「愛情注ぎまくり暴力なし」の教育方針がJWにとってヤバい理由

エホバの証人の親の「懲らしめの鞭」の代わりとは

エホバの証人と懲らしめ(体罰)について最近Twitterで発見したことがある。

かつては、ものみの塔協会が出版物で懲らしめを推奨というか”やれ”と指示をしていた。それが、現在は世情に合わせて、「懲らしめの鞭というのは実際の鞭ではない」と、体罰非推奨の立場に様変わり。まるでカメレオン。

エホバの証人の親が、現在の協会の指令通りに体罰以外の鞭を行使すると、どうなるのか、怖い気もする。精神的な鞭なのか、食事抜きとかなのか(動物かよ)?

どちらにせよ、何らかの罰がないと、子供がエホバの証人活動に従事するはずがない。つまらないし、ダサいし。友達と遊んだほうが一千倍楽しいから。では、どうやってエホバの証人の親は子供を縛るのか?

体罰はダメとなると・・・言葉で精神的に抑圧したり、恐怖心を煽ったりして支配下に置くとか。こっちも相当根が深い。闇が垣間見える。

もしくは、親の愛情注ぎまくりでエホバの証人活動に従事させるか。これは一見、宗教としては正しそうな道。でありながら、やっている宗教がカルトというのは恐怖。このパターンが一番ヤバい。

体罰と虐待によるエホバの証人の幼児教育 子供の心が無くなる 王国会館は2世ロボット製造工場

変態的な懲らしめという児童虐待の犠牲者であるエホバの証人2世

「愛情注ぎまくり暴力なし」のエホバの証人の教育方針は激ヤバ

エホバの証人の親が体罰を止め、子供にひたすらに愛情を注いでエホバの証人活動に導いていく。こうなると子供はなかなかにエホバの証人をやめづらい。私も親の期待を裏切るのが怖くて、エホバの証人をやめられなかった。

かつては、体罰で縛りつけ、子供がエホバの証人であれば愛するというのがエホバの証人の親のステレオタイプ。「限定愛、暴力あり」のパターン。子がエホバの証人であるなら愛するという限定愛を成就させるために、暴力で縛る。

これが「愛情注ぎまくり、暴力なし」に代わるとどうなるか?暴力なくして子供を縛れないので、子供はエホバの証人活動に従事しないだろう。

うっかり校歌を歌ったり、クリスマス会に行ったりしてしまう。子供にとって懲らしめという暴力が無ければ、目先の快楽や目先の保身を優先させる状況も発生する。

すると親のほうは、歯がゆくもあるが暴力では縛れない。それでも我が子を失いたくない。ここで愛情を注ぐ。こうなるとエホバの証人限定愛じゃなくて、普通の家族愛になってしまう。「ゲゲゲの鬼太郎」を見ている我が子でも可愛いということ(例えが古いか・・・)。出来れば見て欲しくないのだが、暴力行使で言うことを聞かせることもできない。

  • 昔のエホバの証人親子

子供「友達の誕生日会に行きたい」

私が子供の頃だと、エホバの証人の親に一喝され、教義の理解不足を指摘される。「いやいやヨブ家は誕生日祝ってましたやん・・・」とか言うと火に油を注ぐようなもの。それでも言うことを聞かなければ、懲らしめ、パンツを脱ぎなさいとプレイ開始。

これが、こう変わっちゃう可能性がある。

  • 未来のエホバの証人親子

子供「友達の誕生日会に行きたい」

親「そうだね。友達と仲良くしたいし、楽しそうだね。ケーキも食べたいし、プレゼントの交換もしたいよね。誕生日会行かないと友達の間で浮いちゃうよね」

親「でも、誕生日会に行くとどうなるのかな?」

子供「・・・エホバに嫌われ、滅ぼされます」

親「そうすると、一緒に楽園に行けなくなるよね」

子供「・・・」

とはいえ、子供は目先の楽しさ優先。罰が無ければ、誕生日会に行ってしまう。

親「誕生日会行っちゃったんだ?楽しかった?どんな気持ちだった?」となる。

子供は、心の底から楽しかった!とはならない。どこかで罪悪感に苛まれながら「Happy Birthday♬」とやっている。そして親は「愛している君が誕生日会に行ってしまって悲しい。なぜならその罪を悔い改めてくれないのなら、親子の今生の別れになってしまうから」この一点張り。

子供は感受性が高く、何より親の愛情を得たいので、必死に考えさせることになる。どうでもいい誕生日会への出席について。些細なことをチクチクいう宗教や心の狭い神の方が異常なのだが。

親にお尻を叩かれて生活を制限されるより、間違った知識に基づいていても、「愛情注ぎまくり、暴力なし」の方が子供を縛る効果が高い。

ものみの塔の新しい光「体罰辞めてね」は、意外とヤバい光なのかも知れないと思う。現在以降のエホバの証人の子供が、この「愛情注ぎまくり、暴力なし」で育てられると、本人の枷は重い。

小さな子供は親の見ている世界が全てなので、外部の人間としては、親をどうにかしないといけない。親たちはビシバシやられている世代なので、「限定愛、暴力あり」だった。協会の体罰なしの方針転換に疑問や矛盾を感じているはすだ。

この世代が過ぎ去る前に、ものみの塔に終わりの日を。


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