楽園に入りたくないエホバの証人2世
私は生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。
エホバの証人というのは自称キリスト教系の新宗教。日本ではものみの塔という呼び方でもよく知られている。
私は、14才のときに自分の意志でエホバの証人をやめる。苦心の末、やっとエホバの証人をやめるという決意を両親に告げた。
エホバの証人の集会へ出かける時間になったとき、両親に
「もう集会には行かない」と、言うのがやっとだった。
その後、集会から帰ってきた両親により、私の事情聴取が始まった。いったいどういうつもりで、もう集会に行かないというのか?ということ。
両親は、これ以前からの私のエホバの証人活動への身の入らなさから、ある程度はこういった事態を予想していたはず。この頃の私は、常にエホバの証人をやめたいと考えていて、理論武装を固めていた。
私の人生の意義はエホバの証人が求めるものとは違う。「ハルマゲドンまでの限られた命で構わないから、二度と繰り返されることのない現在、今を思い通りに生きたい」と話した。
エホバの証人である間は、かたくるしい教理に縛られ、何一つ自分の思い通りに行動できない。私は、それがもう我慢ならなかった。
エホバの証人は、すぐにでもハルマゲドンというこの世の終わりが来ると、マインドコントロールされている。
ハルマゲドンを生き残れるのは、清らかなエホバの証人だけ。ハルマゲドン後、エホバの証人たちは楽園に造り替えられた地球で永遠に生きるという設定になっている。
私は「両親と一緒に、楽園で永遠の命を享受したいとは思わない」と、はっきり告げた。
筋道が通っていて、エホバの証人をやめるには十分な理由なのだが、こんな話をしても、両親はただ悲嘆にくれるばかりで話が通じない。マインドコントロールが深いと、他人がどう考えているのか、おもんばかることができない。
マインドコントロール信者のなかにあるのは、自分とものみの塔の関係だけ。正しいのは、常にエホバの証人の教理。他のことが一切見えなくなっている。マインドコントロール親には、実の息子の本当の願いすら見えていない。
さらに、この頃の私はものみの塔の教理の矛盾にも気付いていた。この晩の事情聴取で、背教じみたことも両親に対して口にしていた。
批判的にエホバの証人の講演を聞いたり、疑いながらものみの塔の宗教本を読んだりすると、ツッコミ所はどれだけでも出てくる。完全、完璧な真理では決して無い、ということが見えてくる。
ものみの塔協会の不完全な教理は真理ではない
そんな話になると、人間は不完全だから、その都度神からの調整が入るのだと、反論される。ということは、
不完全な人間の組織であるエホバの証人組織はどう考えても不完全。これは間違いない。
続いて、教理を作っている統治体の成員も人間であり不完全。ということは、神に導かれて語るという真理も、人間である彼らを通じている以上は不完全。不完全な真理、それはもはや真理ではない。
こんな話になると、私の両親を含めたエホバの証人たちは、もう私とものみの塔の教理について話をしたがらなくなった。父はエホバの証人の長老で、まさか長老の一人息子が背教に走るなんて、ということを誰も口にできないから。
背教はエホバの証人組織では最大の罪。組織から追い出される排斥処分になる可能性が激高。両親にしてみれば、まさか自分の息子が背教者になるなんて、という驚きと悲しみがマックス状態。
これ以上、両親とものみの塔の教理について話すことは無かった。私の若気の至りだったのだが、そうやって人を言い負かすことに喜びを感じていた。背教上等、排斥上等という思いだった。
この頃の私は、人生の実りは今この瞬間だけにあると思っていた。ハルマゲドンまで太く短く生きるつもりだった。
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