この世を彷徨うエホバの証人たち、人生は今からでもやり直せる

人生は、今ここから

元エホバの証人の生き方とは

私は、20代半ばで会社を辞めてパチプロになるという決断をした。真面目な会社員であるということは、私の主義に反すると考えたから。私の主義とは反ものみの塔、非エホバ的生き方。

ものみの塔のせいで、私は一般的な子ども時代を送ることができなかった。さらに家族をも失った。

この頃の私は、ものみの塔に対する復讐として、エホバの証人を全否定した生き方をしなければならないと考えていた。

エホバの証人のように真面目であってはならない。不真面目で自堕落な生き方をしなければならない。そうしつつ人生をエンジョイすることが、ものみの塔に対する復讐だと勘違いしていた。

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元エホバの証人に欠如する、辛抱強さ

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不真面目であろうとする、生真面目な元エホバの証人2世

不真面目であることに真面目に取り組む元エホバの証人2世

さらに道に迷う、元エホバの証人

私は、20才を過ぎて初めて、ものみの塔の洗脳から目ざめた。ほぼ生まれたと同時に始まった、長く深い洗脳状態は20年もの間続いた。

ハルマゲドンは来ない。この世の終わりは来ない。寿命まで生きられる。私はその事実を知ったが、これまでの惰性で、怠惰な生活を続ける。

そうしているあいだに、私の中に一本の芯が生まれた。非ものみの塔思想。否エホバという考え方。ずっと長い間、エホバの証人に縛られてきた、その反動。いかにエホバの証人と正反対の生き方をするか。私は人生の主題をここに置いた。

これが、絶賛迷子道への入り口だった。

見た目は真面目なエホバの証人

エホバの証人=真面目。私のイメージはこれ。お堅くて面白くない奴ら。子どもの頃から、そんなエホバの証人たちに囲まれて生きてきた。

ものみの塔は自身の戒律に従うことを信者に強制するが、その戒律に反しない限りは上位の権威にも服するようにと教えている。

上位の権威とは、親、年長者から始まり、学校の先生、校則、法律、政治権力へと続く。既存の権力構造すべて。

既存の権力は、神エホバが一旦は認めているモノであり、上位の権威に服することはエホバの主権に従うことである。というロジック。

このため、エホバの証人は法律をはじめ、世の中の決まりを遵守する。エホバの証人の教理に背かない限りはという条件つきではあるが。兵役だとか国旗掲揚、選挙などには参加しないが、普通に生活している限りは、普通の市民に見える。

さらに、ものみの塔は模範的な市民であれとも教えており、エホバの証人は変わってはいるけれども、ぱっと見には真面目には見える。

反エホバという生き方とは・・・

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人生から宗教を切り捨て、目に見えるモノを指針とする

エホバの証人をやめたあとの人生

エホバの証人のマインドコントロール

2002年から2003年頃、私は20代前半だった。20年もの間、ものみの塔の深い洗脳下にあったのだが、遂に解放された。

私は、生まれながらのエホバの証人2世だった。「天にエホバという神がいて、ハルマゲドンというこの世の終わりは近い」、ずっとそう信じ込んでいた。しかし、それらは全部、ものみの塔の虚偽だと気付く。これが洗脳が解けた瞬間。

洗脳が解けた瞬間についてはこちら

洗脳解除によって私は、20才をすぎて自分の根幹を失ってしまった。どうやって生きていったら良いのか、何を人生のファーストプライオリティとすべきなのか全く不明。生まれたての赤ん坊状態になってしまった。

惰性で生きる元エホバの証人2世

この後、私は惰性で生き始める。吸っていたタバコを、そのまま吸い続けた。なぜタバコを吸い始たのか?そして、なぜ吸い続けるのか?そのメリット、デメリット、タバコをやめた場合のメリット、デメリットは?

自身の根幹を失ったのだから、一から全部考えるべきだったのに、私はそれをせず、惰性のまま生活を続けた。

心の底からものみの塔が憎かったし、ものみの塔のせいで失った家族のことは悲しかった。とはいえ、ハルマゲドンで明日にでも即死する恐れはなくなった。これは喜びだったし、洗脳が解けた興奮状態にもあった。

そのため、何かをじっくり考えるというよりは、そのまま目先の楽しさを享受する安易な選択をしたともいえる。洗脳解除の翌日は普通に会社に行き、退社後はパチンコ屋に行き、勝てば飲みに行くという、いつも通りの享楽的な生活。

新しい人生の指針が、小さな小さな反エホバ思想

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エホバの証人の限定的愛情、脱会すると家族でも愛されない

エホバの証人家族の愛情は脱会者に残るのか?

エホバの証人以外を愛さないエホバの証人

私は生まれてから14才になるまで、エホバの証人2世として生きることを強制された。

エホバの証人2世とは、エホバの証人という新興宗教を親の「1世」信者から強制される子どものこと。日本ではものみの塔聖書冊子協会が代表的な宗教法人として、国内組織の維持・運営を行っている。

私は14才で脱会した後、まっさらな新環境での高校生活を満喫していた。エホバの証人だった両親と徹底的に対立して、家を出ることまで覚悟していた。しかしながら、幸いなことに両親はエホバの証人でなくなった私を見放すことはなかった。

生まれたときからエホバの証人2世として育てられたので、親の愛情は、私が”エホバの証人であるなら”という限定付きだと思っていた。意外とそうではなく、両親はエホバの証人でない私に対しても、親としての愛情を注ぎ続けた。

この辺りは、親次第。親の知能指数やエホバの証人としての経験年数、体験、そのときの状況による。

エホバの証人3世のような人間だと、エホバの証人以外のことは全く知らない。

そんな環境で育つと、洗脳状態が深く、エホバの証人以外は人間に非ずというような考え方になる。こうなると、たとえ自分の子どもであっても、エホバの証人でないならば、愛する対象ではなくなる。

また、ものみの塔への依存が強すぎるために、子どもや家族よりも組織への信仰を優先させる信者も存在する。本人は、まるでキリストのように、肉の家族より神を優先させるという尊い考え方をしているつもり。しかし、これはただのお馬鹿さんで、

自分の家族すら愛せない人間が、キリストのような聖人になれるわけがない。思考停止状態になって、ものみの塔という偶像を崇拝し、教団に行動を操作されているだけ。

エホバの証人をやめる人が覚悟すべきこと

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エホバの証人をやめたあとに注意したい、3つのこと

全身に染みついたエホバの証人らしさをぬぐう

全身に染みついたエホバの証人らしさをぬぐう

私は、ものごころがついたときからエホバの証人2世だった。そんな私がエホバの証人を脱会したのは14才の秋。エホバの証人の毒親だった両親に、遂に脱会宣言をした翌日は、何とも清々しい朝だった。

この日の話は、「エホバの証人やめます」、脱会宣言翌日の爽快な青空

この日の万能感、全能感がそのまま継続すれば良かったのだが、そうも上手くはいかなかった。エホバの証人は、全身にエホバの証人らしさが染みついている。私のように、生まれながらのエホバの証人2世は特にその傾向が強い。

そこで、エホバの証人をやめた後で気をつけたら良かったこと3点をまとめた。

  1. 自由になって何をしたらいいのかを見極める
  2. 自分の意思で継続することに注力する
  3. 過剰な自意識から自由になることを意識する

これは私のように脱会時に心身が健康な人向けの話。心身ボロボロな人は回復に努めるのが先。時間の経過を待ったり、専門家にかかったり。焦ると逆効果なので、ひとまずエホバの証人をやめた自分を、褒めていたわろう。

順番に説明すると

1.自由になって何をしたらいいのかを見極める

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「エホバの証人やめます」、脱会宣言翌日の爽快な青空

脱会後の澄み渡る青空

エホバの証人をやめた夜

私は、両親がエホバの証人でその一人息子という、いわゆる神権家族で育った。神権家族とはエホバの証人用語で、家族全員がエホバの証人という状態のこと。

女性、とくに母親がエホバの証人に引き込まれやすい。夫婦の場合、妻⇒夫の順でものみの塔のマインドコントロール下に陥落。子どもはその過程で強制的にエホバの証人扱いされ、神権家族が完成する。

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人の2世信者だった。そんな私だったが、14才のときにエホバの証人をやめると両親に宣言した。「もう集会にはいかない」と。

集会とはエホバの証人のミサのようなもの。王国会館というエホバの証人の教会に集まり、聖書を読んだり賛美歌を歌ったり、信者の交流の場であったり。

とある夜の集会に家族で出かける直前。私は、「もう集会にはいかない」と、脱会宣言をしたのだった。

このときの話は
エホバの証人2世が脱会宣言する際の極意3つ(親に対しての告げ方)

エホバの証人はいつでも安全にやめることができる

エホバの証人をやめた翌日。やめると宣言した翌日、ではなくやめた翌日。エホバの証人はやめると宣言さえすればやめられる。

ものみの塔は危険なカルトに間違いないのだが、やめるときに命の危険にさらされたり、多額の金銭を要求されることはない。この点だけは安全な組織。今のところは。

繰り返すと、エホバの証人は、やめると宣言すればやめられる。全世界の信者の人々に言おう。今すぐエホバの証人をやめるべきだ。そこにリスクはない。メリットしかない。

エホバの証人をやめることのメリット

  1. 人生の真実とは有限で限りある命、人生の無駄遣いをやめられる
  2. 家族、親族、友人とのホンモノの関係を築ける
  3. 健康になれる

この3点については別の機会に。

リスクはないと書いたが、私のようなエホバの証人神権家族の場合、家族が信者に残ると、その家族を失うことになる。リスクといえばリスクだが、エホバの証人の家族など、家族のようなモノにすぎない。後々、足を引っ張られるリスクの方が大きい。

一緒に脱会させられるのなら、それが一番良いのだが、それがムリなら、強情なエホバの証人家族は自分の人生から切り捨てた方が良い。自分の人生は自分のモノで、神のモノでもエホバの証人家族のモノでもないのだから。

エホバの証人をやめた清々しい朝

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エホバの証人2世が脱会宣言をしたあとの注意点3つ

エホバの証人脱会宣言の後

エホバの証人脱会宣言をしたあとで気をつけること3つ

  1. 絶対折れない、譲歩しない
  2. 教理の論争はしない
  3. 家族関係はあきらめる

私は一人っ子で、両親との3人家族だった。両親は狂信的なエホバの証人で、私は当然のように生まれながらのエホバの証人の2世信者だった。

エホバの証人をやめる宣言をしたのが14才の秋。とある晩のエホバの証人の集会に出かける直前のこと。

両親は集会に出かけ、私はエホバの証人の集会に行かなくて良い、初めての自由な夜を満喫していた。両親が帰ってくれば、「集会にもう行かない」宣言をしたことを、問いただされるのは目に見えている。

この日の記事は
エホバの証人2世が脱会宣言する際の3つの極意(親に対しての告げ方)

集会から帰ってきた両親は、予想外に穏やかな態度だった。2時間の集会中にクールダウンされた様子。感情的にくれば、感情的に返すことになり、そのまま決裂も覚悟の上だったのだが。

何事もなかったような親に対して、私は徹底抗戦。

注意点1.絶対に譲歩してはいけない

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エホバの証人2世が脱会宣言する際の3つの極意(親に対しての告げ方)

脱エホバの証人宣言の後、清々しい夜空が待っている

エホバの証人の子どもが脱会宣言をするときの3つの極意

私のエホバの証人脱会宣言が成功したポイントは3つ。

  1. エホバの証人活動に身が入っていないアピールを、事前にしておく
  2. 集会の前に宣言する
  3. その集会で、親に割り当てがある

私の過去の経験を振り返りながら、上記3つの極意を紹介。

エホバの証人2世の停滞

エホバの証人をやめたくてやめたくて仕方がなかった14才の秋。

生まれながらにエホバの証人2世だった私は、親の期待を裏切り、両親を傷つけることが怖かった。そのため、「エホバの証人をやめる」と両親に告げることがなかなかできなかった。その悶々とした日々が、私の人生で一番辛い時期だった。

親を傷つけることを考え、脱会できないまますごすうち、「エホバの証人をやめる」宣言をする瞬間を、比喩的な夢にまで見た。

この夢の話は、両親を裏切ることに心を痛めるエホバの証人2世

行くべき道は決まっているのに進めない。この頃はとても苦しかった。エホバの証人の親には、子どもたちにこんな思いをさせる権利はない。

エホバの証人脱会宣言をした清々しい夜

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両親を裏切るという思い込みに、心を痛めるエホバの証人2世

エホバの証人の子ども、苦痛の祈り

14才の私がエホバの証人をやめたときの話

生まれながらにエホバの証人2世だった私が、脱会したいと強く考えていた14才の頃の話。

心の中ではもうエホバの証人ではないのに、表面的には信者として振舞わなければならなかった。それは、熱心なエホバの証人だった両親に対して、いまだに「エホバの証人をやめる宣告」ができていなかったから。

この頃の両親との関係についてはこちら

とある地方の中学校に通っていた14才の私。給食の前に皆が手を合わせて「いただきます」と言っている。私は両手の指を交差させ握り合わせて、目を閉じて神に祈るふりをしなければならなかった。

思春期の私にとっては、これがとんでもない屈辱であり、心の中で「オレはもうエホバの証人じゃないのに」と、恥を耐え忍ぶ日々だった。

「いただきます」が言えないエホバの証人2世

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親の限定的愛情に縛られる、エホバの証人2世の子ども

悩み続けるエホバの証人の子ども

笑えないエホバの証人2世

私は、生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。

エホバの証人というのは、自称キリスト教系の新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会が組織の維持・運営を行っている。2世というのは宗教2世被害者のこと。親の1世信者によって宗教を強制された子どものこと。

私は、小学生の終わり頃にはエホバの証人をやめたいと思い始めた。そして、中学1年生のときに、エホバの証人を早々にやめることを決断する。1990年代前半のこと。

この頃の私はサッカーに熱中していて、エホバの証人活動に奪われる自分の時間を、自分の好きなサッカーに使いたかった。

一方、幼い頃からのエホバの証人の洗脳で、私は本当にハルマゲドンという世界の終わりがくると信じていた。

そして、私はものみの塔によって禁じられているマスターベーションをやめることができなかった。その罰で、ハルマゲドンで自分の身体が焼き尽くされる覚悟もできていた。

どうせ残り短い生であるならば、好きなサッカーを思いっきりやりたかった。

エホバの証人をやめるという決断をしてから、実行に移すまで1年近く時間を要した。この時期が私の人生の中で一番辛い時期だった

この15年後、私は無茶苦茶な生活をしていて、借金だらけの上、自動車免許取り消しになったりと人生絶賛迷子中。頭髪に円形脱毛症ができるほどのストレスだった。

それでも、エホバの証人をやめられずにいた14才の頃に比べれば、格段に楽しかった。何かちょっとでも面白いことがあれば、笑うことができた。14才の私は、一瞬たりとも笑うことのできない闇の中にいた。

エホバの証人一家の根底は嘘、エホバの証人家族が機能不全に陥る理由

両親の限定的愛情に縛られる、エホバの証人2世

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