エホバの証人2世だった私の子供の頃の記憶

真夏の幼児期の記憶

私は小さな頃に無性に遊びたくなったことが何度かあった。エホバの証人の2世として常に抑圧された厳しい環境にあったせいである。印象的に覚えているのは2回である。

1度目は小学校に入る前のことである。暑い夏の日のことだった。自転車に乗れる年齢だったので、1人で家からちょっと離れた場所にある児童館に行ったのである。ちょうど昼のご飯時で児童館には誰もいなかった。私はたった1人、この児童館の体育館にあるトランポリンで延々とジャンプし続けた

母親の目の隙をついて家を自転車で飛び出して来たのだろう。家へ帰ればすぐに午後からの野外奉仕活動に連れて行かれるのである。何となく落ち着かない気持ちだった。それでも真夏の昼間に暑い体育館の中で私はたった1人、無心にトランポリンで跳ね続けていたのである。

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ハメをはずすことが許されないエホバの証人2世の子ども

選民意識の影響を受けるエホバの証人二世の子供たち

エホバの証人は、エホバの証人でない人に対して模範的でなければならないとされている。法律を遵守し、道徳的に高潔で正直で礼儀正しい勤勉であれとされている。

これは特殊な教義を遵守しなければならないエホバの証人に対する風当たりを弱めるためでもあるのだが、自分たちエホバの証人は神に選ばれ大艱難をくぐり抜ける優れた者であるという意識も大きく影響している。

これはエホバの証人二世の子供たちにとっても同様。両親から似たような教育を受ける。「この世の人に対して模範となりなさい」と言われる。

エホバの証人2世たちは、常にエホバの証人として”ふさわしい”行動をとらなければならない。私にとってもはこれが鬱陶しかった。エホバの証人が使う”ふさわしい”という言葉も子供の私にとっては呪いの言葉。

何がふさわしいんだと。親に「それはふさわしくない」と言われれば何もかも禁止。制限される。エホバの証人の子供は自由のない生活を余儀なくされる。

一瞬たりとも気が休まらないエホバの証人の2世たち

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無垢な罪人である統治体とエホバの証人

統治体の重罪

ものみの塔協会の頂点に君臨する統治体の老人たちは、自分たちの造り出した教義では嘘をつくことを罪としていながら、数々の預言をはずし、その度に教義を変更してごまかしている

輸血を禁じる教義で救われたはずの信者の命を失ったのは、殺人に匹敵する。その輸血の教義は度々変更されてきた。そのため時代によって信者が受けられる治療が変化している。70年代には臓器移植が許されていなかったために命を捨てざるを得なかった信者が、現在では適切な治療を受けることが出来るようになっている。統治体はこのように信者の命を弄んでいるのである。

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統治体を頂点とするエホバの証人組織

ピラミッド型構造のエホバの証人組織

エホバの証人の教義の不思議なところは、自らが批判している状態にものみの塔協会自身が成り果てていることである。ものみの塔協会は、ローマ教皇を頂点とするカトリック教会を他の宗教組織とひとまとめにして異教徒として強く批判する姿勢をとっている。エホバの証人の組織には教皇や司祭、牧師と言った権力者がいないというのが彼らの主張である。

しかし、エホバの証人の組織の最上位にも複数人のメンバーで構成される統治体が存在している。その下に何人もの監督を置くピラミッド型の体系は世俗の組織と何ら変わらない。エホバの証人の組織には牧師や司祭という聖職者はいないのだが、地域監督、巡回監督、長老といった監督者がしっかりと存在するのだ。

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エホバの証人は楽園での永遠の命というものみの塔協会の撒き餌に泳がされ輝ける今を見失っている

エホバの証人に対して裏表のあるものみの塔協会

ものみの塔協会は、組織に対して従順であるように、誰に対してもいかなる時でも誠実であるようにと信者のエホバの証人たちに要求している。

しかし、その誠実さをものみの塔協会はエホバの証人たちに示すことは絶対にない。ものみの塔協会は、信者たちに強く要求するものを、自らは決して差し出さない二面性のある組織。

エホバの証人の教義では輸血は絶対禁止。ところが、ブルガリアのエホバの証人は輸血が解禁されている。

ものみの塔創始者チャールズ・テイズ・ラッセルの墓が残っていて、しかもピラミッドの形状をしている。ものみの塔協会は死者を崇めるピラミッドなどは禁止しているのに。

ものみの塔協会は、自らが緋色の野獣とこき下ろす国際連合のNGOに加盟していた。しかもそれが発覚するとそそくさと脱退。

こういったものみの塔協会にとって不都合な事実はエホバの証人信者には隠匿されている。ものみの塔協会の隠蔽体質がこの組織が裏表のある組織であるということを証明している。

エホバの証人が騙されている楽園での永遠の命という偽の希望

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ものみの塔協会にとっての都合の良い便りは信者にはただの妄想

ものみの塔協会にとっての都合の良い便りは信者にとってはただの妄想

もしもハルマゲドンが来なかったら、もしもエホバの証人のまま寿命を迎えて死んで、復活しなかったとしたらどうするのか。あなたがものみの塔協会に支払った代償は多大で、取り返しがつかない。はっきりさせておくが、我々人間は復活などしない。そしてハルマゲドンも来ない。この地球はエホバの証人が言うような楽園になどは造り変えられない。

こういった事項は、少なくともエホバの証人信者たちの期待通りになることは無い。世紀末の預言を外し続け、教義にも都合主義の訂正だらけの組織にとっての”良い便り”が、その通りになることは決して無いのだ。ものみの塔協会の主張する良い便りは彼らにとっての都合の良い便りなのだ。

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楽園で永遠に生きるという屈辱的な生活

エホバの証人の王国会館に通っている間は生きていないも同じ

エホバの証人の王国会館というパステルカラーの建物の中に捕われている間は死んでいるも同じ、ならばそこから脱出して野垂れ死んだ方がまだマシ。結局、エホバの証人を辞めても何とか生きていける。

身に付いた節約思考や辛抱強さ、人の顔色を伺う癖、人あたりの良さなど、そういったエホバの証人の特性は当面の生活にとりあえず役に立つ。その特性を完全に維持する必要もないし、全部を強引に捨て去ろうとする必要もない。

今まで培ってきたものとして、自分の中に置いておいて、本来の自分の望むものを探しつつ、取捨選択していけば良い。

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王国会館から脱出し真実を見つけよう

エホバの証人である間に得られる幸福感は全て偽物

私はかつてほぼ生まれながらにエホバの証人の2世となり、両親ともにエホバの証人という神権家族で育った。そして14年の歳月を経て、自らエホバの証人を辞めるという決断をした。

その後、私の両親もそれぞれエホバの証人を辞める道を選んだ。その過程で私の家族は崩壊し、家族3人で仲良く王国会館に出かけていた時の幸福は消え去った。しかし、これで良かったと私は思っている。

なぜなら王国会館に通うことで得られる幸福感は偽物だから。感情としては本物なのかも知れない。しかし、エホバの証人の王国会館の中にあるもの全ては偽物。つまり偽物がもたらす幸福感もまた偽物。いつかはぶっ壊れる。

王国会館の中で話されること、与えられる情報、信者との繋がり、エホバの証人であることを理由に発生する条件付きの家族の絆、そういったものみの塔協会に関係することは全て偽りなのである。

エホバの証人の王国会館から脱出し絶望的な真実を探せ

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エホバの証人の2世だった過去を話すことが私の使命

3度の奇跡的生還と生かされるということ

私は生まれながらのエホバの証人二世で14歳のときに自分の意志で脱会。洗脳が解けたのは20歳を過ぎてからだった。その後自堕落な生活を送り続けた。

そして3回も交通事故を起こす。すべて自動車が全損する大事故。しかし、私は3度の交通事故で奇跡的に生き残った。これには何らかの意味があると私は思っている。それぞれの時に私はまだ死ぬべきでは無かったということ。

3回とも車自体は大破したものの、私自身は無傷。何らかの力に生かされていると感じた。

こんなスピリチュアルな考え方をするのが、ものごとを信じ込みやすいエホバの証人チックな性格だとも言える。ただ、私の父親にも同じような経験がある。

父は私に続いてエホバの証人を辞めた。そして未だエホバの証人信者だった母親との関係がこじれて、私の家族は崩壊。

一家離散した後、父親は国内を放浪していた。その放浪中に何度か一文無しになって、もう死ぬしかないという状態に陥る。そして最後のなけなしの金でパチンコ屋へ入る。すると必ずフィーバーし、命を救われたのだという。

父の死期もその時では無かったということ。それぞれ生き残ったことによって、遂に父と私は数年ぶりに再会することが出来た。

人間には死期がある。それまでにやるべきことやり、成すべきことを成す。でなければ死ぬにも死ねないのだ。

エホバの証人の2世だったという経験を伝えることが私の使命

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3度目の交通事故

ものみの塔協会の嘘に気付くが生の貴重さを忘れる

朝日を浴びながら、せめてハルマゲドンで滅ぼされるまで生きていたいと実感してから10年後、私は3度目の交通事故を起こす。その10年の間に、エホバの証人の教義は全部がデタラメだったと気付く

これはインターネットのおかげ。ハルマゲドンは絶対に来ないと、ものみの塔協会の嘘に気付いた。これが20歳を過ぎたばかりの頃。

青天の霹靂とも言える神の裁きにより、突然死ぬことはないと私は確信したのだが、だからと言って何をすれば良いのか、何を始めれば良いのか全く解らなかった

そして、生きていたいと朝日を浴びながら実感したあの感覚を忘れる。急に命が寿命までの無期限に延長されたため。

元エホバの証人二世が迷う人生の方程式

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