脱会エホバの証人の、現役信者を喜ばせない生き方とは・・・

『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』

元エホバの証人の2世信者が書いた脱会本。絶版なので読むなら中古で。

作中で、若い信者が、エホバの証人を脱会してホストになったというエピソードがある。

宗教から離れた二世というのは、常にどこかでエホバを裏切ったという罪悪感を感じている。だからこそ極端に反対の方向に暴走してしまう

脱会者がものみの塔と反対の方向に暴走してしまうというのは同感。私も暴走してパチプロになった時期がある。

エホバの証人らしくない生き方とは

私は、エホバの証人2世として、子どもの頃から徹底的にものみの塔の戒律を強要されてきた。

ものみの塔の輸血拒否の教理に至っては命がけ。輸血を拒否して死んだエホバの証人の子どもまで存在する。

ということは、既にエホバの証人であることがある意味では大暴走。やるなら徹底的にやるという体質が、エホバの証人には養われる。

そのため私は、エホバの証人をやめたなら、とことんエホバの証人らしくない方向へ走らなければならないと思い込んでしまった。やるなら徹底的にやらなければならない、という強迫観念に囚われていた。

実は、そんなことはない。人生は適当で良い。今日できなかったら、明日やれば良い。だいたいで良い。重要なのは、再開と継続。今日できなかったから、やめちゃうのではなく、明日か明後日また始めればいい。それをひたすら続けること。無理せず、できることをやり続けるだけ。

この適当さを許容することが、エホバの証人らしくない生き方。ものみの塔は規範に当てはまらないモノをすべて批判する。その傲慢さを否定し、人間の弱さと同居する生き方こそが、エホバの証人脱会者にピッタリ。

20年もの歳月をかけて養われたエホバの証人的思考

エホバの証人脱会後の暴走は、現役信者を喜ばせることになる

脱会後の注意点として大事なのがもう一点。パチプロだったりホストくらいならまだマシなのだが、殺人とか放火とか、警察に捕まっちゃうくらいまで暴走しないこと。

そこに待っているのは不幸だから。エホバの証人をやめた我々が不幸になるのは良くない。現役エホバの証人たちは、心のどこかで脱会者の不幸を願っている。「ほら見たことか。エホバの証人をやめたのはやっぱサタンの仕業だ」と喜びいさむ。そうすることで、自分の道が間違っていないと安心したい。

エホバの証人をやめた我々は、適当に世を渡り、楽しく生きていくべき。それを現役エホバの証人に見せないと、現役信者の救いになれない。

そのため、悪い方法へ暴走するのは良くない。たまに酒を飲みすぎるのは良いだろうが、飲みすぎて体を壊したり、アル中になったり、暴れて警察のお世話になったりというのは良くない。現役信者が喜ぶから。

そういう意味では、

現役エホバの証人というのは、他人の(エホバの証人でない人の)不幸を見て喜ぶ悪趣味な集団だと言える。

そんな集団からはいち早く抜けるべき。

エホバの証人が脱会宣言をしたあとで気をつけること3つ


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