お年玉が寄付箱へ流れる、エホバの証人の集金システム

エホバの証人がお年玉を禁止しない理由

エホバの証人は、教団の教理にのっとるならお年玉の受け渡しをしてはいけないはず。しかし、なぜか私の家ではお年玉が許されていた。親も親戚の子供に渡していた気がする。

私の両親は異常に熱心なエホバの証人だった。そのため、親族の葬式で焼香はしなかったし、読経の際にはわざわざ席を外していた。私も、エホバの証人の戒律に従い、ありとあらゆることを禁止された。

それにも関わらず、お年玉の受け渡しだけはしていたのは、教団が特別にお年玉を禁止していないから。

エホバの証人は、お年玉の起源が何であるかも調べず、単純に教団の言いなりになっているだけ。この際、しっかりと自分でお年玉の由来について調べることをお勧めする。

ついでに、エホバの証人初代会長ラッセルの私生活や、エホバの証人の輸血が解禁されている国があることなども調べてみてはどうだろうか。自分で何も調査せず、何も考えずという状態は良くない。その思考状態で聖書研究など出来るわけがない。

お年玉の”たま”は魂のたま。その魂は年神様という神道の神様のもの。自称キリスト教徒のエホバの証人としては明らかに異教のイベント。

エホバの証人がお年玉を禁止しない理由、それは子供が貰ってきた現金が回りまわって教団の資金になるから。組織としては、1月にお年玉のあがりが寄付として多く集まるのが都合が良い。

そのため、特にお年玉を禁止だとは言わない。年賀状の場合は信者が送りあったところで、単に時間の無駄なので禁止だった。

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お年玉は、エホバの証人の寄付箱へ

私も子供の頃、貰ったお年玉を取り上げられはしなかったが、強制的に半分以上は教団の寄付箱に入れさせられていた。両親もそうさせることで、年賀状とお年玉は何が違うのだろうという疑問や、薄っすらとした罪悪感をごまかしていた。

エホバの証人お得意の神権的戦術。エホバの証人の戒律に背いているようで、実は教団の利益に貢献しているから問題ないという考え方。

クリスマス会に参加して、プレゼントを貰ってきて、転売する。そうして得たお金を、エホバの証人の寄付箱に入れればいい。そうすれば、エホバの証人が忌み嫌うクリスマス会にも参加できる。どうだろうか?これはおかしいだろう。

クリスマスもお年玉も何ら変わらないイベント。お年玉だけちゃっかり、寄付箱に入れさせているのは、矛盾。親族も、まさかお年玉がカルトの活動資金にされているなどとは思いもしない。

私は、エホバの証人はお年玉の交換をするべきではない、などと言うつもりはない。エホバの証人がお年玉の交換をするのは明らかに矛盾があると、事実を述べているだけ。

物事を自分で調べて、それを噛み砕いて考える癖をつけないと、いつまでも教団組織にとって都合の良い生き方をさせられる。

どうせなら、来年はエホバの証人ごとやめて初詣に行ってみればいい。そしてお年玉を親族と気持ちよく迷いなく交換すればいい。きっと良い1年になる。


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