理解しがたいエホバの証人の海外宣教者の心理
昨日の記事で日本のエホバの証人の増減について書いた。2021年は平均伝道者数1,417人の増加。1,000人以上の増加は、21世紀に入って以来の初めての出来事。由々しき事態。
とはいえ、この増加はコロナ禍で海外から宣教者の帰国があったからと言われている。国内のエホバの証人の純増を示すものではなく、潜在数が表面化しただけ。それならば事態はマシなのだが、違う視点で疑問を抱いた。
現代日本人の中に、海外へエホバの証人の布教をしに行っている人間がいるということ。海外へ宗教の布教に行くという、その価値観に多いに疑問を抱く。私には一切の共感がない。
宣教者本人は、人生を投げ出してしまうほどなので、激しいマインドコントロール化にあるのは間違いない。つまりは、ものみの塔だけが真理、その良い便りを世界にあまねく伝えなければならない、と思考が操られている。
または、海外宣教者は教団内では高めのステータスを得られる。その特権欲、自己顕示欲にまみれて、海外までカルト布教に行っている。これは本人だけでなく、周囲の期待、プレッシャーによるところも大きい。
こういった、本人にとっての好条件が揃うと、不毛なカルト活動のために海外まで行ってしまうのだろうか。私はエホバの証人をやめて30年弱。ものみの塔は完全なカルトで、害悪そのものと理解しているので、全く理解できない感覚。
この宣教者は、海外で布教してしまう人物なのだから、語学が出来て、行動力・好奇心・活力があって、という優秀な人材のはず。それをカルトの海外布教という、有害極まりないモノに使い捨ててしまうのだから、いかにものみの塔が災厄をもたらす存在かということが分かる。
日本という国にとっての損失。
MOTTAINAI、エホバの証人の宣教者
多くのエホバの証人の海外宣教者が、コロナ禍で帰国という話を耳にして、私は得も言われぬ感覚を味わった。恥ずかしさのようなモノ。照れでなく、羞恥心というべきモノ。
同じ日本人として、恥ずかしい。
こういう感覚。
かつて、エホバの証人という同じ宗教を強制された者として、信者を増やす悪事に家族ぐるみで加担していた者として、恥ずかしい。国内だけでなく、海外にまで、ものみの塔の魔手を広げるという罪。
宣教者本人たちは、おそらく国内でも半隔離の特殊状況下にあり、マインドコントロールされやすい環境にある。エホバの証人一族で育つと、外部との接触は大きく制限される。
海外という特殊な極限下で、さらにマインドコントロールが強まったと想像される。本人たちは信仰が強まったと勘違いしているのだろうが。
本人の責任でない部分も多くあるだろうし、致し方ない面も多い。それでもハッキリ言うと
日本人のエホバの証人宣教者は、日本の恥さらし。
私も人のことをとやかく言える立派な人間ではないし、国益などとか考えたこともない。そんな私でも、感じること。落ちぶれたとはいえ、先進国の国民として、海外にカルトの毒を撒き散らすなんて行為は、「恥」でしかない。
日本という国に泥を塗る行為。いくら金や技術、インフラやサービスを途上国にもたらそうが、その国の国民にカルトの毒を植え付けていたら全く意味がない。国の源は国民、その根源を蝕む行為。
宣教者本人たちは、万難を排す努力と苦労を重ねたのだろうが、それら一切が徒労、無駄。プラス評価される点は何一つない。別の所でそのエネルギーを使えなかったものだろうかと、彼らより格段に能力の劣る私は思う。
日本人特有の感覚で「もったいない」と。
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