私がエホバの証人をやめた3つの理由、14才のこころ

エホバの証人をやめた3つの理由

私は、ほぼ生まれながらにエホバの証人の2世信者として育てられた。両親は、狂信的なエホバの証人だった。私は、14才になる頃には「エホバの証人をやめたい」と考え始めていた。その理由は3つ。

  1. 人生の成果は、「今」この一瞬にある
  2. ものみの塔の提示する成果、その果実を得ることはできない
  3. エホバの証人的生き方のカッコ悪さ

順に説明すると

1.人生の成果は、「今」この一瞬にある

これは14才の私が考えたこと。当時、私はサッカーに熱中していて、寝ても覚めてもサッカーをしていたかった。下らないエホバの証人の集会や布教活動に時間をさかれるのが、死ぬほど嫌だった。

今が楽しくなければ、今が輝いていなければ、生きている意味はない。やりたくないことをやらなければならない、エホバの証人生活などまっぴらだった。

これは40才を超えた今でも同じ。若さゆえに人生が輝くわけではなく(当然、光度は違うが)、楽しんでいれば人生は華やぎ輝く。嫌々にエホバの証人活動をしている、「今」には全く意味がない。

これに対して、ものみの塔の提示する果実、実りである楽園に入るまでが辛抱。その後は永遠に楽しみを享受できるという反論。

それに対しての答えはこう。

「今」は一瞬であり、絶対に返ってこない時間だからこそ意味があり、かけがえがない。「今」が永遠になったとしたら、ダラダラとした意味のない醜いモノになる。

そもそも、永遠の命なんか得られない。ものみの塔の嘘。ハルマゲドンがこないとか、エホバの証人の言うパラダイス到来は虚偽、というのは証明しようがない。

しかし、それを盲信して、そんな下らないモノに一度限りの人生を捧げるギャンブルは愚かすぎる。

2.ものみの塔の提示する成果、その果実を得ることはできない

ここからは、例えばの話。エホバの証人の教理のとおり、ハルマゲドン後に楽園が待っていたらという話。

楽園への入園許可はエホバの証人であったらという条件付き。清く正しい生き方をしなければならないので、酒池肉林の楽園というわけにはいかない。

決して楽園とは言えない、永遠の監獄のようなモノなのだが、それでも永遠の命を得られるとしたら?しかし、くどくて悪いが、永遠の命には全く価値がない。命は期限付きだから、燃え上がり輝く。

私は14才にしてマスターベーションに手を染めていたし、まだ童貞だったので、女性の体に興味津々だった。早くセックスしたいという妄想で、頭が破裂しそうだった。これはエホバの証人的に完全NG。エホバの証人の教理では手淫、結婚前の性行為はNG。

そもそも、ものみの塔の提示する永遠の命を私は得ることができない。絶対に。

14才の私は、結婚するまでセックスを我慢することはできないと縛り付けられていた。そして、永遠の命を得られたって、永遠のエホバの証人的禁欲生活なんて無理。絶対無理。こんな私が、エホバの証人でいる必要なんてなかった。

禁欲下の永遠の命なんて無価値。こちらから願い下げ。そもそも、そんなモノ嘘にすぎない。

3.エホバの証人的生き方のカッコ悪さ

エホバの証人をやめる直前、14才の私の頭の中は、「セックスしたい。サッカーしたい。エホバの証人的、優等生的な生き方はカッコ悪い」。こうだった。

私は、単純にエホバの証人が大嫌いだった。子どもの頃からエホバの証人2世であるがゆえに、自由を制限され、恥をかき、辛い思いをしてきた。

欲望を徹底的に否定し、エホバの証人活動以外の何かに打ち込むことを禁止する。そんなエホバの証人の生き方が大嫌いだった。私はエホバの証人の教えすべてを否定していた。

世俗の権威には、従える範囲では絶対服従。そんなエホバの証人2世たちは、教団の戒律に反しない所では、完全なる優等生。そんな奴らも大嫌いだった。

これはエホバの証人の洗脳に対する反動で、私の思考が完全に停まっていたところ。エホバの証人的なモノは、すべて否定しなければならないと思い込んでいた。これがエホバの証人をやめた後、人生のブレーキになった。そして、大きく人生を回り道することになった。この話は別の機会に。

まとめると、エホバの証人をやめるべき理由は

  1. 人生の成果は、「今」この一瞬にある
  2. ものみの塔の提示する成果、その果実を得ることはできない
  3. エホバの証人ってカッコ悪いよ

この頃、14才の私の話 笑顔のないエホバの証人2世


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