エホバの証人の14万4000人の油注がれちゃった勘違い野郎

エホバの証人の勘違い”奇跡”体験

栄光あるエホバの証人の14万4000人の笑点メンバー

エホバの証人には14万4000人の特殊な教理がある。神により油注がれた14万4000人が、死後天に昇りキリストと共に地上を統治するというトンデモ教理。

昇天メンバーは14万4000人ときっちり人数が決められている。この人々は天的級とも呼ばれている。エホバの証人組織の頂点に君臨する、統治体の成員ももれなく天的級に含まれている。

14万4000人のメンバーには、神から何らかの徴しが下る設定。この人たちは、エホバの証人の年に一度のイベント「主の記念式」で、自身が昇天メンバーであることを表明する。

「主の記念式」で昇天組だと明かした人の数は、世界中で集計される。そのため、毎年の記念式で14万4000人のうち、昇天前メンバーが何人生き残っているか明らかになる。

エホバの証人の14万4000人の教義には矛盾点が多く存在する。

14万4000人以外の下層のエホバの証人は、死後天に昇ることは出来ない。天国のイスが定員オーバーだから。既に14万4000人の選別は終わっていることになっている。(この教理は改訂されて、まだまだ昇天メンバー募集中になったのか?なっていないのか?2022年追記。どうでもいいけど。)

そのため、一般的なエホバの証人は、ハルマゲドン後の地上の楽園での永遠の命ゲットを目指している。

この”地上級”のエホバの証人と、天的級の栄光ある昇天メンバーとの境界線は紙一重。主の記念式で、昨年までは地上組の通常メンバーだった人が、今年から昇天組になりましたと表明することがあるから。

エホバの証人の主の記念式でぐいっといっちゃって

死後にキリストの隣の席が約束されている聖人クラスでも、神に対して背くことがあるらしい(笑)。すると天的クラスから除外される人が出てくる。14万4000人に欠員が出る。次席だった地上級から1名が昇天メンバーへ格上げされるという設定。

今年から「昇天組になりました」と、神に言われても、「私は地上の方が良いです」とか全然ありそうなのだが。実はこの点は問題ない。昇天メンバーは全員錯覚を感じているだけ。勘違いなので、昇天というか笑点。

エホバの証人の14万4000人の油注がれたという錯覚

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エホバの証人はものみの塔に仕えるカルトの証人

宗教が人に仕えるべき

ものみの塔に仕えるエホバの証人

エホバの証人(JW)は、ものみの塔協会の教義を第一に考え、最優先事項とする。これがそもそもの間違い。

宗教は癒しや慰めであったり、道筋を示すものであったり、その程度のモノでしかない宗教は人のためにある人が宗教に仕えるのではない。宗教が人に奉仕すべき

宗教を人間より上位に持ってくるとおかしなことになる。日常生活や、人生を投げ打ってまで宗教活動に従事しなければならなくなる。

宗教を生業としている人だけがそうすればいい。それで飯喰っているんだから。代々の神官であるとか、僧侶として出家したとかそういった人々。我々のような宗教的素人が、何らかの宗教や神にのめり込み過ぎるのは良くない。

宗教と日常生活とのバランスを崩し、最大限に宗教への前のめりを要求してくるのがカルトであり、その先には破滅が待っている。精神の荒廃、家族の崩壊、経済的な損失も計り知れない。何ごとにもバランスが重要。

エホバの証人は聖俗のバランスを一切認めない。俗っぽいもの全てを完全悪だとしている。極端なカルト。

エホバの証人は、ハルマゲドンでこの世の全ては無に帰するとマインドコントロールされている。そのため、全財産をものみの塔に捧げることも厭わない。無意味に質素な生活を送り、最後には経済的に破綻。いつまでもハルマゲドンが来ないから。そして悲嘆にくれた家族は崩壊する。

エホバという疫病神がもたらす人生の破滅

世界の破滅を祈るエホバの証人

エホバの証人というカルト宗教

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エホバの証人のバプテスマのさなか、膨らむ妄想と水着の下半身

汚いプールに浸るエホバの証人のバプテスマ

エホバ証人のバプテスマとは

エホバの証人というカルトな世界には、バプテスマという献身の儀式がある。この儀式のポイントは、エホバの証人組織に献身するということ。

建前上は、神エホバに身も心も捧げるということになっているのだが、実際は教団の言うことを妄信的に信じ、命も捧げることも厭わないという覚悟の表明。

エホバの証人には輸血拒否の教理がある。この教理がある以上、エホバの証人は輸血の是非が生存の境界となる場合、組織に殉じて死ぬことを選ぶ。

バプテスマは、年に数回のエホバの証人の大会という大規模な集まりで実施される。その地区で新たに献身する信者が集められ、大会のプログラムの中で献身にまつわる話がなされる。

その後、実際にバプテスマとなる。信者は全員水着に着替え、バプテストの男性にお姫様抱っこをされて、プールの水の中を一瞬潜らされる。髪の毛一本たりとも水の中から出てはいけない。全身を水に潜らせなければ失格という決まり。

心から献身していない人は、何度やっても体の全部を沈めることが出来ないというエホバの証人の都市伝説がある。神や聖霊によって偽善者のバプテスマが妨害されているということなのだが、ただの迷信。エホバの証人の誰かがでっち上げた話だろう。

この大会は、市民ホールや大きな展示場などを借りて行われる。そこにプールを持ち込み、水を張ってこの儀式を行う。全くご苦労なことだが、ホールの運営側にプール持ち込みの許可を得ているのかどうかは不明。

エホバの証人は神の”ご意志”に沿っているという前提ならば、社会的な法規や契約などは簡単に無視する集団。危険なカルト。大きなホールを貸し切るのは簡単ではないので、バプテスマ用の水を張ったプールの使用を断られたとしても、無視して強行するのだろう。

エホバの証人のバプテスマとは

エホバの証人のバプテスマ、膨らむ妄想と水着の下半身

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あなたがスグにエホバの証人(JW)をやめるべき理由

エホバの証人をやめた未来に

エホバの証人をやめた父の奇跡的な生還

エホバの証人をやめた父は、夜の防波堤を海の際まで無意識的に歩くという自殺未遂直前の行動に出た。これは、20年もエホバの証人活動を続けて、取り返しがつかなくなったことに絶望した結果。

そして、家を飛び出し、母と離婚し一家離散。さらに放浪の末に一文無しになる。もう死ぬしかないという状態にまで陥る。

父は死の淵に何度も迫ったのだが、奇跡的に生還する。これだけしか話さないと、エホバの証人は「まさにエホバ神の救い」などと言い出す。

父はこのとき、「これで負けたら死ぬ」と決めた最後のパチンコで何度も勝った。最後の金で打つ決死のパチンコで何度も救われた。

本当に神がいるのなら、父は神に救われたのかも知れない。奇跡としか言えない。ここ一番のパチンコで何度も連勝するのはまさに奇跡。

ギャンブルは基本的に胴元が儲かるように出来ている。人間が作ったシステムなので、攻略・必勝のルートはどこかにある。しかし、そんなモノ関係なしで運だけで連勝するというのは、まさに奇跡。

冗談のような話だが、博打好きな神にしか出来ないこと。

父を生かしてくれたのはやはり神なのかも知れない。

ただ、その神はものみの塔が存在を主張するエホバという神でないことは明らか。ものみの塔はギャンブルを認めていないし、離婚、喫煙と戒律に反し続けた父がエホバに救われる筋合いはないから。

恐らく、父本人もエホバの存在を認めていないし、エホバなんぞに救われたいとは思ってもいない。

ものみの塔協会がエホバの証人(JW)に隠す人生の真理

エホバの証人という、すべての羊たちのために

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エホバの証人(JW)の父親の悲劇、人生のムダ遣いと罪

エホバの証人がムダにする人生のすべて

私の父は、ものみの塔協会に20代から40代までの人生をすべて捧げてしまった。ものみの塔に献身し何もかもを失った。エホバの証人として活動し全てを失くした。

私の一家は離散し、父の職歴はスキルの必要とされない業種の転職だらけ。財産も残していない。何より一番大きな損失は、若さとそこから来るエネルギー全てをものみの塔に吸い上げられてしまったこと。

貴重な時間と多大な労力をものみの塔のために浪費してしまった。

私の家庭では、ものみの塔のために多大な経済的浪費を行っていた。通算になると恐ろしい金額の寄付をしていた。毎月幾らと決めた金額をエホバの証人の王国会館の寄付箱に入れていた。何たる浪費だろうか。

エホバの証人は金銭に執着しないように、守銭奴にならないようにと教えられ、惜しげもなく自らの財産のほとんどをものみの塔に捧げてしまう。

エホバの証人は、ものみの塔が発行する宗教本を一冊たりとも漏らさず手に入れる。そして、その発行に見合う分の寄付金を暗に要求されている。

ものみの塔はフルタイムの仕事に就くことを勧めていない。この世の終わりが近いので世俗の仕事に集中するなと。世俗の企業は全て滅ぼされる、その終わりの日のことを”ふれ告げ”て、信者を勧誘する活動に自分の時間の全てを費やすことを要求される。

人生の浪費、必要の大きな所のエホバの証人2世(JW2世)

エホバの証人として生きた罪

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目ざめよ!エホバの証人(JW)

偽予言者

エホバの証人の終わりの日のカラクリ

エホバの証人というのは、19世紀米国で発祥した自称キリスト教系の新興宗教。終末論を唱えており、信者は世界の終わりハルマゲドンで生き残りたいがために、エホバの証人として宗教活動を行っている。

エホバの証人のハルマゲドンの年代予言は、ハズれる都度延長されてきた。誰もが知ってのとおり、終わりの日「ハルマゲドン」など来ていない。1914年、1975年と漸次ハルマゲドン予定日は繰り下がっている。

キリストが生まれてから2000年間、我々が終わりを見る世代であり、終末は目前だと、世迷言を言い出す教祖が限りなく存在した。我々こそが、生き残って新しい世界を見る者だと、偽予言者たちは自信満々に語った。しかし、

我々が偶然にも終わりの日に生きている、そんなミラクルはありえない。時代時代ごとに、終わりを騙る偽予言者が無数に現れているだけ

初期のエホバの証人たちは、とっくの昔にハルマゲドンを味わうことなく死んでいった。現在のエホバの証人も同様。人生を偽予言者にフルベットして憤死。

終わりの日に偶然生きているという奇跡感。その優越感を味わっているのはエホバの証人だけではない。全ての終末思想をもつ新興宗教信者が体験してきた感覚。これは本人たちにとっては心地よい快感なので、簡単に騙されてしまう。

エホバの証人のハルマゲドンの予言はいつまで継続されるのか?それは、教団が存続する限り永遠に。昔の予言を無かったことにして、新たに終末予測が更新されていく。そして、偽予言者の予言するハルマゲドンは永遠に来ない。

目ざめよ!エホバの証人

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エホバの証人(JW)の犯す、ものみの塔崇拝という罪

JWの組織・偶像崇拝

エホバの証人になるという間違った人生の選択

エホバの証人になるというのは、完全に間違った人生の選択。その邪道に人を引きずり込むなどもってのほか。

なぜならば、人は生まれてから死ぬまでの限られた時間を、自分で決めたことのために使わなければならないから。

この単純な自由が叶わない人々が、人類の歴史の中には多く存在した。我々は幸運にも、自分の生き方を自分で選択することが可能な時代に生まれている。

その貴重な権利を放棄してはいけない。ものみの塔の言いなりになるという人生の無駄遣いをしてはいけない。

ものみの塔に献身するというのが、自分で選んだ生き方だという反論があるかも知れない。本人の自由だと。しかし、エホバの証人として生きるということは、他人をその道に導く活動をしなければならない。それがエホバの証人でしょ。

人々を誤った道に引きずり込むということは、どう考えても人の道に外れた行為。

エホバの証人は、誰もが真理を求め、敬虔な宗教心を抱いて王国会館に通い始めた。そこまで高尚でなくとも、何らかの救いや人との健全なつながりを王国会館に求めた。

それがいつの間にかものみの塔のマインドコントロール下に置かれる。そうなると、自分でものごとの良し悪しを考えることが出来ない思考停止状態に陥り、ものみの塔という偶像を崇拝し始める。そして、同じく誤った道に人々を迷い込ませる。

エホバの証人が偽教・カルトであると言えるのはなぜか

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子供にとって悪影響でしかない、エホバの証人というカルト

JW2世の罰ゲーム人生

失われるエホバの証人2世の自尊心

私はエホバの証人というカルト宗教の2世信者だった。2世信者とは、親の1世信者の始めた信仰を強制される子供のこと。

エホバの証人の2世信者の特徴の一つは、他者の視線を必要以上に気にすること。カルト信者として、幼い頃から奇異の視線を浴び続けて育ったことが原因。私自身の経験から、この特徴を考察する。

エホバの証人の子供は、ありとあらゆる学校の行事に参加しないことで、同級生や先生から変わり者扱いされる。親族からも心配され、憐れみの視線を投げかけられる。隣近所にも、子供自ら呼び鈴を鳴らし布教活動をさせられる。

小学校の高学年から中学生くらいになると、同級生の住む地域を布教活動で回るのが何よりも嫌だった。しかし、私の両親は同級生の視線を嫌がる私の信仰が弱いと思い込んでいた。完全にエホバの証人組織のマインドコントロール下にあったから。

子供に信仰心なんか要らねーっつーの。

同級生が住む区域を、強制的にカッターシャツにネクタイを締めて回らされる。完全な罰ゲーム。これは、私が両親に「エホバの証人をやめる」と宣言する中学2年生の秋まで続く。

思春期の多感な時期に、親から嫌がらせにも同義な理不尽な扱いを受けた。

私の自尊心は傷付き、エホバの証人である姿を誰にも見られたくないと強く思っていた。ネクタイを締めて親と一緒に近所を歩き回っている時だけではなく、常にエホバの証人である自分が、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなかった。

こうして、私は他人からどう思われているか、どのように見られているのかを、必要以上に気にするようになった。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

恐怖、見知らぬ家の呼び鈴を鳴らせ

エホバとキリストから無限に浴びせられる監視の視線

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エホバの証人の王国会館での熱烈な歓迎はカルトの証し

JWの王国会館

エホバの証人の王国会館で行われるマインドコントロール

エホバの証人の王国会館では集会と呼ばれる信者の集まりが開かれる。集会では、講演や教団の宗教本を利用した質疑応答、信者による実演などが行われる。

公開講演と呼ばれる講演は○○兄弟と呼ばれる男性の※献身した信者のみが行い、女性の信者が行うことはない。エホバの証人社会は完全な男尊女卑の古くさい思考の組織。

※献身とはバプテスマとも呼ばれ、キリスト教的には洗礼・浸礼のこと。エホバの証人の献身は、ものみの塔協会という組織に自身の全てを捧げますよという誓いを立てることを意味する。本人たちはエホバという神に誓っているつもりなのだが・・・。

公開講演には派手な身振りや言葉の抑揚が付属していて、あいまあいまに座っている信者が拍手をする。今となってみると、尋常ではない光景。王国会館の空気に酔いしれて、閉塞した一体感のもとでマインドコントロールが進行していく

エホバの証人養成のための神権宣教学校

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自宅をものみの塔に献上するエホバの証人、マインドコントロールの完成

自宅を献上するJW

エホバの証人の会衆と群れとは

エホバの証人は、地域ごとに会衆という単位に分割されている。この会衆で宗教法人登録しているケースが多く(ほとんどこのケースなのか?)、国内では、それらの会衆をものみの塔聖書冊子協会が管理・統括している。

会衆の成員は最大100名程度。信者の増減に伴い、会衆は分割や合併を繰り返す。各会衆には○○会衆と大まかな地域名があてはめられている。

会衆の下に群れという単位もある。○○の群れという、もっと小さな地域名称で呼ばれている。

群れというのはエホバの証人が自身のことを羊に例えているから。対照的な羊と山羊、羊飼いに従順で忠実な羊をエホバの証人に、ちょっと自由気ままで攻撃的な山羊を信者でない一般の人々に例えている。

会衆や群れの単位で、集会と呼ばれるエホバの証人の集まりが開催される。

私がエホバの証人の集会に参加させられていた1990年代は、平日の夜に週2回集会が開かれていた。そのうちの1回は群れ単位での開催だった。

エホバの証人の集会は、基本的には王国会館という集会所で行われる。王国会館1つに対して基本は1つの会衆だが、会衆が複数割り振られていることもある。都市部など会衆が分割された場合は、元々の王国会館を複数の会衆で共有することになる。

群れ単位での集会は、王国会館では場所がまかなえないので、信者の個人宅での集会開催となる。

私の家でも、群れの集会が開かれていた。毎週火曜の夜になると、車が何台も近所の路上に停められる。そして、葬式か何かかという尋常でない人数の信者が集まってくる。異様な光景が繰り広げられていた。

路上駐車は近所迷惑だし、周辺住民にとっては、夜遅くに集まって何をしているのか抜群の不信感。

母は、自宅で集会のある日は家の掃除など準備にかかりきり。

集会が終わっても、信者はなかなか帰らないので、小学生だった私も夜寝るのが23時をまわるのは普通、場合によっては日付をまたぐことも。

育ち盛りの小学生にとって不規則・寝不足な生活が良いはずがない。

エホバの証人の集会とは?日程・曜日・服装などまとめ

自宅までを教団に献上するようになったらおしまい

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