エホバの証人に自殺者が多い理由
なぜエホバの証人に自殺者が多いのだろうか?その理由を考えるために、前回は、私がエホバの証人2世だった頃に起こした自殺未遂について触れた。
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今回は下記2点から、エホバの証人に自殺者が多い理由を考察する。
- 私はなぜ自殺しようと思ったのか?
- 当時の私にとって、なぜそんなに命の価値が低かったのか?
私の自殺未遂の理由①
幼児の私は包丁を持ち出して、自分の体に突き立てようとしていた。この理由は今となっては定かではない。エホバの証人2世として、炎天下や雪の降る中を、来る日も来る日も伝道活動で連れまわされるのが嫌だったのか?きたるエホバの証人2世としての地獄の学校生活を予見していたからか?
どちらでもなく、ただの子どもの悪ふざけだったように感じる。気味の悪い、行き過ぎた悪ふざけなのだが、このふざけ過ぎにはきっちりとした理由がある。エホバの証人にとって命の価値は尋常でなく軽い。人間の命など、エホバの証人にとって吹けば飛ぶようなものなのだ。
なぜか?エホバの証人信者以外の人類は皆、滅ぼされると洗脳されているから。エホバの証人信者でない人は誰もが、優しいおばあちゃんや親族のおじさん、学校の先生、隣の家の人、誰もがもうすぐ神により滅ぼされ死ぬのだ。
エホバの証人信者は全員、今すぐにでもその終わりの日、ハルマゲドンが来ると洗脳されている。エホバの証人にとって、人類全員の命が短い期限付き。もしくは忠実なエホバの証人であるという条件付き。
エホバの証人の子供にとっても、命は低価値・短時間である。ゆえに自分の命も吹けば飛ぶほどに軽い。包丁で突き刺してしまえるレベルだったのだ。
私の自殺未遂の理由②
私の中学生の時の話。道路に飛び出して死んでしまおうとしたときの話だ。これにははっきりとした理由がある。学校で恥をかきたくなかったから。
エホバの証人2世だった私は、学校の部活動への参加が許されていなった。学校の活動より、ものみの塔協会の活動を当然優先すべき。両親にそう強制されていたのである。
私の中学校の男子生徒は全員、運動部に所属していた。地区大会が迫ると、出場選手は体育館の前方に並び壮行会が開かれる。上級生になると、男子生徒ほぼ全員が地区大会に出るので、不参加の私は一人、女子生徒に交じり体育館の後方から応援する側に回る。これが嫌で嫌で私は仕方がなかった。
エホバの証人は誰かを熱烈に支持することが許されていない。つまりは応援も禁止という、強引なロジックで応援することも許されない。野球の試合を見ても応援してはいけないのだ。どこからか応援になるかは微妙なのだが、応援歌や校歌の合唱、メガホンを振ったりはNG。
この壮行会では女子生徒に交じり、私一人が男子生徒、なおかつ応援行為も出来ず、一人座っているというダブルショックの地獄絵図。これが私は恥ずかしくてたまらなく、そんなことならトラックにひかれて死んでしまえという発想に至る。
大人になった今になると下らないことなのだが、思春期特有の問題であり、本人にとっては超重要なことだったのだ。さらに、エホバの証人として特殊な学校生活を送っていたため、自意識が過剰で他者の視線が恐ろしかった。
私は自分自身がハルマゲドンで滅ぼされるだろうという認識があった。①この頃の私は隠れた自慰行為に目覚めており、これはエホバの証人の禁止行為。これがハルマゲドンで私が焼き尽くされる理由①。
また親の手前、表面的にはエホバの証人信者であったが、②心の中では、神や親やキリストやものみの塔協会組織を呪っていた。これが理由②。目前に迫る終わりの日、ハルマゲドンを私が生きて通過できる見込みはゼロ。
どうせ長い命ではないのだから、生き恥をさらすよりはトラックにひかれてあっさり死んでも構わない。私の自殺願望はこうして生まれたのである。エホバの証人2世にとって命は異常に軽く、そして学校生活の重圧はその比にならないほどの辛さ苦しさなのである。
次回は私の父親の自殺未遂について触れる。
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