子供の夢を奪うカルト、エホバの証人
今日はクリスマス。今晩はサンタクロースになり、子供たちの枕元にプレゼントを置いたり。もはやどちらかというとキリスト嫌いなのに、クリスマスになぜ浮かれているかというと(特別浮かれているわけでもないけど)・・・
クリスマスは子供の夢を叶える日だからだろう。
息子曰く、サンタクロースは世界中に2人だけでプレゼントを配っているらしく、とても回り切れるはずがないのだが魔法の力で何とかしているとのこと。サンタクロースが1万歳だとか、ソリは100年モノだとか、息子の世界観がいろいろあるのだが、そういった夢が叶う日。
世間がそうやって夢を見させるので、大人としては相手をしてやるのが筋。親としては想像力を養ってもらういい機会かと。
これを一概に禁止して当初から子供の夢を奪うのがエホバの証人というカルト。
ものみの塔のクリスマス禁止の無根拠を論破する、馬小屋は寒いのか?
カルト思考でクリスマスを拒否するエホバの証人
エホバの証人は、クリスマスは商業戦略だとかキリストの誕生日と関係ないとか、どうでも良い本筋と逸れた一方的ルールを押し付ける。子供がどう思うか?何を感じるか?という、一番大事なことが見えていない。
エホバの証人の子供の12月は憂鬱そのもの。クリスマスの歌が今月の歌とかになって一ヶ月学校で歌われるのだが、クリスマスソングの歌唱もエホバの証人の子供は禁止される。
理由になっているのか、なっていないのか、意味不明な歌えない理由を先生に告げなければならない。クリスマスの歌を歌わずにモジモジし、クリスマス会にも参加禁止。エホバの証人の子供にとって、クリスマスは夢どころか悪夢。
エホバの証人は、クリスマスはキリストの生まれた日でなく商業戦略だからという理由で拒否する。商売戦略だと分かっているのなら、宗教的理由で拒否する筋がない。
宗教的理由でなく商売に協力するのが嫌だという了見の狭さなら、それ自体意味不明で、誰の払った税金で暮らしているのか問い詰めたい。さらに、学校の行事は商業とは直接に関係ない。
異教由来だから禁止というのも変な話。由来はどうあれ今は商業戦略になっているのなら、現在では宗教は関係ない。
子供の頃、「クリスマスができません」と先生に言うのに理由がイマイチはっきりしない。ダメなものはダメというカルト特有の決めつけ思考に私自身も囚われていた。これが洗脳。ものみの塔の言うことはとにかく絶対!という思考。
逆に、実はものみの塔の言うことは絶対に全部間違っている。
ものみの塔の宗教本に、細かな教訓めいた常識的なことが書いてあったとしても、根幹がハルマゲドンとか復活なので、思想そのものの方向が間違っている。破壊と命の軽視、現実逃避。
エホバの証人は輸血拒否で死んだり、子供に暴力を振るったりという宗教。であるなら、ものみの塔の宗教本に書いてあるちょっとした一文がいかに正しかろうと、人生や子供に与える悪影響は計り知れない。最悪、無駄死にするからね。
エホバの証人に近づかないに越したことはないし、ちょっとした良い話を読みたければ、小学校の道徳の教科書でも読んでいればいい。
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