべきことを取捨選択することが、私にはできていなかった。エホバの証人をやめたばかりで、今まで何も得られなかった分、すべてが必要なことだと思えた。

しかし、ものみの塔の洗脳が解けたわけではなかったので、いつかハルマゲドンが必ず勃発すると信じ込んでいた。その終わりの日に滅ぼされるので、私は寿命を全うすることが出来ない。限られた生の中であらやることをやる必要があった。

酒、タバコ、ギャンブル、セックス、車、あらゆる快楽に手を出した。そういう日常の快楽に忙しくしているため、いまだエホバの証人だった両親のことを顧みる余裕が私にはなかった。

単純な家族の幸せという、自身の本当に望むことをおろそかにしていたのが、私の10代後半から20代前半。自分で何も選択せず、なし崩し的に目の前に現れる反ものみの塔的なものを丸呑みしていく。これでは、

エホバの証人2世としてものみの塔の支配下にあった幼少期と同じ。自分で何も決められず、他人の言いなりになっていた頃と同じだった。

ものみの塔のハルマゲドン延長宣言

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1995年のものみの塔を知らない、元エホバの証人2世

来ないハルマゲドン

元エホバの証人が恐れるハルマゲドンとは

私は生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。そして14才になる年にエホバの証人をやめた。

この年が1994年で、翌1995年にものみの塔協会は教理を大きく変更する。簡単に言うと、ハルマゲドンまでのカウントダウンを延長。

ハルマゲドンというのは最終戦争とも言われる、この世の終わりのこと。この世の事物の体制に対して、神エホバの怒りの鉄槌が下る。世界が一掃され、エホバの証人だけが生き残る。その後、地上の楽園での果実を、エホバの証人だけが享受するというストーリー。

エホバの証人たちは、地上の楽園で完全な体に変化し永遠に生きるという設定。また、ハルマゲドン以前に死んだ忠実なエホバの証人たち全員が復活し、共に永遠に生きることにもなっている。

神エホバに心から献身し、感謝し、畏敬の念を抱き、全てを無償で捧げているという純粋なクリスチャンは、エホバの証人の中に存在しない。単純にハルマゲドンへの恐怖と、その後の楽園での永遠の命というご利益をぶら下げられて、不毛な勧誘活動に打ち込んでいるだけ。

1995年のものみの塔、ハルマゲドンのカウントダウン延長

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