カルト宗教の本質、カルト3原則その3「マインドコントロール」

カルト3原則その3「マインドコントロール」

昨日までの記事で、壺を買わされたり輸血拒否をしたりというのはカルト宗教の悪意の表出に過ぎず、本質は共通。それをカルト3原則としてまとめている。

カルト3原則

  1. 自由意志の剥奪と人権侵害
  2. 騙し
  3. マインドコントロール

カルトに共通の本質その3「マインドコントロールを行う」としたのだが、果たしてこれで良いのか?

「家族を人質にとって信仰を強要する」「子供に信仰を強要する」なども候補に入れたのだが、これらは1の自由意志剥奪に含まれている。

エホバの証人が陥っているのはマインドコントロールでなく、ただの思い込みだとか、行動や考え方を変えたくないという悪習慣であったりという説もある。マインドコントロールなんて言い出すと話がややこしくなると。

各種意見はあるのだが、私自身の経験からするとマインドコントロールのようなものはエホバの証人には存在すると考えている。そして、同じ穴のムジナである他カルトのお仲間にも存在する。

マインドコントロールとは?

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すべてのカルト宗教に共通する本質、カルト3原則その2「騙し」

カルト3原則その2「騙し」

カルトの本質、「騙し」

昨日までの記事で、「高額壺の販売・結婚相手の強制・政治干渉・児童性虐待・児童虐待・輸血拒否」という悪事は、カルトの本質である悪の表出にすぎない、と書いた。

表面に出る悪行は違えど、数多のカルト宗教の本質は共通。そのカルトの本質をカルト3原則としてまとめた。昨日はカルト3原則その1「自由意志の剥奪と人権侵害」について書いた。

カルト被害者は自由を奪われた家畜同然。人権も失っている。だから、ただの壺でもありがたがって高額で買わされるし、輸血を拒否して命まで失う。それが我慢ならなくなると脱会できるのだが、カルト信者たちは家畜生活を好むように誘導されている。

その誘導手段が、カルト3原則その2「騙し」。被害者の自由を奪い、人生そのものを収奪するためにカルト組織側が行うこと、それが信者を騙すこと。カルト宗教が信者を騙すのは、全カルトに共通している。

ながーい人類史の中で、たまたま自分の生きている時代に、活けるメシアが降臨した。とかあり得ないっしょ。完全にウソじゃん。「我々の組織だけが神の言葉を受けて、将来起こることを予言できるのです」とか。激しくイカれた寝言なんだけど。

この冗談みたいなウソを塗り固める周到な仕組みを作ったり、巧妙に権威付けしたり、あとは脅したりすかしたりして信者に信じ込ませる。これがカルト宗教の3原則その2「騙し」。

カルト宗教に騙されると・・・

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カルト宗教に共通する本質、カルト3原則その1「自由意志の剥奪と人権侵害」

カルト宗教に共通する本質

昨日までの記事で、エホバの証人も充分に「壺・結婚相手の強制・政治干渉」の極悪三兄弟をやっていると書いた。エホバの証人組織も統一教会に負けず劣らずの極悪だから、世界から排除せよということ。

エホバの証人はついでに、児童性虐待の温床になっているし、未だに体罰を容認している。輸血拒否で命の軽視、医療資源の無駄遣い。まさにカルトの中のカルト。

こういった悪行はカルトの悪意の表出に過ぎない。抑えきれずにあふれ出す極悪行為はカルト宗教によって差異はあるものの本質は同じ。そのカルト宗教に共通する3つの本質をカルト3原則としてまとめた。今日は、

カルト3原則その1。「自由意志の剥奪と人権侵害」

私が子供の頃にエホバの証人というカルトを強制されて一番嫌だったこと、今でも許せないことは自由意志を削がれること。

前述の悪行の数々、

  • 結婚・交際相手の制限
  • 政治不干渉を強要することでの政治干渉
  • 児童性虐待
  • 体罰という暴力
  • 輸血拒否

これらの行きつくところは、エホバの証人信者やエホバの証人を親に持つ子供の人権を損ね、自由意志を抑えつけること。

「エホバの証人は壺売ってないよ」という反対意見はエホバの証人が壺を買う代わりにむしり取られるモノとは?こちらを参照。「今は懲らしめ(体罰)してないから」という反対意見はものみの塔聖書冊子協会に電凸した話の続き、体罰推奨協会を参照。

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エホバの証人を輸入した明石順三、その現実逃避に問う未来

灯台社、明石順三の現実逃避

『近現代日本とエホバの証人』より。第二章「灯台社の時代」前半部分。

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灯台社とは、日本におけるエホバの証人組織の黎明期の名称。灯台社を設立したのは明石順三、渡米しエホバの証人を輸入した人物。後にエホバの証人の米国本部から破門され、現代のエホバの証人からは背教者として恐れられ、毛嫌いされている。

明石は留学生という名の出稼ぎで渡米したのだが、エホバの証人に堕ちた理由について、本書では以下のように考察している。

第一次世界大戦の勃発や様々な危機と混乱を、すでに予言されていたものとし、その法則性や秩序を提示する教説は、一定程度の魅力を発揮した

まずは当時の歴史的状況。まるで予言が成就したようなつじつま合わせが行われた1914年。

エホバの証人(JW)の歴史は「騙し」の歴史、予言の変遷

さらに、明石の日本人移民という立場。祖国日本から見捨てられた移民。

人間の営みは全て虚しいという宗教的な意味付けと、神の介入のみを根本的な解決法とする世界認識の枠組と秩序、それはアメリカ合衆国や日本といったナショナル単位の利害関係の対立を超越する解決策となる

神の介入など世界に不要だし、人間の営みは虚しいからこそ、一瞬一瞬に意味が宿る。現実を変えられるのは現在に生きる無力な人間だけであるという真理から目を逸らし、神という超越存在にすがるのは現実逃避。

明石の置かれた過酷環境で、上記と同じことが言えるかと問われれば、恵まれた現代日本に生きている私には、ちと自信がない。とはいえ、当時の明石順三がエホバの証人に現実逃避したのは間違いない。そもそも終末思想の新興宗教に堕ちるのは現実逃避。

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自主独立・自律とは正反対、家畜的生き方のエホバの証人

エホバの証人の外国本部志向

『近現代日本とエホバの証人』を読んでいる。研究や学術的「視座」に立っている本書。序章より。

エホバの証人の教勢を測るのに、総信者数の増減を指標とする根拠を延々と示している。入信者数と総信者数が共に伸長していれば脱会者が少ないと言え、総信者数のカウントはいわゆる活発信者のカウントなので・・・という根拠の提示。

私は幼少期の私怨により、ものみの塔が目障り。それが子孫世代の環境の正常化、エホバの証人の存在しない未来という目的に昇華した。単純に、信者を限界まで減らせば組織体は保てないだろうと、大なり小なり信者数の削減方法を模索している。

こうではなく、エホバの証人を客観的視点から研究するとなると、いちいち根拠が必要。学者さんは大変。私としてはエホバの証人がゼロ人になってものみの塔が消滅すれば、それだけで良いのだが。

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本書によると、エホバの証人の拡大と停滞に理由を考えるには

入信する側の背景以上に布教する側の事情に注目する必要

がある。布教する側の事情を突き詰めていくと、エホバの証人は

外国志向的で自己規定が独占主義的

に分類されるとしている。自己規定というのは、宗教としての正当性の主張の仕方のこと。独占主義はセクト的とも表現されている。

また、

宗教には少なくとも教義・信条面、実践面、組織面といった要素があり

本書では、組織面における外国志向を<本部志向>と

再定義している。

『近現代日本とエホバの証人』、カルトに取って喰われる無自覚層

外国セクト本部に絶対服従の家畜的生き方

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『近現代日本とエホバの証人』、カルトに取って喰われる無自覚層

『近現代日本とエホバの証人』

エホバの証人を学術的に研究しようとする本書を読み始める。

「エホバの証人の研究」なんてヤバさ満点な語感。信者たちは、ものみの塔の宗教本によるマインドコントロールのことを「聖書研究」と呼称している。

私の考えは、エホバの証人を学術的に分解したり、研究したりする必要なんか一切なく、ぶっ潰せば良いという考え。解散させるか、信者全員が騙されていると気付けばいい。そうすればエホバの証人が存在しない明るい未来が訪れる。

とはいえ、敵を知らねば戦いようがないので、この本でしっかりと「研究」させて頂くことに。

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最初のページからエホバの証人について端的に要約されている。エホバの証人の特徴を見事にとらえた最後に、「・・・というカルト宗教である」の一文が入ると大いにうなづけるのだが、本書は一方的な批判的立場をとらないので仕方がない。

虚しさや孤独を埋めるために悪事に手を染めるエホバの証人の女たち

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『良心の危機』、やっと出てきた爽やかなモノとは・・・

唯一の清涼なるモノがJW脱会の成り行きという皮肉

『良心の危機』、第12章「最終攻撃」から。私にとっては、エホバの証人にまつわることは不愉快そのもの。子供の頃にこのカルトを強要されて、人生の大きな恥部になったから。

そのエホバの証人に関する本書の中で、ようやく出てきた清涼なるモノ。

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著者はエホバの証人を自ら断絶した人と食事を一緒にしたために、エホバの証人組織から排斥される。その成り行き。このエホバの証人的罪状を追求されているときのこと。先に断絶した人の方が著者の立場を慮り

もし自分と付き合うのが賢くないと判断するならそれはそれで構わないとも言ってくれた。

その一年半前、この立場は逆であり、著者の方が先に排斥になる可能性があった。相手はまだ断絶前。しかも著者いわく

そちらのご家族は多い。奥さんも子供さんもご兄弟もお孫さんも親戚も、全員エホバの証人だ。排斥になった私がアラバマに戻って来たらずいぶん厄介なことになる

それでも、戻って欲しいと言われた著者。

今度は立場が逆転したのだから、ここで釣り合いのとれないことをするわけにはいかない、と私は言った。真理のため、そして他の人のために良心に従って行動した人を邪悪だと決めつけるような意見に同調するわけにはいかない。

これらが、エホバの証人組織を追い出される、追い出されないのために割かれた腐心であることは、全く爽やかではない。とはいえ、心意気のようなものだけを受け止めると、ここには友情と「白を黒とは誰にも言わせない」芯の通ったモノがある。

家族親戚がエホバの証人だらけ。その状況で排斥者を囲うと自身までが親戚中から排斥され忌避される可能性大。著者は老齢になるまでの人生全てを賭けた組織からの排斥の危機。本人たちにとって失うモノは相当に大きく感じられたはず。

どっぷりエホバの証人に浸かった人の中にも、自分基準で相手を思いやり行動でのる人物がいるとは驚き。組織に家畜化されずに、自分の意思、判断能力を残している人物。他人をただ単に純粋に思いやれる人物。

『良心の危機』、著者のものみの塔感覚に対する違和感

『良心の危機』、リーダーは被害者意識で罪から目をそらすな

いざ、自由な大海へ

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エホバの証人の天啓とは?たまたま現れたものに「安易」にフルベットする悪癖

カルトな式典、エホバの証人の死の記念式

エホバの証人特有の天啓体験とは?

『良心の危機』、第11章「決心」より。本章では、エホバの証人特有の天啓体験があると書かれている。

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エホバの証人の教理では、

イエス・キリストが仲介者であるのは「油そそがれた」者たちのためだけであって、その他何百万人といるエホバの証人のためではない

という設定。

天に昇り、全宇宙を統治するのは「油そそがれた」者だけ。そのため、末端構成員のその他諸々のエホバの証人は、「油そそがれた」者で構成される統治体に服従しろとされている。

これは、組織統治、支配のために、都合よく作られたものみの塔の独自教理。

それについて、著者は

聖書を見れば、明らかにイエス・キリストはすべての「その他大勢」のために仲介者となって神との間をとりもってくれるとされている。キリストがすべての人のために自らの命を捧げたこと、受け入れる人には誰にでもその贖いの利益を与えること

すなわち、エホバの証人の教えられていることと反対のことが、聖書の福音であると書いている。これはつまり、エホバの証人組織に対しての背教。

この立場で聖書を読むと

他の人には当たり前のことでも、エホバの証人にとっては天啓かとも思われるショックを与えることがある

このショックを受けた元エホバの証人の言葉

「聖書を読みながら聖霊を拒否しているような気がしていました。ずっと読んでいって自分にそれを当てはめていくうち、急に止まってしまうう。あ、これは自分には当てはまらないんだ、油そそがれた者たちだけに当てはまるんだと思う」

こういったその他諸々の末端エホバの証人が

マタイから啓示(黙示録)に至る聖書の内容がまさに自分に向けられたものであり、拡大した「解釈」など不要で、本当に直接自分に当てはまるのだと納得すると、突然数多くの疑問が出てくる。答を求めていながらも敢えて尋ねようとはしなかった疑問の数々

それすなわちエホバの証人から見れば背教思想。

聖書的に見れば素晴らしい気付き。ものみの塔の色眼鏡を通さずに聖書を学べば、カルトから解放される。

たまたま目の前に現れたものに「安易」にフルベットする悪癖

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エホバの証人が試されるのは、神でなく組織への忠節

エホバの証人、権威構造の宗教に救いはない

『良心の危機』、第6章「二重基準と御都合主義」より。

マウライのエホバの証人は踏み絵を踏むのを許されずに迫害を受け、生死を脅かされる。その一方で、メキシコのエホバの証人は賄賂を支払って軍務修了の証明書を入手。予備軍に参入していた。

メキシコのエホバの証人組織の脱法はそれだけに留まらず、組織そのものが宗教組織でなく文化組織の体裁をとっていた。祈らず、謳わず、聖書を持ち歩かずという神の冒涜三原則。

それはメキシコで土地などの資産を追い求める手段として。神より財産という物質的合理主義。

ここまでが昨日の記事

なぜ、エホバの証人組織にはここまでの地域間格差があるのかというのが、本日の入り口。答えはエホバの証人が偽者のカルトだからなのだが、本書ではそれを明快に指摘している。

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キリスト教を規律の形で扱う権威構造よく現れる産物だと今の私は考えている。権威構造に関わる人たちは、それほど良心にやましさを感じることなく二重の基準があるのを見ていられるようになってしまう

エホバの証人は、宗教を隠れ蓑にした一部の人間の権威欲を満たすための組織。その欲望の犠牲になって死んだり、人生を圧倒的に損なったり。権威者にとってはそれは目に留める必要もないこと。

地域間格差に良心を痛める一般信者がいる一方で

「トップ」に立ち、いわゆる「象牙の塔」にいる人たちは不思議なほどにそういう感情とは無縁で、この二重基準が人々にもたらす影響には感じるところがない

地域に不公平があろうが、いかに全体をたぶらかし、上手く統治するか。それしか考えていない。個別の家族の不幸など一切関与しない。こんな宗教、いやカルトに救いがある訳がない。

組織の言うことは絶対!エホバの証人

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『ニュータイプの時代』、ものみの塔サバイバーの倫理観

反ものみの塔活動のモヤっとポイント

『ニュータイプの時代』、第4章の「ルールより自分の倫理観に従う」の部分で、今まで何となくモヤっとしていたことがスッキリ。

このブログを始めとした私の活動は反ものみの塔の意思で動いている。この世界に必要のないものみの塔を消滅させ、世界を正しい姿に戻したい。そのためにはエホバの証人の一人一人にはものみの塔を脱会、一般人に戻って貰う必要がある。

私のもやもやは、そこまでして良いのか?ということ。

信教の自由、基本的人権という盾の下、この国には人間がどこまでも愚かになる権利すら認められている。

人間がどこまでも愚かになる権利とは、輸血拒否して死んだり死なせたり、不毛な宗教活動に打ち込み公共の益を損ねたり、世界の終末とその後の永遠の命を妄想したり。

エホバの証人をゼロにするということはその権利を踏みにじることになる。私としては、それは全然構わないと考えている。人間がどこまでも愚かになる権利など認める必要がない。

とはいえ、法治国家のこの国で「思想、信教の自由が云々」とか「信じるものは否定するが信じることは否定しない」とか「個人が信じることで誰にも迷惑かけていない」などと言われると、それもそうかと。

単にものみの塔が目障りで、私怨でやっているという本音の一部は決してさらせない。勧誘したり、子供に強制したり、そもそもの時点でマインドコントロールされて騙されているんだから、信じるものが邪悪である以上は信じることすら否定する必要がある。程度の反論しかできず堂々巡り。

これがモヤッとポイント。ここを救ってくれたのが本書。

キングオブカルト、エホバの証人

ものみの塔聖書冊子協会に電凸した話の続き、体罰推奨協会

この国の未来をどうしたいか?カルトサバイバーの倫理観

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