キリストはクリスマスに生まれたが正解、中東の12月は寒くない

キリストはクリスマスに生まれたが正解、どうでもいいけど

エホバの証人のクリスマス禁止の矛盾については何度も指摘しているが、今年も。

クリスマスがキリストの生誕日ではないというのがエホバの証人の言い分。「キリストが生まれたのは馬小屋だった、クリスマスのような寒い時期に馬小屋で出産できるわけがない」という話。だからクリスマスは禁止と。

この話がいい加減で、こういったお粗末さがエホバの証人の教義全体のレベルの低さを象徴している。つまり、単なる嘘つきカルトということ。

マリア様ご一行は、寒くて仕方がなかったので、まだ比較的暖の取れる馬小屋に緊急退避。なのでキリストが生まれたのは12月で間違いない。乱暴な断定だが、エホバの証人も同じ。

馬小屋じゃ12月に寒くて出産できないから12月ではない。これも同じくらいに乱暴な断定。キリストは何とか暖をとった馬小屋で12月に生まれたんだよ。後の英雄なんだから、元々の強運。多少寒くても無事に生まれたんだよ。

12月でも比較的暖かい日はあるわけで、キリスト様がわざわざお生まれになるっていうんで、小春日和になったっておかしくはない。なんせ、数々の奇跡が聖書に描かれている。多少の気温くらいなんとでもなる。

カルトのエホバの証人の言うことは全て間違いだと思った方がいいので、キリストはクリスマスに生まれたが正解。まあ、どうでもいいんだけど。

エホバの証人(JW)とクリスマス、子供の夢を奪うカルト

中東の12月はさほど寒くない

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エホバの証人(JW)とクリスマス、子供の夢を奪うカルト

子供の夢を奪うカルト、エホバの証人

今日はクリスマス。今晩はサンタクロースになり、子供たちの枕元にプレゼントを置いたり。もはやどちらかというとキリスト嫌いなのに、クリスマスになぜ浮かれているかというと(特別浮かれているわけでもないけど)・・・

クリスマスは子供の夢を叶える日だからだろう。

息子曰く、サンタクロースは世界中に2人だけでプレゼントを配っているらしく、とても回り切れるはずがないのだが魔法の力で何とかしているとのこと。サンタクロースが1万歳だとか、ソリは100年モノだとか、息子の世界観がいろいろあるのだが、そういった夢が叶う日。

世間がそうやって夢を見させるので、大人としては相手をしてやるのが筋。親としては想像力を養ってもらういい機会かと。

これを一概に禁止して当初から子供の夢を奪うのがエホバの証人というカルト。

ものみの塔のクリスマス禁止の無根拠を論破する、馬小屋は寒いのか?

カルト思考でクリスマスを拒否するエホバの証人

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JW2世のクリスマスの辛い思い出

エホバの証人とクリスマス

明日がクリスマスなので、これから子供たちが寝静まったらプレゼントを枕元に置かないと。子供たちは靴下を吊り下げて寝たけれど、そんな小さな靴下じゃプレゼントは入らないな・・・うっかり寝てしまわないように気をつけよう。

息子は4歳で、まだサンタクロースがいると思っているのかいないのか。手紙で欲しいプレゼントと「ちゃんとお片付けします」と約束を書いていた。幼稚園にもサンタクロースが来たらしいので、まさかソリで空を飛んでくるとまでは思っていないのだろうが。

私の場合は、物心ついた瞬間からクリスマスはこの世の商業戦略だと親に教えられた。だからプレゼントを貰ったことも、クリスマスにケーキを食べたことも一度もない。理由は我が家がエホバの証人一家だったから。

子供の年に一度の楽しみなので、商業戦略だろうが何だろうが、ある程度乗っかってやれば良いのに。本当にエホバの証人はしょうもない細かい所にこだわる。クリスマスはキリストの誕生日ではないとか何とか。どうでも良いです。そんなこと。

クリスマスはプレゼントを交換してシャンパンを飲んだくれる日。それで良くないですか?

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人のクリスマスケーキ

エホバの証人二世にとって苦痛のクリスマス

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エホバの証人のクリスマスケーキ、今日から人生をやり直す

エホバの証人のクリスマスとは・・・

エホバの証人のクリスマス

今日12月24日は日本中が浮かれるクリスマス。しかも日曜日で、家族や恋人と楽しく過ごそうとしている人たちがたくさんいる。しかし、そうでもない人々もいる。エホバの証人の家族は、いつも通りに週末の集会に出かけている。

エホバの証人組織は、クリスマスを祝うことを禁止している。クリスマスもサンタクロースも、恋人と過ごす甘い夜も、エホバの証人には何の関係もない。いつも通りに日曜日の集会、午後からは布教活動で街頭に立ったり。

果たして、本当にそれで良いのだろうか?「自分で考えて決めていることだから、それで良い」と、エホバの証人たちは答える。「クリスマスは企業の経済戦略で、それに乗っかるだけ無駄なことだ」と言う。

しかし、それは本当に自分で考えたことなのか?単純に教団の言いなりになっているだけではないのか?経済戦略に乗っかって、ちょっとだけ浪費することの何が悪いのか?

ちょっとした浪費が、永遠の記憶として身近な人との間に残る。安いものだ。楽しく消費し、世の中にお金を回す。立派な経済活動の一つ。

エホバの証人2世の子どもに至ってはさらにむごい。クリスマス会に行きたくて仕方がないし、明日の朝はクリスマスプレゼントが欲しい。これは間違いない。私も子どもの頃はそうだった。楽しいことが嫌いな子どもは存在しない

教団や親の言いなりになってクリスマスを避けているだけ。親の顔色をうかがっているだけ。もしくは子どもの頃から洗脳され、クリスマスを自ら避けるような、エホバの証人体質にされてしまった。

子どもたちが自分で選択して決定したことではない。親が「クリスマス会に行っても良いよ」とさえ言ってくれれば、どれだけ幸せだったか。

誕生日パーティーが禁止のエホバの証人2世

『ドアの向こうのカルト』~エホバの証人の作るケーキが不味い理由

エホバの証人がクリスマスケーキを買って家へ帰ると

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