親の限定的愛情に縛られる、エホバの証人2世の子ども

笑えないエホバの証人2世

私は、生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。

エホバの証人というのは、自称キリスト教系の新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会が組織の維持・運営を行っている。2世というのは宗教2世被害者のこと。親の1世信者によって宗教を強制された子どものこと。

私は、小学生の終わり頃にはエホバの証人をやめたいと思い始めた。そして、中学1年生のときに、エホバの証人を早々にやめることを決断する。1990年代前半のこと。

この頃の私はサッカーに熱中していて、エホバの証人活動に奪われる自分の時間を、自分の好きなサッカーに使いたかった。

一方、幼い頃からのエホバの証人の洗脳で、私は本当にハルマゲドンという世界の終わりがくると信じていた。

そして、私はものみの塔によって禁じられているマスターベーションをやめることができなかった。その罰で、ハルマゲドンで自分の身体が焼き尽くされる覚悟もできていた。

どうせ残り短い生であるならば、好きなサッカーを思いっきりやりたかった。

エホバの証人をやめるという決断をしてから、実行に移すまで1年近く時間を要した。この時期が私の人生の中で一番辛い時期だった

この15年後、私は無茶苦茶な生活をしていて、借金だらけの上、自動車免許取り消しになったりと人生絶賛迷子中。頭髪に円形脱毛症ができるほどのストレスだった。

それでも、エホバの証人をやめられずにいた14才の頃に比べれば、格段に楽しかった。何かちょっとでも面白いことがあれば、笑うことができた。14才の私は、一瞬たりとも笑うことのできない闇の中にいた。

エホバの証人一家の根底は嘘、エホバの証人家族が機能不全に陥る理由

両親の限定的愛情に縛られる、エホバの証人2世

なぜ、すぐにでもエホバの証人をやめることができなかったのか?

すべては両親が理由。両親には幼いころからものみの塔の教理を押し付けられ、逆らおうものなら激しい体罰を受けた。

それでも私は、両親に愛されている自覚があった。この愛情は無条件ではなく、私が従順なエホバの証人であればという限定的なモノ。ゆえに、エホバの証人をやめるということは、両親の愛情を失うこと、両親を裏切ることだと私は考えていた。

私は一人っ子で両親との三人家族だったし、私が「エホバの証人をやめる」と言えば、両親が絶望することは明らかだった。

ものみの塔の深い洗脳下にあった私は、こうしている間にも「終わりの日」ハルマゲドンが近づき、残された時間は少なくなるという焦りを感じていた。

サッカーができる時間は短くなるし、生きている間に女性とセックスして童貞を脱出できる可能性も低くなっていく。

こうして、14才の私はエホバの証人脱会という行動を起こせず、悶々とした日々を過ごしていた。

エホバの証人の集会に行く時間になっても、「今日から集会には行かない」と、両親に告げるつもりだった。しかし、「今晩こそ、今日こそ」と思いながら、どうしても両親に言い出すことができなかった。


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