命より重い金をむしり取ろうとするものみの塔協会

エホバの証人を脱会させるためのwikipedia論争

エホバの証人のwikipedeiaがものみの塔協会によって都合よく書き換えられていた件。書き換え担当のエホバの証人と双方向のやり取りに発展。ものみの塔協会はエホバの証人をマインドコントロールしている・していない論争中。

「エホバの証人は、聖書の聖句から自分の行動・信念を説明できるのでマインドコントロールされていない」というのが先方の主張。自分の頭で考えて説明できるので、マインドコントロールでないということ。

それに対して、聖書を妄信しちゃダメ、聖書に依存しちゃダメだよねという話が前回。聖書を濫用しているものみの塔協会のせいで命を落としますよということ。

命の無限の可能性を否定するエホバの証人はカルト

輸血拒否で実際に命を落とした場合は分かりやすいが、今でも王国会館に通い続けている信者も命を失っているも同じ。生きているような顔をしているが、自分の自由意志を持たない生き方なので死んでいるも同じ。人間未満。王国会館で取って喰われるだけの家畜。

エホバの証人は、聖書に従って命まで投げ出すが、それはエホバの証人にとって聖書が聖典であるため、自分で聖典であると判断しているため、エホバの証人はマインドコントロールされていることにならないという反対意見もあるだろう。

いやいや、命まで落とさせる宗教はダメだよ。自分の命>宗教、自分の命>神ですよ。神だろうが宗教だろうが、そんなものより自分の命の方が重いよ。どんな宗教でもこの一線を超えているものは間違いなくカルト。

神や宗教を作り出したのは人間だし、どんな宗教活動だって生きていなければ出来ない。自分の命より重いものなんてほとんどない。ぼけーっと生きている一般人に自身の命より重いものなどない。

命までを要求する宗教は疑いようのないカルト。このルールに照らし合わすとエホバの証人たちは間違いなくカルト被害者で、ものみの塔協会のマインドコントロール下にある。

生きてさえいれば、可能性は無限。それを否定するのは宗教にあらず。

命より重い金をむしり取ろうとするものみの塔協会

唯一、命の価値を測れるのが金。生命保険に入るとあからさまに命の重さが測定される。とはいえ、その金額が自分の命と同等の価値があるかどうかは話は別。金はただの紙切れなので使いよう。

無駄遣い・浪費する金なら自分の命よりは確実に軽い。この消費社会で命を捧げるに等しい価値のあるものにお金を使い切れるかと言ったらまず無理。

生命保険に入って、死んだら保険金を全額、王国会館の寄付箱に入れますか?

ものみの塔協会が要求しているのはこのレベル。エホバの証人の方~、全員、生命保険の受取人をものみの塔協会にして下さい。そして早く死んでくださーい。エホバの証人は気付いていないが、実質はこういうこと。献身ってそういうことでしょ。


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