『カルト村で生まれました。』エホバの証人との相違点3つと類似点3つまとめ

カルトの子

『カルト村で生まれました。』被害に巻き込まれる子供

ヤマギシ会というカルト集団で育った半生を、マンガ形式で描いた一冊。この団体は全財産を巻き上げる点や、子どもに対する強烈な体罰を行うという点から、完全にカルト。

エホバの証人との類似点3つ

  1. カルトである
  2. 子どもを巻き込む
  3. 児童虐待を行う

エホバの証人との相違点3つ、ヤマギシ会は

  1. 親子が一緒に暮らせない
  2. 高校を卒業したら脱カルトのチャンスが来る
  3. 季節の行事に対しては寛容

カルトの中にいる人は、情報統制されているので、まさか自分がカルトの餌食になっているとは思いもしない。

ヤマギシ会は、高校卒業時に自分で脱会を選択できる。そのため、多少は良心的と言える。しかし、それまでの感受性豊かな幼少期や少年期は、決して取り戻すことはできない。

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金が要らない自給自足の生活を営みたい、ヤマギシ会は、その思想が暴走したカルト。モノが溢れた現代社会で、所有欲を否定するというのは、何でもかんでも手に入れた勝者か、でなければ敗者の遠吠え、現実逃避にすぎない。

しかし、

思想は個人の自由。自給自足の禁欲生活をしたければ勝手にすればいい。とはいえ、無垢の子どもをそこに引きずり込むのは悪行そのもの。子どもを縛り付け、現代社会になじめないように育てるのは、最悪の虐待行為。

エホバの証人との共通点と相違点

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エホバの証人に自殺者が多い理由③:暗闇を歩いたその先には・・・

暗闇の先の海へ

エホバの証人に自殺者が多い理由

なぜエホバの証人に自殺者が多いのか(当社比)?その理由を考えるために、1回目は、私がエホバの証人2世だった頃に起こした自殺未遂について触れた。

1回目の話は、エホバの証人に自殺者が多い理由①:2つの自殺未遂体験談

前回、2回目は下記2点について考察。

  • 私はなぜ自殺しようと思ったのか?
  • 当時の私にとって、なぜそんなに命の価値が低かったのか?

今回は、私の父の自殺未遂から、エホバの証人に自殺者が多い理由を考察する。

エホバの証人家族の崩壊

私は、ほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。両親は狂信的ともいえるエホバの証人で、私はその一人息子だった。当然のように、私はエホバの証人の教理を強要される。

私は14才のときにエホバの証人をやめると両親に宣言し、完全にこのカルト教団から脱出しようとした。

両親は当然のように引き留めるのだが、私はそれに対し徹底抗戦。成人と同時に家を出る。その後、父→母の順でエホバの証人をやめる。21世紀になった直後のこと。

両親がエホバの証人をやめられたのは、恐らくものみの塔の冗談のような1995年の予言解釈の変更が原因。当たらない予言に、さすがに愛想が尽きたというか、目が覚めたというか、マインドコントロールが解けたのだろう。

1914年の嘘と1995年の冗談

エホバの証人をやめる時間差が問題になり、両親は離婚、私の家族は崩壊。父がエホバの証人やめたあとで聞いた話。

元エホバの証人の父、その自殺未遂とは・・・

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エホバの証人に自殺者が多い理由②:エホバの証人2世の軽い命

命の価値の軽いエホバの証人2世の子ども

エホバの証人に自殺者が多い理由

なぜエホバの証人に自殺者が多いのだろうか(当社比)?その理由を考えるために、前回は、私がエホバの証人2世だった頃に起こした自殺未遂について触れた。

前回の話はこちら

今回は下記2点から、エホバの証人に自殺者が多い理由を考察する。

  • 私はなぜ自殺しようと思ったのか?
  • 当時の私にとって、なぜそんなに命の価値が低かったのか?

私の自殺未遂の理由①

幼児の私は包丁を持ち出して、自分の体に突き立てようとしていた。この理由は今となっては定かではない。

エホバの証人2世として、炎天下や雪の降る中を、来る日も来る日も伝道活動で連れまわされるのが嫌だったのか?きたるエホバの証人2世としての地獄の学校生活を予見していたからか?

どちらでもなく、ただの子どもの悪ふざけだったように感じる。気味の悪い、行きすぎた悪ふざけなのだが、このふざけすぎにはキッチリとした理由がある。

エホバの証人にとって命の価値は尋常でなく軽い。人間の命など、エホバの証人にとって吹けば飛ぶようなもの。

なぜか?エホバの証人信者以外の人類は皆、滅ぼされると教えられているから。エホバの証人信者でない人は誰もが、優しいおばあちゃんや親族のおじさん、学校の先生、隣の家の人、誰もがもうすぐ神により滅ぼされ死ぬ。

エホバの証人信者は全員、今すぐにでもその終わりの日、ハルマゲドンが来ると教えられている。エホバの証人にとって、人類全員の命が期限付きの短いモノ。もしくは忠実なエホバの証人であるという条件付きで継続するモノ。

エホバの証人の子どもにとって、命は低価値・短時間。ゆえに自分の命も吹けば飛ぶほどに軽い。包丁で突き刺してしまえるレベルだった。

私の自殺未遂の理由②

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エホバの証人に自殺者が多い理由①:2つの自殺未遂体験談

とりあえず生きろ、世界は広く美しい

エホバの証人と自殺

エホバの証人組織が高齢化しているという話があるが、若い世代にも被害者は多数いる。自殺者まで存在する。

キリスト教そのものは自殺を禁止しているので、自称キリスト教のエホバの証人も自殺は禁止。それなのに、なぜエホバの証人に自殺者が多いのか(当社比)?

  1. 私自身に自殺未遂の経験がある
  2. 私の父親もエホバの証人をやめた後、自殺未遂を起こしている

この最悪な家族の体験2つから、エホバの証人と自殺について考えてみる。

包丁での自殺未遂

私自身にも強い自殺願望があった。かつてエホバの証人2世として地獄の日々を送っていた頃。14才の秋にエホバの証人をやめたので、物心ついてから中学2年生になるまでのあいだ。

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雪だるまを作れないエホバの証人2世の子ども、諦めと許しと

雪だるまも禁止、エホバの証人の子ども

雪だるまを作れないエホバの証人2世

息子の小さな頃の写真を見ていると、雪だるまと一緒に座っている写真を発見。彼の全身の大きさが雪だるまと同じくらい。何とも可愛らしく懐かしい。息子がまだ歩けるかどうかの年齢なので、雪だるまは私が作ったモノだろう。

私の小さな頃のアルバムにも似たような写真があった。雪だるまと子どもの私が並んでいるのだが、よく見ると違いがある。

息子のは雪を球状にしたモノが2つ重なった雪だるま。不格好ながらに私が描いた目、口もついている。私の小さい頃のは雪を球状にしたものが一つだけ。頭がついていない。

微妙な表情の幼い私、その横に丸い大きな球状の雪。気にしなければ、そのままスルーなのだが、私はその写真を見ていて悲しい事実を思い出した。これもエホバの証人にまつわる話。

子どもの私はコロコロと雪玉を転がして大きな球に。雪だるまの胴体を作った。そしてもう一個、一回り小さめの雪だるまの頭を作ろうとしたのだが、ここで両親にストップをかけられた。

雪だるまはエホバの証人にふさわしくない。

という理由で。

諦めるエホバの証人の子ども

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「だるまさんがころんだ」ができないエホバの証人の子ども

「だるまさんがころんだ」さえ禁止、エホバの証人の子ども

幼児教育を受けられない子どもたち

幼稚園児の息子を、幼稚園バスまで送っていったときのこと。

バスを待っている間、息子が幼稚園の友達と「だるまさんがころんだ」と言って遊びはじめた。なんだか古風な遊びをしているなと思ったのだが、ふと気付くと私は「だるまさんがころんだ」で遊んだ記憶がない。

おそらく私が幼稚園や保育園に行っていないからだろう。息子が通う幼稚園もそうなのだが、幼稚園や保育園では、季節に応じて子どもに伝統的な習慣や遊びを教える。

生まれながらにエホバの証人2世だった私は、親が必要ないと決めていたせいで、幼稚園や保育園といった幼児教育を受けていない。

私同様にほとんどのエホバの証人2世の子どもたちも幼児教育を受けない。教団が幼児教育を受けることを推奨しないから。

小学校からは義務教育なので、エホバの証人2世の子どもでもしぶしぶ通わされる。それ以下の年齢のあいだは、エホバの証人の伝道奉仕活動という布教活動に連れまわされる。

私が幼児だった頃は、この布教活動が激しく行われ、エホバの証人の特徴になっていた。文字通り、家から家へと周り、赤の他人の家の呼び鈴を鳴らしまくる。炎天下でも台風が来ても、大雪が降っても、この布教活動に連れ周された。

些細なことも禁じられる、エホバの証人の子ども

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『カルト宗教やめました。「エホバの証人2世」の私が信仰を捨てた後の物語』

カルト宗教やめよう

前作に続く『カルト宗教やめました。』

電子書籍でも発売されているので、ペーパーの本で読みにくい現役エホバの証人におすすめの一冊。

著者は元エホバの証人2世信者で現在は無事に脱会、そして親という、私と同じ立場で同感する点が多数。

見知らぬ家の呼び鈴を鳴らす夢を未だに見る

私もいまだにこの夢を見ます。エホバの証人をやめて25年以上経過した今でも。

同じ悩みや、同じ問題を抱えている他人がどう生きているのかを知ることは、自身の傷を癒すことに繋がります。是非この本を読んでカルト宗教やめましょう。

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深く同意したシーン

作者の母親がヘビ嫌い

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『カルト宗教信じてました。』、元エホバの証人2世の実体験

エホバの証人の洗脳が解ける瞬間

エホバの証人2世の実体験のコミック

エホバの証人2世の実体験をコミック化した本です。洗脳が解ける瞬間が鮮やかに描かれています。このコミックの著者は、ネットの情報や教団外の書籍を見て、エホバの証人の洗脳が解けています。

ものみの塔協会が外部の情報に触れさせないようにしているのは、このようにして、信者の洗脳が解けるのを防ぐためです。

この本の作者は元々、エホバの証人の教理に懐疑的でした。現役信者である頃から、自身の子どもへの輸血を承諾していています。教団が推奨する子どもへの体罰も行っていません。エホバの証人と言えば、輸血は絶対禁止、子どもへの体罰(児童虐待)推奨の組織です。

この本の作者は、エホバの証人に洗脳されつつも、自分の頭で思考する能力がまだ残っていました。それでも、ハルマゲドン、その後の地球のパラダイス化という、突拍子もないエホバの証人の教理は信じ切っていました。

どんないい加減な教理でも、子どもの頃から繰り返し繰り返し、刷り込まれると脳に染みついてしまいます。まるでナイフで木に刻まれた文字のように。

この世の真理とは

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『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』~エホバの証人2世の死生観

元エホバの証人2世の体験コミック

『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』

エホバの証人2世の境遇を描いたコミック。紙書籍版は中古しか販売されておらず(執筆当時2021年1月)。電子書籍版なら端末を覗かれない限り、読んでいるのを知られないので、現役信者の方にもおすすめ。

エホバの証人というのは、自称キリスト教系の新興宗教。2世というのは、宗教2世信者のことで、親の宗教を強要された子どものこと。私も、本書の作者と同じようにエホバの証人2世だった。

エホバの証人組織は、教団外の本を読んではいけないと信者に言うが、それは自分たちの主張を守るための情報統制。マインドコントロールの手段。自分から知ろうとしない限り、真理はあなたの元にはやってこない。

この本は危険でもないし、本ブログのようにエホバの証人組織に対して攻撃的・真っ向から批判しているわけでもない。コミックなので読みやすいし、絵柄も受け入れやすい優しいタッチ。

エホバの証人2世の気持ちを代弁する本

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親の限定的愛情に縛られる、エホバの証人2世の子ども

悩み続けるエホバの証人の子ども

笑えないエホバの証人2世

私は、生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。

エホバの証人というのは、自称キリスト教系の新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会が組織の維持・運営を行っている。2世というのは宗教2世被害者のこと。親の1世信者によって宗教を強制された子どものこと。

私は、小学生の終わり頃にはエホバの証人をやめたいと思い始めた。そして、中学1年生のときに、エホバの証人を早々にやめることを決断する。1990年代前半のこと。

この頃の私はサッカーに熱中していて、エホバの証人活動に奪われる自分の時間を、自分の好きなサッカーに使いたかった。

一方、幼い頃からのエホバの証人の洗脳で、私は本当にハルマゲドンという世界の終わりがくると信じていた。

そして、私はものみの塔によって禁じられているマスターベーションをやめることができなかった。その罰で、ハルマゲドンで自分の身体が焼き尽くされる覚悟もできていた。

どうせ残り短い生であるならば、好きなサッカーを思いっきりやりたかった。

エホバの証人をやめるという決断をしてから、実行に移すまで1年近く時間を要した。この時期が私の人生の中で一番辛い時期だった

この15年後、私は無茶苦茶な生活をしていて、借金だらけの上、自動車免許取り消しになったりと人生絶賛迷子中。頭髪に円形脱毛症ができるほどのストレスだった。

それでも、エホバの証人をやめられずにいた14才の頃に比べれば、格段に楽しかった。何かちょっとでも面白いことがあれば、笑うことができた。14才の私は、一瞬たりとも笑うことのできない闇の中にいた。

エホバの証人一家の根底は嘘、エホバの証人家族が機能不全に陥る理由

両親の限定的愛情に縛られる、エホバの証人2世

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