エホバの証人2世=モンスター?暴力と虐待は連鎖する

エホバの証人2世が心に抱える狂気

脱会意志の無い現役エホバの証人と交際すべきでない理由

昨日までの記事の続き。交際した相手がエホバの証人という宗教の2世信者だったらどうしようか?という話。

エホバの証人というのは、キリスト教を自称する新興宗教。生まれてから脱会するまで自由を奪われ続けた元2世信者の私の見解では、エホバの証人は完全なカルト。近づかないに越したことはない。

よって交際相手としては不適切。本人に脱会意志が無いのなら別れるべきというのが、私の意見。

目を覚まさせて救ってあげたいというのなら、心の底から応援するけど、そんな心優しい人が、そこまでして自分を傷つける必要があるのだろうかとも思う。触れない方が、知らない方が幸せな闇の領域がこの世界にはある。その闇がエホバの証人。

というわけで、すべてのケースに当てはまるわけではないが、脱会意志の無い現役エホバの証人との恋愛関係を解消すべき理由をあげている。

『解毒』~エホバの証人のDV事件から得られる教訓3つ

『解毒』~エホバの証人夫婦の離婚率が高い原因とは

エホバの証人2世=モンスター

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叩かれていない世代、体罰を受けないエホバの証人2世

体罰で縛られないエホバの証人の子どもがいるとしたら

自身のエホバの証人2世という境遇を問題視しない世代

現役エホバの証人2世の男性が、一般女性と交際しているケース。今どきの現役信者は、自身がエホバの証人であることを、問題視していないのではないかと昨日の記事で書いた。恋愛問題からは逸れて、今日はこの件。

私は、親によって生まれながらにエホバの証人であることを強制された。14才のとき、30年近く前になるのだが、自分の意思で脱会。私がエホバの証人だったのは不運、不可抗力。それでも、

「元」エホバの証人であるというのは、私にとって重い十字架。屈辱。人生の汚点。

これが、現代のエホバの証人2世にとっては屈辱ではない。問題ですらない。だから、交際相手にもわりと軽く告げられちゃう。という仮説。

体罰を受けないエホバの証人の子どもたち

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『クレヨンしんちゃん』が明らかにする、ものみの塔の矛盾

我が子が大好き『クレヨンしんちゃん』

昨日の続き。昨日の記事の内容は

  • 『クレヨンしんちゃん』作者がエホバの証人(ものみの塔)信者であったらしい
  • 我が子が同作を毎週見ている

今日は、作品としての『クレヨンしんちゃん』について。

私は、何かの作品とその作者の負の面となる私生活を結びつけることはしたくない、と常々考えている。これは私が反エホバの証人であることは関係なく、単なる自分の考え。

主義とかこだわりまでもいかず、単にそう思うという程度。本ブログの主旨でもない。薬物所持とかで摘発されると、その役者が出演している作品が全部お蔵入りしてしまう。その風潮がどうなの?と思っているだけ。

「作品に罪は無いよね」という安易な個人的意見。

だから、『クレヨンしんちゃん』作者が最期までエホバの証人だったとしても、作者の信教を理由に、息子の視聴を禁止しない。

ガチンコの「ものみの塔」宗教本を子どもが読んでいたら、殴ってでも止めるのだが。

これは失礼。殴って止めちゃダメなので、自分の経験をこのブログのように脈々と話し、子どもを説得したい。延々と語らずとも、恐らく子どもたちは簡単に理解してくれるものと信じている。親よりも賢い子たちなので。

むしろ、ものみの塔的なカルト一切を当初から避ける賢明さを持ち合わせて成長して欲しい。親としても、危険物を寄せ付けない環境づくりをできる限りしておきたい。

「しんちゃん」が語るものみの塔の矛盾

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腕力に訴えてモノゴトを解決するエホバの証人、無根拠な格闘技禁止

腕力に訴えるのはエホバの証人の専売特許

格闘技禁止、エホバの証人の子ども

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』11章「格闘技と平和の精神」より。

日本に蔓延するカルト宗教「エホバの証人」。私はその2世信者だった。2世信者というのは親の信仰を強制される子どものこと。エホバの証人は、日本ではものみの塔聖書冊子協会という宗教法人が統括的な運営を行っている。

エホバの証人には禁止事項が多く、戦闘的なこと全般が禁止。兵役から武道まで。学校に通う子どもにもこの影響が出る。格闘技の授業は禁止だし、運動会の騎馬戦なども参加できない。中には進級できず退学になった生徒も存在する。

私も中学生のときには柔道の授業を見学するはめになった。エホバの証人だからという、とんでもなく恥ずかしい理由で。

中学3年生のときにはカルト信仰を断ち切っていたので、数回柔道の授業に参加。しかし、親に柔道着は買って貰えなかったので、友人のを借りた。

他人の汗臭い柔道着を着るのはイヤだったので(貸して貰っておいてひどい言い分ではある・・・)、後半はサボり気味に。宗教問題児が普通の問題児になってしまった。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人2世が剣道事件で失った貴重でかけがえのないモノ

エホバの証人が格闘技禁止の理由

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エホバの証人、親子累々に及ぼす負の連鎖。家族の絆を決定的に切り裂く宗教

家族を壊す宗教、エホバの証人

元エホバの証人2世の親不孝

今日、コンビニでとある親子を見かけた。母と娘、娘の方は私より年上。50才くらいか。母親の方はもう老人。親子と断定しているのだが、親子と決め付けられるだけの空気感を醸し出していた。

母親のほうが必死に雑誌を選んでいて、娘がその姿を横で見ている。老人特有の身体の衰えによる不自由さで、必死に雑誌を選んでいる姿は、既に認知症ぎみなのかと思わせるほど。

壮健な年齢の頃には、雑誌を選ぶのにそうも必死にならないだろう。それを暖かくでも、嫌そうでもなく、日常の一端として付き添っている娘。

近所の賃貸アパートに老人の親子が住んでいる。父と息子。父の方は100才近いのだろう。身体の自由が利かないらしく車いす生活。毎日、ケアセンターの車が迎えに来て、日中は介護施設に行っている。

息子は毎日、車いすの父親を家の前で送り迎えしている。息子の方も老人、20年近く前に定年退職しているような年齢に見える。昼間に買い物に出るのを見かけるのだが、年齢が年齢がなので、歩くのも辛そうに見える。

老人が老人を介護するという社会問題とか、この父子は愛想が悪く、挨拶しても挨拶を返してこない(父親のほうはもはや前後不覚なのだろうが)とか、賃貸での老人二人暮らしで、近い未来に不安を感じているのではないか、という諸問題は放っておいて、思うことがある。

近所の父・息子、コンビニでの母・娘の親子を見て、私がひしひしと感じてること。

あんな親子の子ども側になれなかった。親孝行な子どもになり損ねた。

ということ。

昨日のコンビニで母娘を見たときに、涙が出そうに、切ない気持ちになった。自分の母親があれくらいの年齢になったときに、私は母親の横にいないだろう。

エホバの証人の悲しい父親

エホバの証人、崩壊が約束された偽りの家族

エホバの証人、親子累々に及ぼす負の連鎖

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ものみの塔協会には、誤った古い光に対する責任がある

ものみの塔の誤った光

ものみの塔の古い光は誤り

ものみの塔は頻繁に予言の解釈を変えたり、教理を変更する。その都度、「新しい光」と言って、真実が新たになって喜ばしいという態度を取る。実際のところは、時がすぎて予言がハズレたのが確実になったとか、時世を鑑みて教理をカメレオン並みに変えているだけ。

昨日の記事で紹介したが、最新の光は「子どもにもう体罰加えないで~」というモノ。私が子どもだった頃は、組織ぐるみでビシバシお尻を叩いていたのだが、体罰が禁止になる国が増えたので、懲らしめの鞭はもうやめましょ、となった。

新しい光があるということは、古い光も存在するということ。ただの光ではなく、わざわざ「新しい」とつけているので。ということは、新しい光が発光した以上は、古い光は無効。古い光は間違い、誤り。これは確実。

では、新しい光が出る40年前に、体罰を受け虐待された子どもたちはどうするのか?体罰で亡くなった子どももいる。新しい光が出る前に、間違った光で虐待された子ども、体罰を加えるよう指導された親。

ものみの塔には、間違った光を照らした責任がある。それを詫びずに、「新しい光がー」とごまかしている。

「エホバの証人とは、ムチの宗教」、求められる反省と謝罪、責任の所在

間違った光を詫びないものみの塔は真理の組織ではない

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「愛情注ぎまくり暴力なし」の教育方針が、エホバの証人にとってヤバい理由

エホバの証人親のヤバい光

エホバの証人の親の「懲らしめの鞭」の代わりとは

エホバの証人と懲らしめ(体罰)について最近Twitterで発見したことがある。

かつては、ものみの塔が懲らしめを推奨というか”やれ”と指示をしていた。それが、現在は世情に合わせて、「懲らしめの鞭というのは実際の鞭ではない」と、体罰非推奨の立場に様変わり。まるでカメレオン。

エホバの証人の親が、現在の協会の指令通りに体罰以外の鞭を行使すると、どうなるのか、怖い気もする。精神的な鞭なのか、食事抜きとかなのか(動物かよ)?

どちらにせよ、何らかの罰がないと、子どもがエホバの証人活動に従事するはずがない。つまらないし、ダサいし。友達と遊んだほうが一千倍楽しいから。では、どうやってエホバの証人の親は子どもを縛るのか?

体罰はダメとなると・・・言葉で精神的に抑圧したり、恐怖心を煽ったりして支配下に置くとか。こっちも相当根が深い。闇が垣間見える。

もしくは、

親の愛情注ぎまくりでエホバの証人活動に従事させるか。これは一見、宗教としては正しそうな道。でありながら、やっている宗教がカルトというのは恐怖。このパターンが一番ヤバい。

体罰と虐待によるエホバの証人の幼児教育 子どもの心が無くなる 王国会館は2世ロボット製造工場

変態的な懲らしめという児童虐待の犠牲者であるエホバの証人2世

「愛情注ぎまくり暴力なし」のエホバの証人の教育方針は激ヤバ

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『てい少年と悪魔サタン』~姑息なものみの塔協会のやり口

未来は僕らの手の中

未来は僕らの手の中

昨日紹介した『私はこれでカルトをやめました。~人生搾取されたけどまぁいっか~』というAmazonのKindle本の続作。

こちらの『てい少年と悪魔サタン』も、作中では「エホバの証人」とは言及されていないが、明らかにエホバの証人2世信者の話。前作の続きではなく、前作を踏まえて、小説チックに仕立てられている。

タイトルの通り、少年期だけでスパッと終ってしまうのだが、伏線も幾つか回収されていないので、次作に是非期待したい。

作中に『バックトゥザフューチャー』の話がほんの一瞬出てきて(これだけでストーリー内一番の伏線を回収できているのだか・・・)、年代的に同年代40代の著者に大きく共感する。トランプのモデルになったあの人が懐かしい。

あとがきに、面白い面白くないのどちらにしても感想を教えてくれと書いてあったので、感想。

「面白い」

『夢を叶えるゾウ』のような雰囲気があるのだが、それとエホバの証人独特のサタン思想が相まっているという初期設定の段階で秀逸。この設定に乗っかって、子ども時代の辛酸が見事に吐き出されている。

我々カルト2世信者が失いがちな希望と、未来はいつも『今』の先にあり、未来はいつでも自分が握っているという、永遠不滅だが忘れがちな事実が軽いタッチで表現されている。

卑劣なものみの塔のやり口

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『私はこれでカルトをやめました。~人生搾取されたけどまぁいっか~』

エホバの証人の児童虐待

エホバの証人の子どもが強制される事実の誤認

AmazonのKindleで読めるエホバの証人脱会本。

私はこれでカルトをやめました。~人生搾取されたけどまぁいっか~

作中ではエホバの証人とは書かれていないが、明らかに脱会者の元エホバの証人2世の体験本。

物心ついた頃からのエホバの証人2世で、成人後に解約した体験が綴られている。著者は、恐らく私と同じ現在40代の男性。相通じるところが多い。

著者は、幼稚園に行かずエホバの証人漬けの幼少期を送る。

まだ世間を知らない子供にとっては今見ている世界が常識

幼稚園や保育園に行っていないのは私と同じ。小学校に入るまで、エホバの証人以外の人間に接する機会がほとんどないので、エホバの証人の世界が常識だと思い込んでしまう。エホバの証人による洗脳手法。

単なる常識なら殻を破れば良いのだが、

常識を通り越して事実と誤認してしまうことが、子どものカルト被害者にとっての恐怖私も、エホバやキリストの存在、ハルマゲドンというこの世の終わりの到来を事実として誤認していた。

周囲の大人たち全員が全員、真剣に

「サタンが~、エホバが~、ハルマゲドンが~、楽園が~」

と言っている。これを疑ってかかるというのは、他の世界を見もしない、知りもしない幼児には不可能。

友達ができないエホバの証人

今すぐエホバの証人をやめるべき理由~永遠の命というものみの塔の嘘

児童虐待というエホバの証人の罪

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エホバの証人2世が、抑えきれない破壊衝動で蛍光灯を割りまくる

エホバの証人2世の破壊衝動

エホバの証人の懲らしめという虐待による悪循環 

エホバの証人の子どもには、大きなストレスがかかる。一般の人、信者、親戚家族、誰に対しても模範的であれと言われる。子どもらしく大暴れすることは許されない。

ストレスはどこかで発散される必要がある。子どもの私は、密かに悪事を行うことで、ストレスを逃がしていた。

悪事が両親に露見しなければ、とりあえず懲らしめのムチという体罰を受けることはない。

エホバの証人の子どもが一見お利口に見えるのは、体罰による暴力の効果。エホバの証人的模範行動から逸れると、待っているのは懲らしめのムチ。暴力による制裁を受ける。

痛みは効くので、子どもは反射的にエホバの証人的行動を取るようになる。サーカスの動物と同じ調教方法。ところが、サーカスの動物ほど人間の子どもは単純ではない。

私のように、親がいない所で悪事を働くようになるのはマシな方。気を休め、息抜きの時間を持てている。問題がもっと重篤化するのは、

エホバの証人の子どもたちが、懲らしめという暴力によって、精神を病むこと。暴力や恐怖に対する対処療法として、体が痛みを感じなくなる。大ケガをしても死にかけても、笑っていられるエホバの証人2世ロボットの誕生。

エホバの証人には鬱病が多いとも言われている。これは子どもの頃から暴力を受けて、精神を病んだ結果。

また、暴力は連鎖する。体罰を受けて育ったエホバの証人の子どもは、暴力的になる。親が、問題の解決策として暴力という手段を示し続けた結果。

暴力は決して有効な解決策でなく、表面的な解決にすぎない。問題を余計にややこしくするのだが、子どもにはそんなことは関係ない。自らが受けた暴力を周囲にまき散らすようになる。

エホバの証人の2世信者に、DV加害者や子どもに対する虐待者が多いのは当然の結末。

私は、エホバの証人の子どもでありながら、親にバレないように悪事を行うことでストレスを発散していた。しかし、洗脳状態にはあるので、天にいるエホバという神に見られているという罪悪感があった。やがて罰が下されると考えていた。

いつか罪の報いを受けるという、強い罪悪感もエホバの証人2世の精神に暗い影を落とす。自分の命はハルマゲドンまでの限定的なモノで、寿命を全うすることができない。このため、刹那的な生き方へ誘導される。

エホバの証人の懲らしめという名の体罰と児童虐待

蛍光灯を割りまくるエホバの証人2世の子ども

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