エホバの証人と自殺
エホバの証人組織が高齢化しているという話があるが、若い世代にも被害者は多数いる。自殺者まで存在する。キリスト教そのものは自殺を禁止しているので、当然エホバの証人も自殺は禁止している。それなのに、なぜエホバの証人に自殺者が多いのだろうか?
- 私自身に自殺未遂の経験がある
- 私の父親もエホバの証人をやめた後、自殺未遂を起こしている
この2つの最悪な家族の体験から、エホバの証人と自殺について考えてみる。
包丁での自殺未遂
私自身にも強い自殺願望があった。かつてエホバの証人2世として地獄の日々を送っていた頃である。14歳の秋にエホバの証人をやめたので、物心ついてから中学2年生になる間だ。
最初の自殺未遂の記憶は手に包丁を握っている瞬間である。まだ幼児か小学生の低学年だと思われる頃。手に握った包丁を自分の体に向けている。台所の流し台の下から持ち出した包丁を、自分の体ぎりぎりまで近づけ、刺したら死ぬなと思っている。結局、自傷もせずに包丁を台所に戻した記憶。
腹を十字に切って、心臓を突き刺すくらいでないと、包丁で死ぬのは難しいだろう。無論、子どもの私にはそんな物騒な知識は無かった。力もないので自分を刺し抜くなんてことも出来なかっただろう。
単なる子どもの悪ふざけだが、相当に怖い、恐ろしい、気味の悪い悪ふざけだ。自分の子どもが同じことをしていたら、あなたはどう感じるだろうか?
道路への飛び出しでの自殺未遂
2番目の自殺未遂は中学生の頃だ。私は、トラックが走り抜ける国道を自転車で走っている。後ろからトラックが近づき、自転車に乗る私の体のそばを猛スピードで走り抜けていく。ちょっとでも自転車のハンドルをトラック側に切れば、私の体はトラックに潰され、引きちぎられるだろう。
何度も近づくトラックに向けて、自転車のハンドルを切ろうとした。実際に切ったことも何回かある。その度に、今一つ思い切りが悪く、大きくハンドルを切れなかった。
ほんの僅かの差で私は今、生き残っている。最悪の決断と選択である自殺で、一生を終えることがなく、本当に良かったと思う。
私はなぜ自殺しようと思ったのか?
最初の幼児の頃の自殺未遂の理由は覚えていない。中学生のときの理由は、はっきりと覚えている。恥をかくことが嫌で、それなら死んだ方がましだと思っていたからである。いったい、どんな恥をかくことが嫌だったのか?これを含めて下記3点は次回に。
- 私はなぜ自殺しようと思ったのか?
- 当時の私にとって、なぜそんなに命の価値が低かったのか?
- 父親の自殺未遂とは?
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エホバの証人2世の自殺と自傷行為についてはこちら
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