幼い子どもへのエホバの証人の洗脳
私は、ほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。中学生になると、私は自分がエホバの証人2世であることが嫌で嫌で仕方がなかった。
しかし、両親は15年近くものあいだ熱心なエホバの証人で、エホバの証人をやめるということは、両親の期待や両親そのものを裏切ることになると、私は思い込んでいた。
そのため、私は両親に対して、エホバの証人脱会の意志をなかなか言い出すことができなかった。
そもそも、私自身がものみの塔の深い洗脳状態にあった。物心つく前からエホバの証人として育てられたことが原因。
ものみの塔は体罰を推奨しているので、エホバの証人の親は、懲らしめと称して子どもに暴力を振るう。エホバの証人の子どもは、ものみの塔の教理を体の痛みで覚えさせられる。
天にエホバというおっかない短気な神様がいて、間もなく到来するハルマゲドンというこの世の終わりで、世界を焼き尽くす。私が罪を犯して悔い改めないと、永遠の闇に葬られる。こんな恐怖心に駆られていた。
エホバの証人をやめてしまうと、私の人生はハルマゲドンであっけなく幕を閉じてしまう。そう洗脳されていた。
バカバカしい話だが、これがエホバの証人2世の現実。
幼い頃から、ものみの塔の教理を痛みと共に体に叩き込まれた。そのため、おバカな教理を信じ切ってしまっていた。小さな子どもに、暴力による恐怖教育を行った結果。
つまらないエホバの証人の集会に週3回も出席し、毎週末には恥を忍んで見知らぬ家の呼び鈴を鳴らす布教活動をしなければならない。布教活動中にクラスの同級生に会おうものなら、恥ずかしさMAXの地獄。
それを耐えることができたのは、私が深い洗脳状態にあったから。
ものみの塔の言うことは真実で、今さえ耐えればいい。そうすれば、ハルマゲドン後に、楽園に入って永遠の命を享受できる。そう信じていた。
エホバの証人をやめるための思考方法
エホバの証人をやっとのことでやめられたのは、私が中学2年生の秋のこと。とはいえ、洗脳が解けたわけではなかった。
ものみの塔によって禁止されているマスターベーションを、私はどうしてもやめることができなかった。親に隠れて、女の子と交際まがいのこともしていたし、ハルマゲドンで死ぬのは確実だろうと、思っていた。
また、この頃の私はサッカーに熱中していて、四六時中ボールを蹴っていたかった。エホバの証人の集会に行ったり、布教活動をしている時間があれば、サッカーをしたかった。
ハルマゲドンで死ぬ短い命なら、今やりたいことに集中したい。そう私は考えていた。今を生きたいという強い思いが、エホバの証人をやめる私の原動力になった。
たとえ永遠に生きられたとしても、面白くもないエホバの証人のコミュニティでマジメぶった顔をして生きていく日常は、無価値。
やりたくもない畑仕事※や、永遠にエホバの証人の勉強をして生きていく?
※エホバの証人の楽園、新しい世界は、自給自足生活になる無理筋設定
そんなことに意味はないと、私は思った。それよりも今に集中し、大好きなサッカーをして、女の子とデートしてあんなことやこんなことを・・・という人間らしい生き方がしたかった。
エホバの証人をやめられず行き詰まっているへ。
今は二度とこないし、明日には交通事故で死ぬかも知れない。死ねば終わり。人間が復活するなんてことはあり得ない。
百歩譲って永遠のパラダイスに入ったとしても、それに何の価値がある?何の快楽もない、楽しみもない禁止事項だらけの新しい世界は無価値。
エホバの証人2世の恋愛についてはこちら
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