他人を呪っておいて、何が「宝石」?
エホバの証人の週日の集会テキスト(2024/2/26-3/3)。
2つ目のプログラム、『宝石を探し出す』という信者の発表タイム。
愚かな人は心の中で言う。
「エホバはいない」。
彼らの行動は腐敗していて忌まわしい。
善いことを行う人は誰もいない
詩編14:1
人のことを愚かだとか、行動が腐敗しているだとか、善いことことを行わないだとか、他人を心底批判しておいて、何が宝石だっていうの?毒薬だよ。
私は、心の中どころか声を大にして「エホバはいない」と言っている。しかし、毎日労働し家族を養っている。善いことを行っているけどね。
他人を呪いまくる聖書やらエホバやら、人生に要らないんだよ。
エホバの証人に尋ねる。巨悪は誰か?そんなに大自然で暮らしたいか?
エホバの証人の無理ゲーお遊戯会
続いて、信者のお遊戯会「野外奉仕に励む」。
今週は、エホバの証人の年に一度のイベント「死の記念式」に招待するお遊戯。しかも、1つ目は
相手にとって受け入れやすい表現を使う。例えば,クリスチャンではない人と話すときには,「聖書」や「イエス」といった言葉を初めから使うのではなく,伝え方を工夫するとよい場合もあります
という制限付き。
正しい生き方を願う人たちのために、神様はまもなく地上をパラダイスに変えてそこで完全な身体で健康に永遠に生きられるようにしてくださいます
ええぇぇぇ?パラダイスはお宅の脳内だろ。
そのために、神様は自分の最愛の一人子の命を自ら犠牲として差し出してくださって、人類救出の道が開かれたんですよ
ええぇぇぇ?何言ってるんですかぁぁぁぁ?子どもの命を差し出すとかヤバいんですけど。お宅の神様は変態野郎ですね。子ども殺しといて、救出の道とか完全自作自演のオナニー野郎じゃないですか。
イエスの貴重な命がどうして必要だったのか?年に一度の死の記念式に出席して頂けるなら、この大切な話を聴くことができます
カルトイベントに招待するのに、相手にとって分かりやすい言葉を使うってのは、正体隠しにも似た悪質さなのだけど・・・。
エホバの証人の場合は、「死の記念式」が「キリストの死でヤッホーい」という、宇宙一のバカ親子を褒め称えるカルトイベント。当然、そのヤバさを隠しきれない。
「死」がどうのこうのとエホバの証人が言い出して、それを相手に受け入れやすくって。完全に無理ゲー。
ハッキリ言って、キリストが全人類のために死んでくれたとか、ホントどうでもいい。気持ち悪いから黙ってくれ。「死んでくれ」なんて頼みもしないし、大きなお世話。オッサンの命の一つくらいで世の中変わらないから、命大事にしろよ。