我が子が大好き『クレヨンしんちゃん』
昨日の続き。昨日の記事の内容は
- 『クレヨンしんちゃん』作者がエホバの証人(ものみの塔)信者であったらしい
- 我が子が同作を毎週見ている
今日は、作品としての『クレヨンしんちゃん』について。
私は、何かの作品とその作者の負の面となる私生活を結びつけることはしたくない、と常々考えている。これは私が反エホバの証人であることは関係なく、単なる自分の考え。
主義とかこだわりまでもいかず、単にそう思うという程度。本ブログの主旨でもない。薬物所持とかで摘発されると、その役者が出演している作品が全部お蔵入りしてしまう。その風潮がどうなの?と思っているだけ。
「作品に罪は無いよね」という安易な個人的意見。
だから、『クレヨンしんちゃん』作者が最期までエホバの証人だったとしても、作者の信教を理由に、息子の視聴を禁止しない。
ガチンコの「ものみの塔」宗教本を子どもが読んでいたら、殴ってでも止めるのだが。
これは失礼。殴って止めちゃダメなので、自分の経験をこのブログのように脈々と話し、子どもを説得したい。延々と語らずとも、恐らく子どもたちは簡単に理解してくれるものと信じている。親よりも賢い子たちなので。
むしろ、ものみの塔的なカルト一切を当初から避ける賢明さを持ち合わせて成長して欲しい。親としても、危険物を寄せ付けない環境づくりをできる限りしておきたい。
「しんちゃん」が語るものみの塔の矛盾
『クレヨンしんちゃん』の作品そのものは非エホバ的。「親に不敬」はエホバの証人的には厳禁だし、お尻ぺんぺんとお尻を出すのは、懲らしめというエホバの証人の体罰への皮肉的オマージュ。
なので、反エホバの私が『クレヨンしんちゃん』に目くじらを立てる理由はない。とはいえ「もっとやれー」と言えないのは、やはり我が子に「しんちゃん」のマネをして欲しくないから。
ものみの塔は、多額の寄付金をもたらしドル箱となる有名人信者に対しては寛容で、作品や生活態度が背教的でも見逃される。「しんちゃん」の不品行暴走が見逃されているのが好例。
普通の信者は背教まがいのことを口にしようものなら、排斥という破門処分まっしぐら。ビンボーな一般信者には手厳しく、ドル箱著名人には寛大。キリストの正反対のカッコ悪さ。
作品が非エホバ的でも、作者の寄付金が多かったり、ひそかに広告塔になったりするので許される。この二面性が、ものみの塔が物質・拝金主義である偽善団体である証拠。
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