『一九八四年』塔から与えられればどんなに愚かなことでもそのまま信じられるエホバの証人

塔の言いなりになるエホバの証人

ものみの塔による歴史の改竄と情報操作

今読んでいる本、ジョージ・オーウェルの『1984年』。

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全体主義の仮想独裁国家に牛耳られる国民。体制は、過去の記録をもれなく、惜しげもなく改竄する。結果、女性たちは魅力のない存在に。まるで人形。抱いても無反応。

この構図はまるでものみの塔とエホバの証人。

ものみの塔も過去の過ちを闇に葬り去ろうとしている。

初代ものみの塔協会会長のラッセル君の墓、この盛大なピラミッド型のモニュメントは2021年に撤去された。かつて組織ぐるみで子どもに体罰を加えまくったことも無かったことになっている。数々の終末予言の大ハズシも気のせいで信じた側の責任に。

情報操作による信者のマインドコントロールはものみの塔の専売特許。外から見ればものみの塔はおバカなカルトに違いないのに、内部にいるとそうは思わない。信者に届く情報にはフィルタがかけられているから。

外部の人は皆、悪魔サタンに操られているとエホバの証人たちは思い込まされている。だから、「自分たちエホバの証人たちのことを悪く言う」と思考をコントロールされている。

輸血拒否したり、ろくに働きもしないで、復活だ、永遠だと言っていれば、そりゃ変人扱いされて当然。エホバの証人は、自分自身を全く客観視できていない。

エホバの証人は楽園での永遠の命という大ウソに惑わされている

塔の言いなりになるエホバの証人

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エホバの証人に対して愛を示す方法は、彼らを狂人として扱うこと

エホバの証人の命に関する要求には一切応じない

エホバの証人の化けの皮

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』から。

エホバの証人の親が輸血拒否したために児童が亡くなった川崎事件。第八章 医師。著者が治療に関係した医師5名に取材した内容。

医師たちに共通するのは当然救いたかったという思い。法の規制、医療のあり方、信仰の尊重、そういったものがごちゃごちゃになっている間に大病院で一人の子どもの命が失われた。

諸悪の根源は、目立ちたいから命がけで輸血拒否するように信者を扇動しているものみの塔。エホバの証人たちは、無根拠な輸血拒否教理のために不毛に死んでいる。

こんなカルトへの信仰が尊重される必要などないのだが、一般論ではそうもいかず、結果、無垢の子どもの命が永遠に奪われる結果になった。

本来雑多である宗教を、定義というかたちに押し込め、ブラックボックスの中に放り込んでしまったのではないだろうか。一歩踏み込んで、個々の宗教の内実を見る努力を、放棄してしまったのではないか。極端に言えば、彼の立場を徹底すると、宗教というカラを被っていれば、何をやってもいい

著者は一人の医師の深層心理をこのように指摘している。

宗教というカラを被っているカルトのエホバの証人。化けの皮を剥がせば、組織のためなら子ともに死をも強制する殺人集団。子どもや信者の自由意志を奪い食い物にする収奪の仕組み。

とはいえ、医師にここまでを求めるのは酷。出血多量で運ばれてきた死にかけの子ども。後で来た親は「何が何でも輸血はできません~」と言っている意味不明人。時間との戦いの中、その宗教の内実を見極めるなんてことはできない。

表面的に見れば、「子どもを殺してください~」と言っているも同じ。明らかにイカレているカルト集団。だからと言って、医師に何ができるというのか。法整備前のこの段階では宗教というカラを破ることはできなかった。

エホバの証人に対して愛を示す方法

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エホバの証人、カトリックの病院はOKなのに輸血がNGな理由は?

カトリック系の病院には行くのに輸血は拒否するエホバの証人

エホバの証人の矛盾、カトリック大嫌いなはずなのに

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』から。

エホバの証人の子どもが輸血拒否で亡くなった川崎事件。エホバの証人児童が亡くなった病院は聖マリアンナ医大病院。この

大学病院は、上空から見ると、見事な十字架をかたどっている

そうで、エホバの証人が目の敵にしているカトリックの権化みたいな建物。以前から気になっていたのだが、エホバの証人が大嫌いなカトリック系の病院で治療するのはエホバの証人的に問題ないのか?

輸血拒否で児童が死亡というセンセーショナルな点が論争の中心になるけれど、普段あんなにエホバの証人が攻撃している異教由来の医療にお世話になるというのはエホバの証人的に良いの?

緊急時だったので、エホバの証人とはいえ臨機応変に対応した。「そんな細かいことにこだわりはしないエホバの証人って素晴らしい~」と、本人たちは言うのだろうけど、では輸血は?細かいことにこだわって子どもを殺したのはどこのカルトですか?

輸血拒否が子どもの意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

カトリックの病院はOKなのに、輸血がNGな理由は?

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虚しさや孤独を埋めるために悪事に手を染めるエホバの証人の女たち

孤独はエホバの証人堕ちする免罪符にはならない

エホバの証人の女が抱える虚しさ

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』より。

エホバの証人に堕ちるのは、圧倒的に女性が多く、堕とす側、勧誘する側も女性が多い。エホバの証人は女性のコミュニティとしての役割を果たしており、人の群れたがる欲求を充たすことで、かつて信者を、組織を忌々しいほどに増殖させてきた。

しかし、この女性たちが堕ちた先がなぜエホバの証人だったのか。お料理教室やご近所付き合い、今でいうところのママ友、職場や学生時代の旧友との安全な付き合いでなく、なぜ危険で濃密なカルトでなければならなかったのか?

その核心に迫るような、迫らないような、第七章 女。

輸血拒否で亡くなった被害者児童の母親。後に輸血拒否で失う子どもを身ごもった頃から”むなしさ”を感じるようになった。それに対し著者は

その”むなしさ”とやらがどうしてもピンとこなかった。まるで命の塊のような子供を二人も授かり、むなしい母親なんているものなのだろうか

と書いている。

みずみずしい生命の塊を前にして、その生命の塊でさえも有限の生命で、さらに自らの若々しさは下がる一方。一塵の虚しさが吹き抜けてもおかしくはない。とはいえ、

人生なんて虚しいもの。巨万の富も才能も、寿命の前にはほとんど役に立たず、美貌も若さもいずれ衰える。人生は有限で虚しい。人によってはみすぼらしくさえある。

それが古今東西、ありとあらゆる人類、英雄から凡人に至るまでの普遍のルール。人間の一生は限りあり、それゆえにどこか虚しさを伴う。

輸血拒否が子供の意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い

エホバの証人(JW)、「血を避ける」比喩のこじつけ

女性であること、孤独であることはエホバの証人であることの許しにはならない

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エホバの証人は、医療に対する適切な判断能力を有さない

医療に関する適切な判断能力を持たないエホバの証人

恩を仇で返すエホバの証人

先日の記事で、エホバの証人が過失で血を食べたり、輸血された場合のうっかり鯨やうっかり輸血は許される、と書いた。エホバの証人の神エホバは存在しない架空神なので、エホバの証人組織の勝手な設定上、「うっかり輸血」は許される。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』でもこの命がけの矛盾を指摘している。

この矛盾を知れば、強制輸血に踏み切る医者も出てくるのではないかと、本書では書かれている。(第5章 血)

しかし、

この後の最高裁の判例で、この国のエホバの証人にはどこまでも愚かになる権利が認められた。すなわち、輸血に関しての自己決定権。自ら死に至る自由。

命を救うため、エホバの証人に勝手に輸血すると、逆に訴えられて敗訴。野良犬にエサをやったら噛みつかれたとか、恵まれない人に施しをしたら家財を盗まれたといった不条理。恩を仇で返すエホバの証人。

日本人もこの判決当時に比べたら、賢くなったか?そうでないか?この古い意味不明な判例をひっくり返す時が来たのではないか?

エホバの証人、医療に対する判断能力なし

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エホバの証人の輸血拒否は生命に対する冒涜、生きて償わせる穢れ

生きて償わせるエホバの証人という罪

エホバの証人という穢れ

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』から。

川崎事件の調査のため、エホバの証人組織に潜入中の著者。その祖母が輸血拒否をしているという。説得に向かった著者は

祖母の、エホバの証人として生きてきた人生を、その誇りのままに、閉じさせてあげたい。そう感じた

という。

たまにこういう論調をエホバの証人非信者から聞くのだが、私の考えとは相容れない。

エホバの証人として生きた人生は、誇りになどならない。穢れ。人生の汚点。例え死ぬ直前の慰みであっても、エホバの証人として死んでいこうとしている人間には真実を伝えるべきだ。

「エホバの証人として生きて、人生を無駄にしたね」と。無駄にするだけならともかく、

「有害なカルトに協力して、世界に害悪をばらまいた。罪深いね」と。

残酷かも知れないが、真理を追い求めて、真理に命をかけた人間には、真実を伝えねばなるまい。

そして、中途半端に口当たりのいいことだけ言ってあしらっていると、死後にエホバの証人親に祟られることになる。

祟られるのは冗談半分だとしても、どうせ死ねば、エホバの証人理論でも完全に無になるのだから、言うことは言っておいた方がいい。

「エホバの証人として殉教したなんて、残された家族にしてみれば恥でしかない。それ以上に無念。家族よりもカルトを優先するなんて」と。

言いたいことは言っとかないと、こっちが後悔する。むしろ、後悔しないように言いたいことはピンピン生きているあいだに言っておいたほうがいい。

エホバの証人を生かせ

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エホバの証人のマインドコントロール大会の狂気に流す涙

エホバの証人の受難、バブテスマ

エホバの証人の大会とは?

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』から。

著者がエホバの証人の大会に潜入している。壇上の講演者の煽りと、聴衆の盛大な拍手。一体感と温もり。多数の人と同じ方向を向いているという安心感。

それ、全部ウソですから。マインドコントロール用に作られた茶番。スポーツやライブコンサートでも見に行けば、同じ感覚を味わえるから。

「こんな人達と一緒なら・・・、ダマされてもいいや」

いや、ダメでしょ。ダマされたつもりでやって良いのは、取り返しのつくことだけ。

取り返しのつかないマインドコントロール状態の人達。その人達と一緒ならなんて思ってしまう段階で、エホバの証人のマインドコントロール大会に呑まれている。

ものみの塔にダマされれば、人生まるっと搾取される。無駄な一生を送ることになる。無駄なだけでなく社会に害をもたらすカルト活動に人生を捧げることになる。親であれば、子どもや配偶者をも有害カルト活動に巻き込むことになる。

家族と、家族と自分自身の人生を損ねることになる。

エホバの証人の献身、ものみの塔に対する人身売買契約

エホバの証人の洗礼~バプテスマという献身の儀式に関する二つの誤解

カルト儀式、エホバの証人のバプテスマ

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エホバの証人(JW)の大会、現実逃避の茶番現代劇とは?

エホバの証人の茶番「現代劇」

エホバの証人の現代劇からあぶりだされる真実

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』より。川崎事件の調査のため、エホバの証人組織に潜入中の著者。大会に参加したときのエピソード。「現代劇」を見てほのぼの、いいなあとつぶやいているのだが、全く同意できず。

エホバの証人の「現代劇」という茶番で繰り広げられる、現実逃避の「悲劇」にツッコミを入れておきたい。ほのぼのというか、お馬鹿さんすぎるので。

現代劇の内容は4人兄弟の子どもがいるエホバの証人一家の話。エホバの証人版ホームドラマ「ひとつ屋根の下」。4人がそれぞれ問題を抱えていて、父親が聖書から助言を与えると、あーら不思議、全解決という安直な展開。

  1. 長男、エホバの証人仲間としている事業で金銭トラブルでもめている。
  2. 次男、夫婦で開拓奉仕という年間1,000時間ものエホバの証人活動を行っているので経済的に困窮
  3. 三男、クラスメイトの女の子に迫られている
  4. 長女、仕事に熱中し、若い上司を尊敬している

三男、長女は何の問題もないので、話を聞いておしまい、自分でどうしたいか考えさせればいい話。

長男、次男の問題はエホバの証人に根ざしているので、エホバの証人やめようねで解決。

問題の根源は全てエホバ。

うっかり鯨やうっかり輸血は許される、エホバの証人

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

お先真っ暗、エホバの証人家族

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カルト宗教の2世信者が救われる方法~映画『星の子』より

映画『星の子』

エホバの証人の悪い習慣、「信じてるのか・・・」

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以下、ネタバレ。

 

 

 

 

映画『星の子』の”宗教”と、エホバの証人との類似点。

・騙されている奴にどれだけ真っ向から騙されていると言っても通じない。

劇中の宗教が信者に売りつけている高額水。偉い学者の先生が効能を認めているとされている。それが虚偽、騙されていると、外部の人間なら中学生でも分かるのだが、本人は騙されていないと言い張る。

ソースを調べない習慣。エホバの証人も同じ。ものみの塔の宗教本に引用されているパッと見は権威のありそうな文献。それらはほとんどが、ものみの塔に都合の良い部分だけが恣意的に切り取られている。

そんなの当たり前。誰がカルトの擁護なんかするかっての。特に権威ある文献ならばなおさら。ところが、エホバの証人は、劇中の能天気で風邪を引かない中学生にも「信じてるのか・・・」と絶句させるほどに、ものみの塔を信じちゃってる。

カルトの集会、大会、集金システム

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『星の子』~宗教2世の生きにくさ、いったい何のために生きている?

映画『星の子』

宗教2世の身が引き裂かれる感覚

宗教2世がテーマの日本映画『星の子』、昨日の記事の続き。AmazonのPrime Videoでプライム会員無料(2022/6現在)。以下、ネタバレなので、未視聴の方はご注意下さい。

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以下、ネタバレ。

 

 

 

主人公は、家族で飲んでいる宗教の高額水のおかげで風邪を引かないはずなのに、簡単に風邪を引く。もしかして騙されているのかと疑い始めるものの、それでも騙されているかどうかは「分からない」と苦悩する。

家族の異様な宗教が恥ずかしいのだが、騙されているとは判断できず、親族の救いを拒絶する洗脳状態。もしくは親を捨てきれないためか。心から心配してくれる親族が敵に見える感覚。

この辺はエホバの証人2世だった私の経験と酷似。私は、ダサいエホバの証人に混じるのと、学校の行事に参加できないのが死ぬほど嫌だった。であるのに、エホバの証人の教理は概ね真実だと疑いもしなかった。

子どもの頃から繰り返されてきた洗脳の成果。エホバの証人に反対する者、エホバの証人でない者は悪魔の手先であると教えられた。例え親族、親友でも。

本来のなりたい自分とダサい宗教2世という乖離、カルト親なのに愛し愛される両親であるという矛盾。この差が宗教2世の身を引き裂かれるような感覚を生む。

神の存在を許すか、許さないか、それは自分で決めること

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