エホバの証人の伝道、クラスメイトに目撃される悲劇

布教活動を強要されるエホバの証人の子ども

大部分のエホバの証人の子どもが、伝道を強要される

エホバの証人問題支援弁護団がまとめた、エホバの証人の児童虐待等に関する実態調査報告書。

宗教の布教活動の強制について。エホバの証人の布教活動は「伝道」と呼ばれている。

私の子どもの頃は「ボランティア活動」とも自称していた。エホバの証人の布教活動は、他人の役になど立たず有害なので、ボランティア活動と自称するのは偽証だと思うのだが。

この調査報告書では、18才未満のときに、「伝道への参加を繰り返し求められた」と、97%(542人中523人)が回答している。

この設問については、他の設問と異なり、母数が560人から542人に減っている。「18才未満で伝道に行き始めた」と回答した、542人を母数としている。

しかし、母数を減らすと、伝道を強要されたと感じたり(92%)、伝道参加を繰り返し求められた(97%)という人の割合が高くなる。母集団から、伝道経験なしの人が省かれ、伝道経験ありの人に絞られているので。

母数は、18才未満でエホバの証人に関わらされた560人のままの方が良い気がする。こうすると、被虐待者のパーセンテージは減ってしまうのだが、大勢に影響はない。

いずれにせよ、エホバの証人の子どもはやりたくもない布教活動を強要されるという児童虐待を受けている。

母数を542人⇒560人に増やして計算し直すと、93%(560人中523人)が、繰り返しの伝道参加を求められ、89%(560人中499人)が、自分の意思に反して伝道を強要された。十分に多いパーセンテージだと言える。

元エホバの証人2世、幼少期の水筒と有害ボランティア活動の記憶

エホバの証人の偽ボランティア活動で、傷つく子ども

エホバの証人の伝道、クラスメイトに目撃される悲劇

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エホバの証人の末端伝道者、布教時間報告免除の理由は?

エホバの証人の布教時間報告撤廃の理由とは?

エホバの証人、布教時間の報告義務免除はなぜ?

昨日の記事の続き。エホバの証人の末端伝道者が、103年ぶりに布教時間の報告義務を免除されることになった件。

今回の変更の理由を推測。

9月に宣教キャンペーンをやったのだが、結果が大したことなかった。その不首尾が明らかになることを避けるため、そして、キャンペーンをしたところで、これから将来にも伸びが期待できないため、時間の集計をするのをやめた。

時間報告をあいまいにすることによって、布教時間が減少しているのをごまかすのか、「全員から集計しているわけではないので、実際はもっと多いです」みたいな物言いにするのか、やり方がこすい。まあ偽予言者なのでね。当然だね。

果たして、そこまで考えているのか、単なる思い付きでやってそうなんだけど。

米国の宗教統治者たちのうちの一人が思い付いた。こいつらの多数決で方針が決まるので、声のデカイ奴の意見に流れて、末端伝道者の布教時間を集計するのをやめたとか。

ものみの塔協会の1975年の予言ハズシ、統治体の資質不足

布教時間報告撤廃は悪手なのか

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エホバの証人、103年ぶりの珍改革!上から目線の偉そうな指示

エホバの証人の奉仕報告撤廃

エホバの証人のニュース速報

今週の日曜日(2023/10/8)、エホバの証人公式サイトに出たニュース速報。

  • 2023/11からエホバの証人の伝道者は奉仕時間の報告をなしに
  • 伝道の有無と、聖書研究数のみの報告に変更
  • ただし、補助開拓者以上は時間の報告は継続

103年ぶりの変更ということで、Twitterトレンドで「エホバの証人」が上がるほどの衝撃だったみたい。

とはいえ、私は奉仕報告は数年しか出していないし、しかも時間盛り盛りにして、あえて虚偽報告していた(当時の反骨精神どこへ行った?)。そんな私からすれば、どうでも良い変更。

103年の歴史と言っても、しょせんはカルトの歴史なわけで。下らない。

「たいしたニュースじゃねぇよ」というのが私の実感。

しかし、哀れなことに現役信者にはそれなりのインパクトがあるようなので、ちょっと考察してみる。組織に翻弄されまくる現役信者、哀れだな。

エホバの証人の統治体、「指導」と「統治」は違うぜよ!

偉そうな米国の宗教統治者たち

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ハルマゲドンと共に沈め、エホバの証人(JW)組織

ハルマゲドン教理を捨てると崩壊するエホバの証人

悲劇的なエホバの証人の子供を救えるのは・・・

2023/03/05放送の『真相報道バンキシャ!』より。昨日の記事の続き。

番組内で完成度の高い再現VTRが流れる。画面内の子供に感情移入してしまう。我慢しなかったら涙が流れるくらいのリアリティ。思い出させてくれる。子供の頃の悲惨で屈辱的な日々を。

子供が宗教勧誘させられるシーン。完全な罰ゲーム。イジメて下さいと自ら言っているようなもの。現在は子供が布教活動をしていたらアウト。「189」へ電話を。

子供に聞いてみよう。

「お名前は?学校は?住所は?」

「毎月何時間くらい伝道しているの?夏休みとかは?」

「一体何を宣べ伝えているの?」

「この世界が良くなる良い便り」とか答えるので、それは何?と問えば、

いずれ子供の口から「ハルマゲドン」と出て来る。はい。恐怖で布教を強制するのは児童虐待です。伝道時間が数十時間などと答えるようなら、児童相談所も事態を重く受け止めてくれるかも知れない。

洗脳され騙されているエホバの証人の子供を救えるのは、良識ある一般人が一歩踏み込んだとき。

ハルマゲドンと共に沈め、エホバの証人

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平和な日常の維持、それはすべてのエホバの証人が伝道をやめることで実現する

エホバの証人が差し出す、ほぼ唯一の資産「時間」

『近現代日本とエホバの証人』の第四章「従順の時代」より。

私の家族も含めて、1980年代のエホバの証人は熱心に不毛なエホバの証人の布教活動を行った。どれくらい熱心かというと毎月100時間とかを布教活動(=伝道活動)に費やす。

本書によると、「特別開拓者」に求められる要求時間は毎月140時間。7時間労働の20日勤務と同じ。これには集会参加やその準備の時間は含まれていない。しかも無給。貧乏なエホバの証人が持つほぼ唯一の資産である時間をカルト活動に溶かしている。

それだけの時間を費やせば、何らかの成果は必ず出る。しかもその狂気の時間浪費族の人数は、日本全国で20万人にもなる。

成果として捕獲されたのは、情弱なエホバの証人の新規信者。野に潜むカルト予備軍は漏れなく喰い散らかされ、新規信者がまた布教活動に時間を費やす。この連鎖。そうして1980~1990年代の日本のエホバの証人は雪だるま式に信者数を増やした。

終わりをもたらすエホバの証人の伝道

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エホバの証人(JW)のカート布教活動、街宣再開~いつ?どこで?

エホバの証人のカート布教活動、いつ?どこで?何人?

カートだか看板だかを持って立っているエホバの証人の街宣布教。コロナ禍でとんと見かけなかったのだが、遂に今日、遭遇。我が家の最寄り駅の駅前にて。

コロナ前と時間をズラしていて、私の生活圏内にモロに入り込んできていた。具体的には夕方から朝にシフト。急ぎ足で出勤する人に「聖書を学ぶ・・・」は一切響かないと思うけど。政党応援の先客がいたので、場所もコロナ前とは微妙にズレていた。

カート両脇に中年女性2人。駅に向かう人々をはさむ形で離れた場所に3人。向かい合う状態で立っている。3人のうち、一人だけ男性。中高年といったところ。あとの2人は女性で一人は中年、もう一人は若けりゃ20代かなというところ。

真夏の朝から体力的に稼働可能な年齢層が出てきているだけなのか、言われているほど高齢化していない印象。このままだと先細りしつつ、来世紀までエホバの証人は継続しちゃうんじゃないかと。

その過程で、突発的に勢いを増してしまうと、止めどもなく信者が増殖する可能性もある。1990年代の二の舞い。

21世紀、エホバの証人(JW)は決して減っていない

例えば統一教会の脱会者を吸収していくとか。基本的にはカルトなんてどこも同じで、心の隙を突かれて騙されているだけ。心の隙とは信じ込みやすい体質だったり、強烈な運命論者だったり、孤独だったり。

統一教会に依存して埋めていた部分に、エホバの証人がピッタリ収まる類の人がいるだろう。それをグングン取り込んだりすると厄介で不吉な未来が訪れる。

カルトの無い未来を次世代に

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エホバの証人(JW)の割り当てとは?assignment?

エホバの証人川崎事件の少年と初めての「割り当て」

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」より。

エホバの証人の輸血拒否事件、川崎事件を扱った本書。被害者児童が亡くなったのは1985年6月6日。本書によると翌6月7日はこの少年の「初めての割り当て」だったとある。

エホバの証人の割り当てとは?

正式なエホバの証人になるには、段階を踏む必要がある。ここでいう正式というのは献身、バプテスマという儀式を受けること。この儀式を受けたエホバの証人は、組織内で「兄弟、姉妹」と呼ばれる。

亡くなった少年も、断固輸血拒否したその父親も献身しておらず、まだ「兄弟」ではなかった。マインドコントロールの危険度合いは献身宣言の有無には依存しないということだが、エホバの証人の目指すところは、一旦はこの献身である。

仲間内から「兄弟、姉妹」と呼ばれる、馴れ合いの疑似家族空間の仮想温もりがこのカルトの一端を支えている。私みたいにこの馴れ合い環境を気持ち悪いと思う者は、ズブズブ馴れ合い信者に比べれば、脱会へのハードルは低い。

自称「伝道」、エホバの証人のねずみ算的集客システム

エホバの証人のバプテスマとは

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ものみの塔協会、「秩序」より「取り決め」

ものみの塔協会、「秩序」より「取り決め」体質

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『欠陥翻訳ー新世界訳』の6章「ものみの塔協会の体質と新世界訳聖書」から。「取り決め偏重の体質」の項目。

エホバの証人(通称JW)ものみの塔組織では、「取り決め」が多い。こうなると、私みたいないい加減な人間は堅苦しくて仕方がない。子供の頃からこの「取り決め」体質がうんざりだった。

「取り決め」の元となる「教義」も堅苦しくて、信者の実生活や精神に害をもたらす。代表的なのが「輸血拒否」で、命まで亡くした信者も多々。まさにカルト。

本項では、ものみの塔の取り決め偏重姿勢が、自身が翻訳した新世界訳聖書の解釈と紐づけられて解説されている。

大概の聖書が「秩序」「order」と翻訳しているところを、なぜか新世界訳では「取り決め」「arrangement」と訳している。コリント第一14:40

組織上の権限を持つ者が「秩序正しくやりましょう」と言うのと、「取り決めに従ってください」と言うのでは雲泥の差

信者を統制しやすいように、聖書を都合よく解釈しているのが、ものみの塔聖書冊子協会の新世界訳聖書。

この翻訳は、ものみの塔協会の次のような独善的な行動指針に基づいたモノ。

聖書の教えが先ではなく、組織の取り決めが先になるという現象である。 組織の方針が先に決まっていて、まず必要な取り決めを造る。そして、その取り決めを正当化できるような聖句を、聖書の中から捜してくるというやり方※咲き⇒先に訂正

そして、その聖句は独自のご都合解釈がなされている。「秩序」より「取り決め」の解釈。

ものみの塔協会が存在を主張する悪魔サタンがいない根拠

ものみの塔協会にとってだけの都合の”良い便り”

エホバの証人の伝道者とは?奉仕報告とは?

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恐怖、見知らぬ家の呼び鈴を鳴らせ

エホバの証人(JW)の布教活動とは

私はほぼ生まれながらのエホバの証人の二世信者だった。エホバの証人とは通称JWというキリスト教系の新興宗教。直球で要約すると、輸血拒否で信者が亡くなったり、教団内での児童性虐待が問題になるカルト。

二世信者とは親の宗教を無理やりに踏襲させられる子供のこと。エホバの証人の場合は子供に幼児教育や大学教育を受けさせない場合が多く、私も小学校に入る前に幼稚園や保育園には行っていない。

幼児教育を受けなかった代わりに、両親によってエホバの証人の布教活動に連れ回されていた。同年代の子供のように遊ぶことも出来ないし、夏でも冬でも関係なく、ひたすら家から家へ回る。私はこれが嫌で嫌で仕方が無かった。

エホバの証人の布教活動は、信者たちからは「伝道活動」「奉仕活動」「ボランティア」など呼ばれている。基本的には住宅街をしらみつぶしに一軒ずつ訪ねて回る昔ながらのセールス方式。

最近では、駅前などで立て看板と一緒に立つ街宣方式もよく見かけた。この街宣方式も相当にヤバい。私の住んでいたような田舎で、この街宣方式をやると学校の同級生などに漏れなく目撃される。尋常でない屈辱感。何の罰ゲームかと。

2022年現在、家から家へのセールス方式も街宣方式も恐らくコロナ禍で両方ともストップ。電子媒体での勧誘に移行しつつある様子。電子手段にせよ人間方式にせよ、わが家にはこの不幸の伝道者がここ5~6年は来ていないので、布教力は私が強制されていた頃に比べて低下しているのだろう。

まさに「不幸の伝道者」であるエホバの証人

エホバの証人の勧誘のための伝道奉仕活動

見知らぬ家の呼び鈴を鳴らす恐怖

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エホバの証人をやめると健康になれる話

人生を切り開く生き方とは

旅先で体調を崩した話の続き。体調を崩す直前にとある大きな寺院に参拝していた。参拝というか、私は古い建物を見るのが好きなので、ほぼ観光。

その後、ホテルで発熱して天井がグルグル回っているときに、ふと思う。

「この熱の原因は、最後の賽銭箱に100円入れるのケチったからか?バチが当たった?目の前にありがたそうな像がご鎮座していたしな・・・物珍し気に眺めて、帰ってきただけなのが不味かったか・・・」

体調が悪いと、血迷った発想をしがち。

「待てよ。待てよ。他の賽銭箱には大概100円ずつ入れたし、都度、ここに来られたことのお礼を述べてきた。充分だろ。待て待て、最初に拝観料800円払ってんじゃんかよ」

こいつは関係ないな。ご利益あれど神罰あってたまるもんかと。

翌日、医者に行くと、原因は数日前に食べた鳥刺しが濃厚と言われる。

やはり病気には宗教より医学。

人生においては、霊的なものより物質的な課題を考えるのが先。目の前の物質的な課題を淡々とこなした上で、神仏にすがるのが人間の筋。「困った時の神頼み」でなく「人事を尽くして天命を待つ」が人生を切り開く生き方。

エホバの証人をやめて健康になったと病人が言う

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