カルトによる宗教虐待
AmazonのKindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』より。
読んでいて知ったことだが、
スケベな教祖→アボチ〇コという意味
らしく。以前から「アボチ〇コ」って何だろうと思っていたのが解決したのだが、実は特にひねりもなにも無くそのまま。本家もビックリの品の無いネットスラング。
“カルトによる宗教虐待、老若男女問わず救済対象とすべき” の続きを読む
AmazonのKindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』より。
読んでいて知ったことだが、
スケベな教祖→アボチ〇コという意味
らしく。以前から「アボチ〇コ」って何だろうと思っていたのが解決したのだが、実は特にひねりもなにも無くそのまま。本家もビックリの品の無いネットスラング。
“カルトによる宗教虐待、老若男女問わず救済対象とすべき” の続きを読む
昨日の記事でカルトを擁護することの問題その1として、愚かな者が騙されるのを促進していると書いた。「信教の自由」が保障されているからと、愚かな人々が、人生そのものを搾取されるのを見過ごしている。カルトを擁護する者は、その搾取活動を促進している。
とはいえ、「信教の自由」は憲法で規定されているから、という反論。それが浅はか。弱者をむさぼり喰うカルトに自由は与えるべきではない。
また、騙されていることに気付きもしない人々が享受している自由は、「信教の自由」のみ。その「信教の自由」のせいで精神的に束縛を受け、人生そのものの自由選択権を放棄させられている。
エホバの証人が輸血を拒否するために命まで投げ出すことがそれを証明している。基本的人権は「信教の自由」だけじゃないんだよ。
カルトにまで「信教の自由」が与えられている現在の仕組みが異常。
本日は問題その2。問題その1と共通なのだが、カルト信者は騙されているというのが前提。
カルト教理が真実であれば、存在自体が容認されるべきではない。エホバの証人の祈りが国家転覆を成し遂げるのであれば、祈らせるべきではない。
エホバの証人がどれだけ祈ろうが、彼らの待つハルマゲドンは起こらない。よって、エホバの証人はただ妄想を抱くだけ人畜無害の愚か者ということで「信教の自由」の建前のもと放置されている。
ここで2つ目の問題。果たしてエホバの証人はただの愚か者集団で人畜無害なのか?
“エホバの証人(JW)が暴走しないという、平和ボケ” の続きを読む
昨日の記事で書いた信教の自由を停止するべきカルト宗教の選別基準。それは教理が社会規範に照らして許されるかどうかというもの。
エホバの証人のハルマゲドンで国家転覆、統一教会の日本人総奴隷化計画(多分・・・)。どちらも社会として到底認められるわけがない。
であるのに、こういったカルトでさえ信者が信じるのは信教の自由だという意見がある。このぱっと見リベラルの一見バランスのとれているように見える考え方には2つ問題がある。
“カルトを擁護する者の罪、愚かな者が騙されるのを促進している” の続きを読む
Amazonのkindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』から。
対談の中で
信者の信仰の自由も尊重したい
という意見が出ている。元2世信者の被害者から出た意見だが、私はこの意見には反対。
現在の西側諸国の仕組みが、たまたま信仰にまで自由が認められているというだけ。その過剰な自由の行きすぎで、私のようなカルト宗教2世信者の人生が汚染されている。
宗教なんてあっても無くてもどうでも良いモノに、自由をむりやり与える必要などない。新宗教の一切を禁止してもいいくらい。ここまで過激でなくともカルト宗教の類に自由は必要ない、というのが私の意見。
カルトの基準だが、人権侵害しているとかマインドコントロールしているとか高額の寄付があるとか死亡者が出ているとか、小難しいことを考えなくても簡単な基準がある。
該当宗教の教理が社会として認められるか否か?社会が到底認め得ないモノを教理としているのなら、カルト、もしくは危険宗教に認定し解散、活動も禁じる。
エホバの証人の場合、ハルマゲドンが来て国家転覆されることになっている。そんなことは到底認められないのだから、当然、組織体としても存続を許すべきではない。
信教の自由で国家が覆されたらたまったものではない。カルト信者の信教の自由より、国民の安全を優先すべき。
統一教会の場合は日本人は韓国人に謝意を示すために奴隷になれみたいな教理で(多分・・・)、そんな話も筋が通らない。国民一人一人が謝意を示すために破産するなんてバカげた話は認めるわけにはいかないので、それを是とする組織の存続を許す必要はない。
“信教の自由を停止するべきカルト宗教の選別方法とは?” の続きを読む
Amazonのkindle Unlimitedだと無料(2024/1現在)なので読み始めた一冊『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』
いろいろなカルト宗教の元2世被害者が集まって対談している。LINEのチャットが元になっており雑多な記述になっている。元エホバの証人も参加。その元エホバの証人の自己紹介で、現役信者である母親が
孫と会いたくもない
ようだと話している。
孫と会いたくない人って世の中にいるんだという驚きが率直な感想。「現役エホバの証人を孫に会わせたくない」というなら1000%同意するのだが、自ら「孫に会いたくない」というのは、さすがのカルト信者。
この実例が証明しているように、エホバの証人はあなたの家族生活を幸福なものにしない。エホバの証人が「家族の幸せガー」とか言っているのは嘘偽り・大げさ紛らわしい発言で、エホバの証人は家族を不和にするカルト。
創価学会や霊波之光が身内にいる人が家族・親族を
盲信者
と紹介している。うまい表現で、今後使わせて欲しいくらい。カルト信者が抱いているのは信仰ではなく妄信仰。
カルトを優先するために、破産したり、孫に会えなかったり。もはや何のために生きているのか、何のために宗教をやっているのか意味不明。そんな絶賛迷子人生なのに「エホバガー、教祖ガ―」とやっている。
なぜ、人生の価値を圧倒的に損ねているのか?客観的に見て不幸ではないのか?小学生でも気付ける自分の迷子状態に気付けない。自身の宗教関連問題については盲目。宗教中心に生きているのだから、人生全般においてほぼ盲目。カルトしか見えていない。まさに盲信者。
“エホバの証人という盲信者、あなたは山上容疑者をどう思うか?” の続きを読む
『芸能人と新宗教』の第五章「新宗教はなぜトラブルを起こすのか」より。
お金を出せば出すほど、教団からは信仰が深いと評価され、自尊心が満たされる
エホバの証人の場合は貧乏な信者が多いので(少なくとも私の身の回りでは)、お金でなく時間。時間を差し出せは差し出すほど、信仰が深いと評価される。
金や時間が信仰と何の関係があるのか?信仰心など量りようがない。人間の尺度で量れないモノを無理やり評価しようとするのが人間の組織の限界。
そもそも信仰心など量る必要がない。宗教と個人のあいだに定量的な基準を持ち込むべきではない。
時間だとか献金額で信仰心を見極めようとする団体は、信者の自尊心をくすぐり、信者間で競わせ搾取の度合いをエスカレートさせる。さらに、恐怖心を煽りたて、大いなる搾取に励む。それがカルト。
創価学会に関しては、世間の受け取り方もだいぶ変わってきました。メディアが昔に比べて創価学会批判をしなくなったことも影響して
いると。長いものや面倒くさいものにまかれて、国民の主権が失われているのが今の日本。さらに、創価学会は
地域で地道に活動し、みんなが嫌がるPTAの役員や町内会の役員を積極的に引き受けることなどが評価を変化させてきています
これだと、もはや宗教は関係ない。学級委員選挙が近づくと急に親切になる丸尾末男と同じ。宗教活動そのものを評価されると困るので、人の嫌がること引き受けてごまかす。後ろめたいことがあるのでフォローしている。
『芸能人と新宗教』~法の下の無法地帯、宗教法人の認証制度とは
“『芸能人と新宗教』結局、両者の関係とは何だったのか?” の続きを読む
『芸能人と新宗教』の第五章「新宗教はなぜトラブルを起こすのか」より。
新宗教の理想と現実のギャップを知ったときに信者は
自分にとって「不都合な真実」に直面したとき、それを直視せず、自分で自分をごまかすという方向に行く人たちが少なくありません
教団の「不都合な真実」を自分の「不都合な真実」に誤変換している。カルト教団に安易に同化すると、被害者だったはずがいつの間にか隠蔽や欺瞞に加担する加害者になる。
もしくは新宗教に関わったという自分の行為を過ちだと認めることができず、その過ちが自分の「不都合な真実」となっている。しかし、間違いは早めに正さないと取り返しがつかなくなる。
教えを本当に伝えるのは難しいので、仮のわかりやすい教えを説いて信者たちを導き、ある程度、理解が進んだ段階で、本当の教えを示す
という「方便」。
それは、ただごまかしているだけにもなりますが、それを教団のため、信仰のためと正当化し、受け入れてしまう
やっていることはインチキカルトの王道で、ズバリ書くと
「教理の本質を最初から伝えるとカルトであることがバレるので、都合の良いように教えて欺き、ある程度、マインドコントロールが進み取り込んだ段階で、カルトの本性を現す」
これが信者の騙し方。マインドコントロールが進むと、カルト組織第一思考となり、教団にとっての「不都合な真実」がまさに自分にとっての「不都合な真実」となる。
“哀れなカルト末期信者の症状「不都合な真実の隠蔽」” の続きを読む
『芸能人と新宗教』、第四章。宗教法人の課税について。
課税されないのは、宗教活動をとおして入ってくる収入についてです。あるいは、宗教施設のある土地に対しては固定資産税は課税されません。
ということは、機関誌を月に数回とか宗教本をコンスタントに発行して売り捌くのは課税対象になる可能性がある。
私が子どもの頃は、エホバの証人の「ものみの塔」誌とか「目ざめよ!」誌にはきっちりと値段がついていた。その価格設定があるとき突然なくなり、以降は雑誌や宗教本の対価は寄付として受け取る形式になった。
エホバの証人の宗教本の定価撤廃は、税金対策だったとも考えられる。
こういった変更を、宗教本が見た目上は無償化されるという「素晴らしいお知らせです」のように発表するのがものみの塔方式。商魂たくましく、都合の良い便りしか、マインドコントロール下にある信者には流さない。
“宗教と金の問題、カルト宗教法人には課税すればいい” の続きを読む
『芸能人と新宗教』、第四章「芸能人は新宗教の広告塔なのか」。本書では、芸能人は宗教団体にとって広告塔になりもするが諸刃の剣でもある、と述べている。
エホバの証人のように問題だらけのカルトだと、芸能人であろうとなかろうと、健全な一般社会との間に必ず軋轢を生む。その際にただでさえ目立つ芸能人であると悪目立ちする。
スキャンダラスに報じられれば、カルトの悪質さが衆目に晒されることになる。世間を欺けずに正しい評価がなされれば、カルトにとって大きな痛手。
芸能人であろうとなかろうと
人は漠然と教えに惹かれて入信するのではなく、信頼できる人に出会って、それを通して入信する
と本書にある。
このことから得られる教訓は、やたらめったら人を信頼するなということ。
カルトの入信を迫る人物など、この世で最も信頼してはいけない人物。そんな怪しげな人間を安易に信頼するから、人生を大きく損ねることになる。
私の母もそうで、訪ねてきたエホバの証人の女性を信頼して人生の大半のモノを失った。その女性が悪人だったわけではなく、同じ被害者。被害者が被害者を増やす。
何でもかんでも猜疑心に駆られるのは良くないけれど、
大金を使うとか、継続的に時間を使うことになる案件、人生を左右する問題、例えば宗教とか結婚とか投資とか就業とか。この手の優先度の高いモノを安易に勧めてくる奴は、大概ロクな奴じゃない。
それを「あそこのラーメン屋美味しいっすよ」的な感覚で受け止めてしまうと、ほぼ100%失敗する。騙される。
私だけは大丈夫と思っているんだろうけれど、騙された奴は皆、最初はそう思っていたんだよ。
“最優先事項をラーメン屋感覚で勧める奴を信頼するな” の続きを読む
『芸能人と新宗教』、引き続き第二章。
新宗教と既成宗教とを区別する際に、比較的わかりやすい基準となるのが、在家集団であるかどうか
既成宗教には専門の神職が存在する。神主や僧侶、牧師など。この人たちは、当該宗教の専門家となり世俗の生活を捨てる。
しかし、新宗教にはこの専門の聖職者が存在しない。本書では新宗教の
教団の構成員はすべて俗人
であり、
新宗教は俗人によってのみ構成された在家教団である
と書いている。
ややこしい点が、在家教団の新宗教なのに出家者が山のようにいる点。本書では幸福の科学を例にとって説明している。エホバの証人も全く同じ。
幸福の科学のいう出家は、宗教活動に生活のすべてを捧げるというもの
この出家とは、エホバの証人でいうところの献身=バプテスマ。思うところあって、宗教活動に人生すべてを捧げる宣言をしてしまう、という愚かな決断。
『芸能人と新宗教』~法の下の無法地帯、宗教法人の認証制度とは
“お菓子の家教団に人生フルベット、新宗教と既成宗教の違いとは?” の続きを読む