人生に害しかもたらさないエホバの証人活動、役立たない知識と後遺症

いつかエホバの証人をやめるという希望

私は物心ついて以来、14才になるまでエホバの証人2世として育てられた。途方も無く長い時間を、エホバの証人の集会や大会、家庭での宗教本の勉強や布教活動に費やさせられた。

しかし、私はそれらのエホバの証人活動に全く真面目に取り組んでいなかった。仕方なくやらされていただけ。

幼い頃は、どうして他の子のように地域のお祭りに参加したり、幼稚園や保育園に行っていないのだろうと、疑問に感じていた。

毎週日曜日には、家族で遊びや買い物にはいけず、早起きしてエホバの証人の集会に行かなければならない。これはなぜだろう、そう不思議に思っていた。

小学生の高学年になると、いつかエホバの証人をやめたいという漠然とした希望が芽生え始める。中学生になると、狂信的な信者だった両親や教団から、絶対に自由になると決めた。

中学生の私は、エホバの証人脱会の決意を両親にいつ言い出すかと、四六時中このことばかりを考えていた。エホバの証人脱会は、両親を裏切ることだと私は思っていた。この裏切りの意識が、私の足かせになっていた。

人生に有益なことが一つもないエホバの証人活動

エホバの証人特有の禁止事項は、今でもしっかりと頭に叩き込まれている。エホバの証人をやめて、15年以上が経過した今でも。

国家や校歌の斉唱が禁止、選挙もNG、七夕、クリスマス、節分、バレンタイン、誕生日会が禁止。そういったことを、最もやりたい年頃にやれなかった。

できなかった分、憧れがある。ところが、実際にやってみると身体中に違和感を覚える。エホバの証人の戒律が身体感覚として刻み込まれている。これがエホバの証人の後遺症。

聖書の細かい点は忘れてしまっている。真剣に教団の宗教本の勉強に取り組まなかったから。アブラハムの息子がヤコブだったか?ヨセフだったか?そんなことも忘れてしまった。実際はイサクか?

ユダヤ人の歴史や予言者、キリスト以前以後の歴史など、聖書に関する知識を持っていると、歴史や地理の本を読んだり旅行したりというときに役立つ。美術館で宗教画ひとつ見るのにも面白い。

しかし、私は聖書のことはほとんど覚えていない。聖書に関する正当な知識は素人に毛が生えた程度も無い。

ものみの塔にまつわる深い傷だけが残り、聖書のことはほとんど忘れてしまった。エホバの証人として過ごした時間はすべて無駄だった。エホバの証人に関わって、役に立つことなど一切ない。

そもそもエホバの証人の使っている新世界訳聖書は、ものみの塔に都合よく翻訳されている。新世界訳聖書は疑ってかかるべき。聖書に興味があるのなら、新世界訳聖書以外のホンモノの聖書を読むべき。

新世界訳聖書はカルトの魔窟に堕ちる手引き書

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