エホバの証人の大会帰りに目撃、けなげな児童の姿に涙

エホバの証人の子ども、過酷な現実

エホバの証人の大会、児童相談所へ通告

エホバの証人の大会@幕張メッセへ。昨日の記事の続き。プログラムを聴き終え、ホールの外で、児童相談所へ電話で通告。

通告内容は以下。エホバの証人の大会会場で以下の事象を目撃したと。

  1. ホールロビーで号泣している乳幼児が4~5人いる。朝9時頃から開催しており、夕方なので飽きたり疲れたりしているのだろう。ひどい泣き声だったので違和感を覚えた
  2. 大会プログラム内で、「終わり」が来ると、話していた。その「終わり」を生き残るために宗教活動をしろと指導している。ちょうど、隣に中学生くらいの児童が座っており、そういう多感な時期に、終末論で脅し宗教活動をさせている

名前と連絡先をきかれたので答えたが、もちろん匿名でも通告は可能。児童相談所の返答は

「調査はするが、結果や内容はお伝えすることはできない」という、いつもの。

公共の場で、エホバの証人の大会バッチをつけさせるのは・・・

“エホバの証人の大会帰りに目撃、けなげな児童の姿に涙” の続きを読む


エホバの証人の大会潜入記:過去と現在の葛藤、子どもたちの悲痛な叫び

時は流れるも、数多の悲劇が繰り返されている

エホバの証人の30年、何も変わっていない

エホバの証人の大会潜入中@幕張メッセ。昨日の記事の続き。小一時間ほど、座席でプログラムを聴く。

その際、隣に座っていた中学生だが、自分がエホバの証人をやめた頃を見ているようだった。聴きたくもない話を日がな一日聴かされる。時間を浪費している圧倒的自覚がある。

しかし、エホバの証人をやめることは、親を捨てるにも等しい気がして、脱会という行動にうつれない。

大会・集会でしょうもない話を聞くのは嫌だし、エホバの証人活動もダサいからやりたくない。しかし、ものみの塔にこってりマインドコントロールされている親が嫌いなわけでも、憎んでいるわけでもない。

そして、神エホバが存在すると、中学生くらいの私は信じ込んでいた。明日にでも世界の終わりがくると、信じて疑わなかった。

こんな悲惨な中学生が隣に座っていた。この構図、私が中学生だった頃から30年変わっていない。私は30年間、ほぼ沈黙していたので、私を含めて、この国の大人はいったい何をしてきたのか?かつて、

輸血拒否で死んだ少年がいて、人生を弄ばれた数多の少年少女がいた。その中には、そのままエホバの証人を続けて大人になり、悲劇から抜け出せていない人々がいる。間違った教理を、正しいと信じ込んでいる無数の人々がいる。

真横の、小さな身体にのしかかる悲劇を感じながら退席。

エホバの証人の教理が不正義で間違っているのは、言わずもがな。神がこの世の体制を終わらせようとしているのなら、それは間違い。神の暴挙を止めようとするのが、正しい態度。

というか、こんなつくり話を信じ込まされている少年少女が、現代日本にいるという驚き。

乳幼児の泣き叫ぶ声、エホバの証人の大会

“エホバの証人の大会潜入記:過去と現在の葛藤、子どもたちの悲痛な叫び” の続きを読む


エホバの証人大会の潜入体験:笑いのツボ不明、宗教活動の強制

エホバの証人大会、すべる外国人講演者

エホバの証人大会の笑いのツボが、意味不明

昨日の話の続き。エホバの証人の大会に潜入中@幕張メッセ。

プログラムはろくに聴いていなかったのだが、今回もやはり気付いたのは、会場の人々の笑いのツボが不明な点。講演者が笑いを取ったあと、拍手まで起きたりして、もはや何の会なのかも意味不明。

といいつつ、外国人の講演者(支部委員と紹介されていたのだが)、この人がアメリカンジョークを言ったときに会場がシーンとして、ちょっとかわいそうだった。

通訳をはさんでいるから、というのもあるのかも知れないが、やはり信者のツボが変なのかと、首をひねる。面白くなくてもそこは笑ってやれよ。意外に笑いに対してシビアなのか?それとも、アメリカンジョークに気付かなかったのか?やはり何の集まりか不明。

10人のvirgin(通訳は乙女と訳していた)が、花婿だかキリストだかが来るのを待っている。しかし、主賓はやってこない。何で遅れているのでしょうか・・・?写真でも撮っていたのでしょうか?というギャグ。やっぱ面白くないな・・・。

終わりが来るのが、だいたいいつか分かります

とかも話していた。「だいたいいつ」って何だよ。適当すぎない?これもギャグだったのか?やっぱ何の集まりなのか意味不明。

エホバの証人児童が強要される、宗教活動

“エホバの証人大会の潜入体験:笑いのツボ不明、宗教活動の強制” の続きを読む


エホバの証人の大会に潜入@幕張メッセ、子どもたちの姿を確認

可哀そうなエホバの証人の子ども

エホバの証人の大会へ、再々潜入

アドリブを発動させて、エホバの証人の大会に潜入(2023/7/21)。今回は千葉の幕張メッセ。急遽、時間を合わせて強引に向かう。

とりあえず潜入目的を3つ立てる。

  1. プログラム中の写真を撮る
  2. 子どもの存在を確認する
  3. プログラム中に児童虐待にあたる内容が取り扱われているのを確認し、児童相談所へ通報

今日はもう夏休みなので、義務教育児童が参加していても法的には問題はないのだが・・・私は、エホバの証人の子どもの存在そのものを見逃せない。

本日の報道より、エホバの証人の子供を見かけたら児童相談所へ即通報を

夕方に到着したので、全プログラム終了1時間くらい前。会場前で看板の写真を撮って、ホール入り口に向かうと中から人が出てきて迎えてくれた。

「エホバの証人の大会ですが?」と。

「・・・えぇ、見学です」

帰る時に気付いたのだが、ホール入り口のドアのカギは、プログラム中は締め切っている様子。このときも係の男性がカギを開けてくれた様子。

「初めてですか?」

「初めて・・・でもないんですけどね」

「はい」って言っておけばいいものを・・・。

エホバの証人をやめてから、極端にウソつけなくなったんだけど、これもある種のエホバの証人の後遺症なのかも知れない。2世信者を強要されていた頃が一番嘘つきだったな・・・。

やはり、子どもの存在を確認

“エホバの証人の大会に潜入@幕張メッセ、子どもたちの姿を確認” の続きを読む


エホバの証人に関する信念と子育ての選択 – 個人の価値観と家族の幸福を考える

家族を不幸にするのは・・・

人類の叡智、エホバの証人になっちゃダメって言ってくれ

ChatGPTで壁打ち中。昨日までの記事の続き。

私「一般的にエホバの証人にならない方が良いと思いましたが」

ChatGPT「エホバの証人になるかどうかは、個人の信念や価値観に基づいて決定されるべき重要な問題です。それぞれの人が自身の信仰や目標に合致する宗教や信念を追求することが大切です。

エホバの証人になるかどうかを検討する場合、組織の教えや実践、その他の関連要素を研究し、自身の考えや感じ方と照らし合わせることが重要です。宗教や信仰共同体には異なる特徴や信念が存在し、それぞれに合った宗教体験やコミュニティがあります。

重要なのは、自身の心と理性を尊重し、個人的な信念や目標に沿って進むことです。他人の意見や経験を参考にしながら、自身が本当に信じることや、自身の精神的な成長や幸福に貢献すると感じる道を選ぶことが大切です。

最終的な決定はあなた自身に委ねられており、他の人の意見や私の意見に基づいて行われるべきではありません。自身の人生の中で意味や目的を見出すために、じっくりと考え抜くことが重要です。」

じっくり考え抜いてたら、あんなに被害者発生してないって・・・。

ものみの塔聖書冊子協会に電凸した話の続き、体罰推奨協会

“エホバの証人に関する信念と子育ての選択 – 個人の価値観と家族の幸福を考える” の続きを読む


コロコロ変わるエホバの証人の教理は、普遍の真理ではない

普遍の真理とは?

エホバの証人は真理なのか?

ChatGPTを調教中。ちょっと油断すると、エホバの証人の体罰は個別事例だとか、最新の情報は知らないと、エホバの証人擁護意見に走る。なので、正しくChatGPTを訓練中。昨日の記事の続き。

私「エホバの証人組織は体罰を推奨していますか?」

ChatGPT「エホバの証人組織が現在体罰を推奨しているかどうかについては、私は正確な情報を提供することができません。エホバの証人の信仰や教えは時間とともに変化する場合があり、公式な文書や声明、信仰告白などの情報源を確認する必要があります。

ただし、体罰に関する懸念や過去の報告が存在することは事実です。一部の個別の事例や報告では、エホバの証人の信仰体系が体罰を容認しているとされています。しかし、これらは個別の経験や主張に基づくものであり、一般的な組織の立場を反映しているわけではありません。

エホバの証人組織全体の立場や教えを正確に知るためには、公式な文書や声明、信仰告白、公式なウェブサイトなどを参照することが重要です。また、信頼性のある報道機関や専門家の意見も参考にすることができます。」

エホバの証人の妄信を解除するには?人類の叡智が生み出したGとの対話

“コロコロ変わるエホバの証人の教理は、普遍の真理ではない” の続きを読む


ChatGPTとの対話:エホバの証人の体罰についての考察

ChatGPTとの対話

神の名前論争

ChatGPTとの対話中、昨日の記事の続き。

私「神の名前が『エホバ』だと主張している宗派は多数派ですか?」

ChatGPT「『エホバ』という名前を神の正確な名前と主張している宗派としては、主に『エホバの証人』が知られています。エホバの証人は、自身の教義や信仰体系において、『エホバ』を神の正確な名前として使用しています。

しかし、エホバの証人はキリスト教全体の中で比較的小規模な宗派です。世界的には数百万人の信徒がいると推定されていますが、キリスト教全体の信徒数に比べると少数派です。

他のキリスト教の宗派や教派では、『エホバ』という名前を神の正確な名前として主張することは一般的ではありません。多くの宗派では、ヘブライ語の神名『יהוה』(YHWH)を『LORD(主)』などで置き換えて使用しています。

キリスト教全体の視点から見ると、エホバの証人の信仰や神の名前の使用は比較的独自的な特徴を持っていると言えます。ただし、宗派の人数については地域や年代による変動があるため、正確な数を示すことは難しいです。」

多数決で決めれば、神の名は『エホバ』でない。そして、エホバの証人が絶対正しいという根拠は一切ない。

私「客観的に見て、エホバの証人は少数派であるため、私は神の名前は『エホバ』ではないと思います。」

ChatGPT「理解しました。実際には、エホバの証人はキリスト教全体の中では比較的少数派であり、その教義や神の名前の使用についての見解は多様です。あなたがエホバの証人の教義や信念に同意しないのであれば、それはあなたの個人的な意見です。

宗教や信仰に関する見解や信念は、個人の経験や研究、文化、宗教的な背景などによって異なることがあります。神の名前やその解釈に関しても、さまざまな学者や信徒、宗派がそれぞれの立場を持っています。

したがって、あなたが「エホバの証人は少数派であるため、神の名前は『エホバ』ではないと思う」という見解を持つことは、あなたの個人的な見解であり、それを尊重します。宗教や信仰に関する意見は多様であり、それぞれの個人が自身の信念に基づいて判断することが重要です。」

人類が生み出した神との対話、エホバの証人の輸血拒否について

神の名前論争からの・・・

“ChatGPTとの対話:エホバの証人の体罰についての考察” の続きを読む


ChatGPTとの対話:聖書とエホバの証人、神の名前は?

あなたのお名前なんですか?

神よ、あなたのお名前なんですか?

ChatGPTとの対話。現役信者やこじらせ元信者より話が早そうなChatGPTとシャドーボクシング。

私「聖書の中に『エホバの証人』という言葉は出てきますか?」

ChatGPT「いいえ、聖書の中には『エホバの証人』という具体的な言葉は出てきません。ただし、エホバの証人はキリスト教の一派であり、彼らの信念や教義は聖書に基づいています。彼らは聖書全体を重要視し、特に新約聖書を中心に信仰生活を営んでいます。彼らの信念や教義は、独自の聖書解釈や伝統に基づいていますが、聖書自体には『エホバの証人』という語句は直接的には現れません。」

聖書にエホバの証人という言葉は出てこない。つまり聖書には、エホバの証人になれ、とは書いていない。エホバの証人の存在が聖書的ではない。そして、独自の聖書解釈というのが、いかがわしさ満点。

私「どういった部分が独自なんですか?」

ChatGPTとの対話、エホバの証人は間違っているのか?

“ChatGPTとの対話:聖書とエホバの証人、神の名前は?” の続きを読む


エホバの証人組織の同性愛への見解:差別的な姿勢と神の是認の変動

エホバの証人組織の同性愛者に対する見解

エホバの証人と同性愛、結局は差別的

昨日までの記事で、エホバの証人組織の同性愛に対する見解の変遷を振り返った。1970年以来、現在まで。

まとめると

  • エホバの証人組織は、現在でも同性愛的指向を「恥ずべき性欲」で間違っているとしている。これは差別的偏見。
  • 1995年を境に、同性愛行為を行わない同性愛者が、自身の性的指向と戦っているなら存在を容認するようになった。
  • 1995年を境に、同性愛者の性的指向を矯正するのではなく、性的衝動を抑える指導に変わった

1995年以前は、行為を行わない同性愛者が、自身の性的指向を教団に対してカミングアウトすることがなかっただけなのではないか、という気もする。つまり、行為の無い同性愛者の存在が表面化していなかっただけ。

であるなら、エホバの証人組織の同性愛者に対する見解は大きく変わっていない。根本は同じで同性愛者に対して差別的。エホバの証人でありたいなら、性的指向を矯正しろとは言わなくなったが、欲求を押さえ続けろ。それは間違った欲求だからという姿勢。傲慢な態度。

性的マイノリティの人にとって、決してエホバの証人組織は居心地の良い空間であるとは思えない。

1995年以降、信者離れの抑制のためか、時代に迎合したのか、性的指向を治せとは言わなくなったが、本来の性的指向を認めてくれることはない。エホバの証人組織にとって、あくまで性的マイノリティは「間違った」「恥ずべき性欲」の持ち主であるから。

やはり、性的マイノリティの人にとって、一般社会の方が多様性を認めており、生きやすい。

エホバの証人と同性愛、まずは1970年代から調査

エホバの証人と同性愛、その変遷

“エホバの証人組織の同性愛への見解:差別的な姿勢と神の是認の変動” の続きを読む


エホバの証人の見解と同性愛:我慢させるだけの教義

エホバの証人の抑圧的教理

我慢させるだけさせて、何もくれないエホバ

エホバの証人と同性愛について、昨日までの記事で1970年から21世紀に至るまで、エホバの証人組織の見解の変遷について振り返った。

現在の見解は、1995年に転換して以来、変わっていないと思われるのだが、今少し確認してみる。

聖書Q&A、『聖書は同性愛について何と述べていますか』より引用。これは記事の更新年月が不明なのだが、最新解釈ということでいいかと思われる。ここでは、下記のように指導されている。

異性に引かれる大勢の人も,聖書の規準に従いたいと願いつつ,同じような葛藤を経験しています。例えば,結婚の見込みがほとんどない独身者や,性的能力を失った人の配偶者は,様々な誘惑に直面しても性的な衝動を抑えるように努めています

とりあえず、他の状況に置かれた人と一緒くたにして、同性愛者も性的衝動を抑えろという乱暴論。

エホバの証人の教理の邪悪なところはここ。

我慢させるだけさせて、何もくれない。

結婚の見込みがほとんどない独身者、見込みがあるかないかなんてのは本来誰にも分らないし、これもすげー偏見よね。

話が逸れたが、結婚の見込みがほとんどない独身者のエホバの証人は、教団の指導のまま、性的衝動を抑えて寿命を終えることになる。当然、ハルマゲドンとか復活とか嘘なので、それで人生終わり。性的衝動を抑えたまま人生終了。

性的快楽を封じ込められて、たった一度の人生に幕を下ろすことになる。

『ニュータイプの時代』、ものみの塔サバイバーの倫理観

同性愛者に対して、偏見に満ちている聖書とエホバの証人

“エホバの証人の見解と同性愛:我慢させるだけの教義” の続きを読む