エホバの証人、基本的には輸血拒否だが・・・命の危険があればその限りではない?

背教というワードには敏感な、エホバの証人日本支部

エホバの証人の日本支部へ電話中。エホバの証人日本支部の見解「死の記念式、ぶどう酒でなくぶどうジュースや水でOK!」というのが前回。

エホバの証人が記念式のために借用した会場が、アルコール禁止というケースがある。

エホバの証人日本支部の電話番の見解では、前述のような事情があれば、末端の現地会衆の判断で、ぶどうジュースや水でキリストの血を表象してもOKということだった。

そして、実際に、水やぶどうジュースを使うと申告して、会場を借りている場所がある。

「公式サイトに書いてあることと全然話が違う。勝手に(記念式の)内容を変えて、外部に伝えるのは問題ではないのか?」

「現地の判断ですー」

この電話で何度聞いたことか。「現地の判断」。エホバの証人日本支部の鉄板責任転嫁。トカゲのしっぽ切り。

「各地で一致していなくていいということか?」

「それぞれ指針に基づいて判断していますので」

「(爆笑)指針に基づいてないでしょ。『混ぜ物のない赤ぶどう酒を使いましょう』と書いてあるのに、「ぶどうジュースでやる」と会場側に話しているところがある。(公式サイトに)書いてあることと違う」

「基本的な指針です」

「公式サイトに書いてあることは、すべて基本的な指針なのか?」

「はい、そうです」

「であれば、別に守らなくてもいいと?」

「それぞれが指針に沿うように努力をした結果、守れない場合もあるかも知れません」

この喋り方。虫唾が走るな。

「基本的だからということで、公式サイトと違うことを外部に伝えている。キリストさんは『わたしの記念としてこのことを行いつづけなさい』と言っている。『このこと』の内容を変えるのは、おかしくないか?」

「借りたい会場がアルコールダメだと言っているから水でも良いやと、現地の判断で変えている。これは背教行為ではないのか?「ちょっと都合悪かったら水でも良いよ」みたいなことは、公式サイトには一切書いていない」

長い沈黙(12秒間)。背教って言葉には敏感なのかな?

絶対に守らなくてもいい指針とは?

「違いますか?」

「先ほどもお伝えしている通りです」

これも、エホバの証人が困ったときに言うやつだね。「既に議論済です」「お話ししたとおりです」みたいなやつ。分かりやすく伝える能力が欠如してるんだから、分かってもらえるまで何度でも言うんだよ。

「ん?基本的だから、守らなくてもいいと?そういうことなんですかね?」

「指針というのは、守らなくてもいいというモノではございません」

「では、守らないといけないんじゃないですか?」

「絶対守れるかというと、状況に応じては守れない場合もあるかも知れません」

「絶対に守らなくてもいい?では、絶対に守らなくてもいいんですね?だったら、守らなくていいんじゃないですか?」

輸血も場合によってはOKってこと?

絶対に守らなくてもいい基本的な指針だというのなら、当然、命の危険があれば輸血OKってことになる。ぶどう酒がぶどうジュースでもいいならば、死にそうなときにまで輸血拒否する必要はない。

エホバの証人の死の記念式は、1年で最も大切な行事なんだろ?その行事の進行手順は基本的な指針なので、現地判断で変更OK。命はそんな儀式なんかよりも大事。

となると、輸血を拒否するよう努力した結果、それでも命を落とす危険があるときは、輸血拒否の指針は守らなくてもいい。

「こちらからお伝えできることは以上ですが」

待て待て。もう少し具体な情報を聞かせてあげるから。

明日に続きます。


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