自分中心に宇宙が回っているエホバの証人、統治体の珍解釈に盲従

自分中心に考えすぎ、エホバの証人

エホバの証人の週日の集会テキスト、今週分(2024/3/18-3/24)。

「神の言葉の宝」という10分小噺。夜空を見たり、太陽を見たりする。そして、それらを神の創造物だと誤認して、エホバマンセーとやりましょう、という話。

妄想の極地。夜空を見て神の存在を感じるとか、ぶっ飛びすぎ。そんな妄想ができる時点で、エホバの証人は悠久の時の流れとか、壮大な宇宙とかを思い描いていない。宇宙の中心に自分がいると思い込んでいる。

エホバの証人は、自分を中心に世界や宇宙が回っている。狭ーい宇宙。その小さな宇宙に神を妄想している。

世界や宇宙のスケールを想像したら、自分という存在の極小さにに気付く。悠久の時の流れの、ほんの一瞬に小さな自分がいて、今、何をするか?ということを考えるべき。

それは当然、神を妄想して、そいつから是認を得るとか、そんな下らないことでじゃない。そんな妄想は、宇宙の中心に自分がいる、という幼稚な思い込みに支えられている。

ここで引用されている聖句が、信者を小馬鹿にしている。

服のことでなぜ心配しているのですか
マタイ6:28

同日の集会で、エホバの証人、令和の服装解禁令に関する統治体の教祖動画が流される。服のことを心配しているのは、いったい誰なのか?

統治体の珍解釈、エホバの証人の危険な盲信

集会の後半で、教祖集団統治体からの話という動画の投影。20分のロングロング統治体の独り語り。これが教祖でなくて何だって言うの。人間崇拝エホバの証人。

統治体という教祖を崇拝している証拠として、動画内では、統治体の決めた教理というか、聖書理解のオンパレード。

教団の独自解釈は、統治体がそう思ったか、そうしたいかだけ。それなのに、信者は盲目的にすべてを受け入れる。統治体が信者に「死ね!」と言ったら、信者全員死にかねない。危険なカルトここに極まれり。

ノアの時代の洪水で死んだ人、ソドムとゴモラが滅ぼされたときに死んだ人、さらに大患難の最中に心を入れ替える人が、エホバの恩恵から憐れみを受けられる

はい、でた。新解釈というか珍解釈。

ノアの洪水やらソドムとゴモラってのは、太古の伝説の中で神に殺された人が復活するってことかな。じゃあ、なぜ殺した?命をもてあそぶな。

大患難の最中に心を入れ替えるってどういう状況?ナイフを突きつけられて、従いますか?従いませんか?みたいな感じ?いや、オレは従わないけど。

というか、それなら心を入れ替えるの大患難来てからで良くない?まあ、来ないんだけど。大患難来たら、心入れ替えるから、それで良くない?

いや、オレは大患難来ても心入れ替えないけど。命をもてあそぶエホバ君大嫌いだし。そもそもそんな奴いないから、大患難なんか来ないんだよ。


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