大人の信者から受け継がれる裏表のあるエホバの証人2世の性格
誰でも、裏表の顔を使い分けている。エホバの証人2世として育てられた人々は、その二面性が顕著だと私は考える。親や大人たちの前で見せる顔と、自分より弱い者に対して見せる顔が全く違う。
両親を含めた大人のエホバの証人たちは、他人の噂や悪口めいた批評を影で言うことが良くあった。私の家庭では会衆内の他の信者についての噂話が絶えなかった。
会衆とは、地域ごとのエホバの証人の集まりのことで、人口密度に応じてある一定の地域をカバーしている。信者数が100人弱になるように会衆のカバーエリアが定めらている(と思われる)。エホバの証人のムラシステム。狭いムラ社会では噂話が絶えない。
会衆内の誰々が「エホバの証人組織を離れた」、「ものみの塔協会の戒律を犯した」。そういった場合には厳しい批判がなされる。こういう大人を見ているため、エホバの証人2世は他人の噂話や影口が大好物になる。
ものみの塔協会そのものが二面性を持つ
ものみの塔協会も絶妙な二枚舌を使い分け、時の権力者に迎合してきた。これは彼ら自身が批判対象とする一般のキリスト教会と何ら変わりがない。かつて、ものみの塔協会はヒトラーのナチス・ドイツに取り入り、国際連合のNGOに加盟していた。
これらの事実は、内部の一般信者には明かされることはない。このものみの塔協会の二面性はエホバの証人信者、そしてエホバの証人2世の子供たちに脈々と受け継がれている。
長老だった父親から与えられた特権
私が小学校6年生のときのこと。伝道者でもなかった私が、1つ年下の男の子と聖書研究の真似事をしていた。それは父親が長老だったから。ちょっとした越権行為、フライング。長老としての特権の濫用。
私は小学校6年生で、外面的には父親たちが聖書研究をしている間、一緒に遊んでいるという建前。しかし、父たちが聖書研究と称したものみの塔協会の宗教本の討議をしている間、我々子供たちも隣の部屋で同じようなものみの塔本研究をしなければならなかった。
1990年代のことだが、子供用の黄色い絵本のような宗教本が教団から発行されていた。その本では、聖書の主要場面を年代順に大きな絵と比較的易しい文章で説明していた。
その本を使って、私と1つ年下の男の子とでものみの塔本研究の真似事をする。私は両親が様々な非信者の人とものみの塔本研究をする場面に立ち会っていた。そのため、今まで見てきたのと同じようにするだけだった。まずは宗教本の朗読、その内容の質疑。その後でちょっとした講釈を垂れる。
エホバの証人2世のいじめ
我々のものみの塔本研究の真似事に、この家の小さな妹が立ち会っていた。小学校に入る前くらい。その女の子は話に割り込んできたりして、少しの間もじっと座っていたりすることが出来ない。
最初は兄の方がたしなめていたのだが、だんだんと私も静かにするようにと、その女の子に言うようなった。しかし、しばらくするうちに私の言葉が段々とエスカレートしていく。
静かにしていない子供に対する悪口、その子のなっていない所を探し出してチクチクとけなすようになっていく。静かにしている、していないなどは関係なく、大人たちがいなくなって子供だけになると私の悪口が始まるようになった。妹の方に対する陰湿ないじめだった。
エホバの証人の排他性と二面性
エホバの証人2世は同じようなエホバの証人2世との付き合いがメイン。この世の友人とは深く付き合わないようにと、親やものみの塔協会から言われているため。
行動や考えを深く制限されたエホバの証人の子供たちは、2世ロボットと言っても良いような機械的存在。私にとって、生身の幼年期の子供らしい女の子というのは完全な異物だった。異物を排除するという、エホバの証人らしい排他的反応が発生したのも、この陰湿ないじめの一因だった。
大人のエホバの証人の二面性を目にすることは、私にとって日常茶飯事だった。そうして育った私にとって、大人と一緒にいるときと、子供だけのときの態度を使い分けることは当然のようになっていた。
例え、その妹に対する陰険ないじめを大人から咎められたとしても、ものみの塔本研究の間は静かにしていなければならないという大義名分がある。そういった逃げ道まで用意されていたのだった。
私が行っていた他の弱い者いじめはエホバの証人2世の陰険な性格
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