量産されたエホバの証人2世ロボットたちの顛末とそこからの離脱

エホバの証人2世ロボットが量産されるカラクリ

エホバの証人の子供たちが同年代の子供に比べてお利口に見えるのは、しっかりと教育されているからなのだが、この教育方法が大問題である。こらしめと称される体罰はパンツを脱いでお尻を直にベルトや素手で叩かれる。この体罰はパンツを脱ぐのを恥ずかしく感じる年頃まで繰り返し行われる。また2世の子供たちは、ハルマゲドンで自身の体を焼き尽くされ滅ぼされるという恐怖のイメージを植え付けられている

おとなしく座っていなければ即座にこらしめが待っているし、親の言うことを聞かなければ来たる終わりの日に天から降り注ぐ火球で焼かれることになる。こらしめと洗脳による恐怖政治により、エホバの証人の子供たちは見た目にはお利口な2世ロボットとして量産されるのである。しかしその内面はこの幼い頃からの抑圧によるトラウマでずたずたに切り裂かれているのだ。

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子供をダシにして信者を獲得しているエホバの証人

エホバの証人の子供の特徴

エホバの証人2世の子供たちは新たな信者獲得のための広告塔にも用いられている。小さな子供のいる未信者の家に同年代のエホバの証人の子供を連れて行くと、子供たちの差は歴然である。

普通の子供は1時間も2時間もおとなしくは座っていられない。その活発さが子供の長所でもあるし、そうやって新しいものを求めて吸収して子供は成長していくのだ。しかし、その突拍子もない子供の行動が親を困らせることがある。これがエホバの証人の子供になると、何処に連れて行かれてもおとなしくずっと座って大人の話を聴いていられるのだ。

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エホバの証人のセックスとマスターベーションの罪と罰

エホバの証人二世のセックスに対する執着

エホバの証人2世の性に対する執着は尋常でなく強い。子供の頃から過激で過剰な性教育を受けているから。これはものみの塔協会の方針。かつて、エホバの証人2世だった私も、露骨な描写、表現で幼児の頃から性教育を受けた。

正式な交際中なら手をつなぐのはOKだが、キスはNG。例え結婚していても肛門でのセックスはNG。と過激な性表現がものみの塔協会の出版物には記載されている。

ものみの塔協会は、こういった性に関する露骨な教義を、物心つくかつかないかの小さな子供たちに押し付けている。洗脳下にあるエホバの証人の親たちは必要以上の静に関する知識を子供たちに臆することなく教え込む。

思春期になるとこのエホバの証人の性教育は逆効果となる。年頃になった私は教団の出版物にある性描写に異常な興味、関心を覚えた。

若い人向けのエホバの証人の出版物には、ベッドに横たわる悩まし気な写真が載っている。本文には、露骨で具体的な表現で性行為の禁止を歌う文章がそこら中にでてくる。これが思春期の性欲をたぎらせる。

ただ、それはすぐに叶えられる欲望ではない。自分自身がものみの塔協会に献身し、その後で既に献身している異性の信者を見つけ、適切な期間の純潔な交際状態を保ち、ようやく結婚。その後でやっとセックスに至れるのである。気の遠くなる遠大な道のり。

過剰に性に関する情報を供給され、それを発散することは永遠とも思える先まで禁止されている。これでは余計にセックスに対して興味が高まっていくだけ。

思春期になると、誰もがはちきれそうな性欲を誰もが抱える。特にエホバの証人2世は子どもの頃から刺激的な性教育を受けているので、この性欲を抑えることが出来ない

エホバの証人夫婦の性生活と高い離婚率

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エホバの証人2世の抱える異性との交際に関する問題

恋愛にも制限のかけられるエホバの証人

若いエホバの証人の信者たちは、恋人とも2人きりで会うことは許されない。しかも交際相手として認められるのはエホバの証人のみ。バプテスマという洗礼の儀式を受けた信者同士でないと、異性と付き合うことは許されない。

その上、結婚直前でないと2人きりのデートが許されない。結婚しないとセックスできないので、セックスに至る日は永遠に来ないと言って良い。未婚のエホバの証人2世は、全員が童貞か処女であるはずなのである。

ものみの塔協会は、性欲を独特の教義で抑え込んでいる。現代社会でこの了見の狭さは異常。30代で童貞とか考えられない拷問。

しかし、この組織の中にどっぶりと浸かってしまうとこの異常さが日常となる。目が覚めるまで、異常に気付かない。これが洗脳されるということ。

親元を離れてもつきまとうエホバの証人は二世の行動制限

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ものみの塔協会が仕掛ける時限爆弾

エホバの証人2世と親との難しい関係

信者の親やものみの塔教会の束縛から逃れ、エホバの証人的に足を踏み外す正常な感覚の2世も多く存在する。エホバの証人組織を離れた2世が、信者の親と友好な関係を保ち続けることは非常に難しい。

信者の親にしてみれば、自らが完璧に育てたエホバの証人の2世ロボットという作品が決定的に損なわれるという不甲斐なさを味わうことになる。2世の子供側にしてみれば、2度と束縛されることなく今の自由を満喫したい気持ちでいっぱいである。積年の野望がようやく叶えられるときが来たのである。

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独立しても止まないエホバの証人2世への親の束縛

エホバの証人信者の親から離れて目覚めよ!

エホバの証人の2世信者たちは、必要の大きな所と呼ばれる僻地へ飛ばされたり、別の会衆へ移籍することで、ようやく狂信的なエホバの証人信者の親元を離れることが出来る。やっとものみの塔協会の教義を盾にした親の束縛から自由になれる

ものみの塔協会の教えでは、親の言うことに従うことは神に従うこと、親と言う権威は神の是認を受けたものとされている。エホバの証人は、カルトに堕ちるような親にこの権威を与えてしまうので、子供にとっては地獄。

カルトの餌食になる浅はかで短絡的、精神的に未熟な愚かな親には自戒や自省といった感覚が無い。どこまでもカルト=ものみの塔の言いなりで突っ走る。この親から自由になるには、まずは物理的に離れるしかない。

親元を離れたエホバの証人二世が、自らの純潔を保ち、ものみの塔協会への信仰を守り続けることは難しい。束縛が無くなり、自由を満喫すれば欲望のままに行動したくなるのが人間の性質。親からの独立が、一部の信者たちの覚醒に繋がってはいた。

僻地のエホバの証人二世の性に関する問題

いつまでも続くエホバの証人の親の子どもの束縛

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命がけのものみの塔崇拝

さらなる必要の大きな所へと派遣されるエホバの証人の若者たち

国内にとどまらず、海外へ派遣されていくエホバの証人の若者も存在する。紛争状態となっているような危険な土地やエホバの証人という宗教が禁令されている迫害下の国などへも飛ばされていく。そういった話が、この教団内では美談として語り継がれているのだ。

自分の子供がそういった異常に必要の大きな土地へ行ったなどという話を、親の信者たちは誇らしく思っているのである。エホバの証人の2世たちは、そういったプレッシャーを受けて命の危険も恐れずにさらなる必要の大きな場所へと不要で無意味な”ボランティア”活動をしに行くのである。

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人生を浪費するエホバの証人の2世の若者たち

必要の大きな所という地獄へ移り住んでくる若者たち

エホバの証人にとって必要の大きな場所であると言われて、若いエホバの証人の信者たちは単身、田舎へ移り住んでいく。私が田舎に住んでいた子供の頃にも独身の若い信者たちが都会から移り住んで来ていた。

人口の多い都会ほどエホバの証人が多く、ものみの塔協会に汚染されているのである。さらなる拡大を目指して若い無知な人々が田舎へ派遣されていくのだ。彼らは家族や友人と離れ、苦労して手に入れた仕事や住み慣れた土地を捨て、自らの信仰のために暮らしにくい田舎へ引っ越して来るのである。

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エホバの証人にとっては喜びとなる過酷な環境

田舎社会では悪い意味で目立つエホバの証人の2世

私は小学校4年生になるときに引っ越して転校生になった。両親の田舎に引っ込むような形で引っ越したのである。転校先ではゼロからエホバの証人の2世であるということを先生や同級生に証言しなければならない。

当時の田舎社会には、信仰の自由というものに理解は無かった。現在でもそれはさほど変わっていないはずである。引っ越して来たのだから地元の祭りや行事に参加するのは当然だという空気だった。ただエホバの証人は異教のものであるとして地方古来の祭礼や行事の全てに参加しようとしない。

人口密度の小さな田舎でこれほどの変わり者というのはとても目立つ。すぐに有名人一家となってしまった。学校でも有名な変わり者という扱いを受けることになる。思春期に差し掛かりつつあった私にとってこれは致命的だった

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エホバの証人の2世にとっては1人遊びが日常

たった1人で無心に遊ぶのは子供ながらに自分を保つため

幼い頃の私は、時おり無心に遊ぶことで何とか子供なりに自分の精神状態を保っていた。ハメをはずすことは許されないが、エホバの証人として許される”ふさわしい”遊びを納得するまで無心に行う。そうして自分の子供としての欲求を発散していたのである。

友達といつまでも遊ぶということは出来ない。常に集会や伝道奉仕の時間に追われているからである。また”この世”の友達と遊べば、必ずエホバの証人として”ふさわしくない”遊びが混じってくる。ものみの塔協会の不可解な教義には禁止事項が尋常でなく多いのである。

幼いながらに私は他の家の普通の子供とは違うのだと実感していた。この世の友達と遊ぶには阻害要因がエホバの証人の2世には多過ぎた。そもそもエホバの証人信者の親が学校の友達と遊ぶことについていい顔をしないのである。こうしてたった1人で遊ぶことで、ようやく私は正気を保っていたのである。

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