エホバの証人(JW)2世の子供、自殺と自傷行為

子供を追い詰めるエホバの証人

エホバの証人の布教活動中のケガ

私が小学校に入る前のこと。両親は狂信的なエホバの証人で、私は毎日、エホバの証人の伝道奉仕活動に連れ回されていた。伝道奉仕とはエホバの証人の布教・勧誘活動のこと。家から家を周り、呼び鈴を鳴らし、新規信者の獲得を目指す。

ある日の伝道中、私はふとしたはずみで手にケガをした。エレベーターのドアに手を挟まれてしまったのである。

両親と一緒に伝道をしていたのだが、私を渋々病院に連れて行ったのは母だけだった。父は伝道活動中のエホバの証人のリーダー的な存在だったので、その場を離れることが出来なかった。

父が病院について来てくれなかったことはどうでも良く、私は全く別のことを考えていた。「ケガをしたら、伝道奉仕活動のために歩き周らなくて済む」ということに気付いて唖然としていた。

エホバの証人の子供が病弱な理由

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神の声より、子供の声に耳を傾けるべきエホバの証人

エホバの証人親子の悲哀

ドメスティックバイオレンス大好きエホバの証人

私は、ほぼ生まれながらのエホバの証人2世だった。小学校に入る前から、両親に連れられてエホバの証人の布教活動に従事した。しかし、子供の私はこの自称「伝道奉仕活動」が大嫌いだった。

しかしながら、「伝道奉仕が嫌だ」と親に言おうものなら、とんでもない懲らしめが待っていた。懲らしめとは単純な体罰。お尻を、ベルトや素手でこっぴどく叩かれる。しかし、私の両親も大多数のエホバの証人の親も、元はDV(ドメスティックバイオレンス)大好きの暴力人間ではなかった。

エホバの証人の親は、深いマインドコントロール状態にある。

子供がエホバの証人の規定に沿わないことを言い出すのは、「悪魔サタンの誘惑に屈しているからだ」と、教団によって信じ込まれている。さらに、「明日にでもハルマゲドンという終末が来る」とも信じ切っている。

その終末、大艱難を親子で生き残るためなら、子供のお尻くらい、何度でも引っぱたく。そこで手加減することこそ、悪魔サタンの誘惑に自分が屈することだと思い込んでいる。

エホバの証人の親は、子どもを悪魔から引き戻すために、懲らしめという暴力行為に及ぶ。最初はそうなのだが、暴力は麻薬。子どもは叩けば言うことを聞く。すると、悪魔云々関係なく、いずれは親の思いどおりに子どもを動かすために手をあげ始める。

エホバの証人の神権的戦術という詭弁

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中卒上等のエホバの証人2世、綱渡りの10代の進学

エホバの証人の教育方針とは・・・

エホバの証人の教育方針

私は物心ついた頃からエホバの証人の2世信者として育てられた。

エホバの証人とは通称JW、自称キリスト教系の新興宗教。日本国内ではものみの塔聖書冊子協会という名称でも知られている。アメリカ合衆国由来のカルト。

2世信者とは親の宗教を押し付けられる子どものこと。

私がエホバの証人として子ども時代を過ごした1980年代、信者の子どもたちに通常の教育は不要という風潮があった。そのため、私は幼稚園や保育園といった幼児教育を一切受けていない。義務教育だけは仕方が無いので受けさせるが、高等教育は不要であるとされていた。

エホバの証人が子どもへの教育を軽視するのは、まもなくハルマゲドンというこの世の終わりが来て、世界の仕組みが全部無くなるという理由から。勉強して、学歴を身につける必要などないと考えられていた。決して、学歴だけが教育の成果ではないのだが。

これは、私がエホバの証人をやめた1990年代前半頃までのこと。

1914年の嘘と1995年の冗談

1995年のものみの塔協会を知らないエホバの証人2世

ものみの塔協会、ノストラダムスより焦っていた

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元エホバの証人2世、幼少期の水筒と有害ボランティア活動の記憶

エホバの証人2世、水筒の記憶

エホバの証人の有害なボランティア活動

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人だった。両親は、狂信的なエホバの証人信者だった。

私は、小学校に入る前から教団の布教活動に連れ回されていた。

母親は正規開拓奉仕者と呼ばれるエホバの証人の伝道者。正規開拓者には、年間1000時間をエホバの証人の布教活動に費やすことが要求される。

私も、幼稚園や保育園といった幼児教育を一切受けず、母と一緒に家から家へと周る布教活動を行わされていた。

この布教活動は、エホバの証人からは伝道奉仕活動と呼ばれている。この奉仕活動は、炎天下だろうが雪が降っていようが関係なく決行。水筒を持って、ひたすら家々を回り、呼び鈴を鳴らす。

母は毎日、午前中はみっちり3時間、午後も”留守宅訪問”※などと称して、伝道奉仕に明け暮れていた。これが年がら年中休みなし。一銭の儲けにもならないのに。誰のためにもならない無償の伝道活動。完全な病気。
※留守宅訪問、通常の集団での布教活動の際に留守だった家を把握しておき、個人的に時間帯を変えて訪問すること。帰宅後を狙って夕食時とか。

この伝道奉仕活動を、当時の日本のエホバの証人はボランティア活動と呼んでいた。「エホバの証人の勧誘に来ました」というより、「ボランティア活動で来ました」と言った方が、明らかに聞こえが良いから。

ボランティアと言うのなら、そこら辺のゴミでも拾っていた方がマシなのだが、エホバの証人は有害な布教勧誘活動を熱心に行う。

この信者を獲得するためのエホバの証人の伝道時間が、エホバの証人というカルト教団の存続を支えている。数打てば当たるもので、不幸なことにこの伝道をきっかけに入信してしまう人が出てくる。

エホバの証人の勧誘のための伝道奉仕活動

元エホバの証人2世の水筒の記憶

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エホバの証人、崩壊が約束された盲信ありき偽りの家族関係

崩壊が約束されたエホバの証人家族

14才、エホバの証人をやめたあと

私はエホバの証人の神権家族で育った。

エホバの証人というのは自称キリスト教系の新興宗教。日本では、ものみの塔聖書冊子協会という名称でも知られている。

神権家族というのは、エホバの証人用語で、両親ともにエホバの証人という家庭のこと。当然のように子どももエホバの証人であることを強制される。いわゆる2世信者。

私は14才のときにエホバの証人をやめた。自分の意思で、両親と決別する道を選択。この時点で、私はバプテスマというエホバの証人版の洗礼を受けていなかった。バプテスマは献身とも呼ばれる。「身も心も、何もかもをものみの塔に捧げます」と誓うこと。

もしも、エホバの証人をやめる前にものみの塔に献身していたら、私は教団の戒律に従い排斥処分になっていた。排斥というのは、ものみの塔的重罪者を破門し、信者の間で村八分にすること。たとえ家族でも、排斥者とは最低限の接触しか許されない。

私が17才から18才頃の話。私は、未成年にして喫煙や飲酒も始めていたし、当時、交際していた彼女とも体の関係があった。これらは、ものみの塔的には重罪。献身済の信者は徹底的に裁かれるのだが、私のような非献身者は排斥にはならない。

私は排斥上等だったのだが、私の望む望まないに関わらず、排斥処分を受けることはなかった。この頃の私は、二度とエホバの証人に戻るつもりはなかった。当然、今でも同じ。だから排斥になろうと何だろうと、私にとっては大きな問題ではなかった。

エホバの証人の家族への限定的愛情

両親を裏切ることに心を痛めるエホバの証人2世

エホバの証人、偽りの家族関係

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思考停止のエホバの証人(JW)、自分の頭で考えろ

「今」は二度と来ない

エホバの証人をやめるための勢い

私は生まれながらにエホバの証人の2世信者だった。両親ともに異常に熱心なエホバの証人だった。エホバの証人が言うところの神権家族。

エホバの証人とは通称JW、米国由来の自称キリスト教系の新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会という名称でも知られている。

私は小学校高学年の頃から、いつかエホバの証人をやめたいと考え始めた。この頃に、両親の顔色を伺いバプテスマを受けていたら、私の家族関係は今よりも悪い状態になっていたに違いない。

現在の状況でも両親は離婚し一家離散。両親が死ぬまでに顔を合わせることはもう無いだろう。私も、両親それぞれと数年に一度会うか会わないか。

もしも、私が偽りのバプテスマを受けていたら、遅かれ早かれエホバの証人組織から排斥処分になっていた。

バプテスマとは通常のキリスト教でいう洗礼とか浸礼の儀式。バプテスマは、エホバの証人には献身とも呼ばれ、何かもをものみの塔協会に捧げるという誓いの儀式。

このバプテスマを受けると正式なエホバの証人とみなされ、ものみの塔の教理に背いたり、背教じみた言動をとると排斥処分になる。排斥とは、教団組織からの破門処分のようなもの。

エホバの証人は、排斥者とは家族であっても、必要最低限の接触しか認められない。

私は14才のときにエホバの証人をやめた。この頃の私は、サッカーに熱中していて、サッカーをしたいという自分の目的のためなら、家族の崩壊すら厭わなかった。

ある意味怖いもの知らずの状態。しかし、これくらいの勢いがないと幼い頃からのものみの塔による洗脳状態から脱することは難しい。

自分が滅ぼされるはずのハルマゲドン、天上から我々を監視している神エホバはやはり恐ろしい。そして、その神の是認を受けた親は絶対に間違わないとも洗脳されている。

ハルマゲドンとはものみの塔がとなえる終末の日のこと。このハルマゲドンで生き残るのはエホバの証人だけという設定。ハルマゲドン生還のエホバの証人は楽園となった地球で永遠の命を得ることになっている。

また、エホバの証人をやめることは、親を裏切ることと同義であるともエホバの証人の子供たちは考えている。

何らかの勢いをつけないと、エホバの証人の2世信者は脱会することが出来ない。子供の頃から受けたものみの塔による洗脳はそれほど深かった。

両親を裏切ることに心を痛めるエホバの証人2世

エホバの証人、親子累々に及ぼす負の連鎖

エホバの証人よ自分の頭で考えろ

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マインドコントロール両親により、エホバの証人組織への献身から守られる皮肉

エホバの証人の狂信儀式バプテスマ

エホバの証人のバプテスマとは

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人という宗教の2世信者として育てられた。両親は狂信的なエホバの証人で、父は会衆の長老、母は正規開拓者という年間1,000時間を布教活動に捧げる狂信者だった。エホバの証人でいう所の神権家族。

私は小学校高学年の頃から、どのようにして、いつエホバの証人をやめるかということを考えていた。この頃の私の考えは、両親にある程度見透かされていたのかも知れない。

そんな私にバプテスマを受けさせ、正規のエホバの証人にしてしまうことは、私の教団からの排斥リスクを高めることになる。

エホバの証人のバプテスマとは一般的なキリスト教の洗礼・浸礼の儀式のこと。献身とも呼ばれる。バプテスマを受けて教団に献身すると、正式なエホバの証人と認められ、周囲の信者から○○兄弟、○○姉妹と呼ばれる。

バプテスマは、単なるプールに潜らされる儀式で何の意味もない茶番。とはいえ、マインドコントロール信者にとっては一生に一度の晴れ舞台。バプテスマプールの水にはなんの効力もないのだが、信者の精神に与える影響は少なからず存在する。

脱会者の中でも、バプテスマを受けたか受けていないかを「水没」「非水没」と呼んで、区分している。

信者の精神的な影響もさることながら、「水没」か否かは、信者周辺の物理的環境に及ぼす影響が大きい。

それがエホバの証人の排斥制度。

エホバの証人の排斥とは

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14才、エホバの証人2世の悩み、怖いのは排斥じゃない

エホバの証人2世の抱える恐怖

エホバの証人が恐れる排斥処分とは

エホバの証人の信者で、宗教活動への参加が不定期になり、そして全くゼロにという人のことを、”組織を離れた”と、現役信者たちは言う。やめたわけではないし、いつでも門戸は開かれている、むしろ、いつでも戻ってきて欲しいというニュアンスを含んでいる。

しかし、組織から破門状態になる排斥処分は全く別。故意に戒律を破ったり、背教めいたことを口にしたりすると、組織から追い出される排斥処分になる。

組織側の現役エホバの証人は、排斥者と街で偶然会っても会話をしてはいけない。一緒に食事をするなどもってのほか。挨拶ですら禁止。排斥者に不用意に関わると自身まで排斥になりかねない。

教義に反した罪人とされる人に、救いの手を差し伸べない態度はいかにも幼稚。宗教者の風上にもおけない了見の狭さ。この事実は、エホバの証人は宗教人でなく、ただの組織人であることを示している。組織上層部からの命令には何が何でも従う組織崇拝者。

幼い頃から深く洗脳されたエホバの証人2世の子供にとって、排斥処分というのはとても恐ろしく感じられる。

幼い頃からエホバの証人という狭いコミュニティの中で育ち、エホバの証人以外に同じ年頃の友人など存在しない。教団は信者以外の人との交友を避けるよう推奨しているから。

エホバの証人2世は季節毎の行事に参加させて貰えない。そんな変わり者のエホバの証人2世が教団外の友人を作ることは難しい。

組織内の人間関係に依存しきっているのは大人の信者も同じ。教団から追い出され、村八分にされるのは恐怖。

精神的な面だけでなく、経済的にもエホバの証人組織に依存している場合もある。勤め先がエホバの証人経営だったりすると、排斥処分になるのは手痛い。仕事と信条は別、といった融通のきいた考え方ができないのが組織崇拝者のエホバの証人。

排斥というエホバの証人の死刑宣告

死ぬ気になればエホバは怖くない

14才、エホバの証人2世の悩み

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排斥を避けるため、息子をバプテスマから守った私の両親

エホバの証人2世のバプテスマ

エホバの証人2世の子どものバプテスマ

私は家族全員がエホバの証人という家庭で育った。エホバの証人の通称「神権家族」。父は会衆の長老、母は正規開拓者というでエホバの証人的にはサラブレッドとも言える最悪な状況。私は、その最低な家庭で、エホバの証人の2世信者として育った。
※長老とは会衆の責任者、正規開拓者とは年間1000時間(2022年1月現在はコロナ禍で時間制限が撤廃中)を布教活動に費やすヒマ人のこと

エホバの証人の2世信者の中には、小学校高学年ぐらいからバプテスマという洗礼の儀式を受け始める子どもが現れる。ところが、サラブレッドであるはずの私は、中学生になってもなぜかバプテスマの儀式を先延ばしにされていた。

バプテスマは献身の儀式とも言われ、エホバの証人の献身の実情は、神エホバではなく、ものみの塔協会に対して忠誠を誓う儀式。

私はエホバの証人をやめたいと、いつも強く願っていたし、神であろうと組織に対してだろうと、献身したいとは全く思っていなかった。ただ親から求められれば仕方が無いので、偽りの献身をしたはず。

表では組織の戒律に従っているものの、隠れた場所ではものみの塔の戒律を破り、心中ではエホバの証人をやめたいと私は思い続けていた。献身の儀式も私にとっては、ただの儀式でしかなかった。

私のバプテスマが先延ばしにされていたのは、私にそのつもりが全く無かったことが第一要因。しかし、それとともに両親の私に対する愛情でもあったのではないかと、今の私は考えている。

エホバの証人の中ではまともな方だった私の両親

最後の最後で、ものみの塔から私を守った両親

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エホバの証人の親が優先すべきなのは、神でも永遠の命でもなく・・・

JWの親のすべきこととは

子を捨てても、自分の命を優先するエホバの証人

エホバの証人の世界では、教団から破門された人に対して街で会っても挨拶することすら許されない。エホバの証人の破門は排斥と呼ばれ、エホバの証人的村八分状態。重大戒律を破ったり、背教じみたことを口にすると排斥処分になる。

たとえ排斥されたとしても、排斥対象者が未成年だったり自立能力がない場合は、保護者が最低限の生活を保障をしなければならないことにはなっている。

さすがのエホバの証人とはいえ、この程度の常識はある。最低限の義務教育を受けさせること、衣食住など生命を維持するための保護は、子どもが排斥された後であっても、エホバの証人の親が行わなければならない。

しかし、それ以上の深い関わりを持つことは禁じられている。家族間の暖かなコミュニケーションは、排斥者がいるエホバの証人の家庭には存在しない。

しかし、私の両親は一人息子であった私に対して、私が排斥されていたとしても1人の親として独立するまで見届けてくれたような気がする。

私がエホバの証人をやめた後で、両親もエホバの証人をやめた。それを考えても、家族と宗教のどちらを上位に置くべきなのか、最後の最後でその正常な判断ができる人たちだったのかも知れない。

エホバの証人の幻想である永遠の命と、子どもとの絆、それを天秤にかけてみれば良い愛する子どものいない環境での永遠の命、そんなものに意味はない。子を捨ててまでも、自分の永遠の命を求める、というエゴイストな考え方は改めるべきだ

聖人と自分を等しいと、誤解しているエホバの証人

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