エホバの証人2世の不健康な罪悪感、曖昧な罪の境界線

エホバの証人2世の罪悪感

エホバの証人2世の罪悪感

私は幼い頃からエホバの証人という新興宗教の2世信者として育てられた。

エホバの証人は、日本ではものみの塔聖書冊子協会という宗教法人が指導運営的立場にある。米国発祥の自称キリスト教系の新宗教。

我が家は、両親ともに熱心なエホバの証人という、エホバの証人でいうところの神権家族だった。私は親ゆえの2世信者。

私は、両親の期待に応えようとして、立派なエホバの証人になろうと試みたことが何度かあった。エホバの証人をやめる14才にまでの間に何度か。しかし、結局は性に関する問題を解決することができなかった。

ものみの塔はマスターベーションや婚前交渉を禁止している。10代の男の子に、そんな厳格な教理を守り切れるはずがない。これでは正当なエホバの証人になることなど不可能。

エホバの証人2世の子どもは、幼い頃から不要な性教育を受けている。ただでさえ性欲が爆発しそうな思春期になると、知識ばかりが先行し自身の欲求を抑えきるのは不可能。

私の場合は、既に小学校の高学年の頃からマスターベーションが常習化していた。

マスターベーションをやめられないという罪の意識はそんなに無かった。そもそも、罪の1つや2つを犯した所で、今さらという感じ。

エホバの証人には不要に厳格な戒律が多い。活発で反抗心あふれる私には、そんな戒律が守り抜けるはずがなかった。もっともっと小さな頃から、繰り返し行ってきた神エホバへの反逆の数々が、当時の私の過去に積み重なっていた。

今さら、常習的に罪を犯していることを、自戒するはずなど無かった。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

架空の存在エホバに対する罪悪感と、曖昧な罪の境界線

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エホバの証人2世、両親の壁と抑えきれない欲求のあいだで

エホバの証人2世の止まらない欲求

エホバの証人2世、高い両親の壁

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。エホバの証人というのは、自称キリスト教系の新興宗教。日本では、ものみの塔聖書冊子協会が日本中の組織の指導・運営を行っている。

私はその2世信者。親によって宗教を押し付けられた子ども。両親は異常に熱心なエホバの証人だった。

私が大人になったら、ものみの塔に献身※1して開拓奉仕※2をするのは当然と、両親は考えていた。あわよくばベテル※3に入って奉仕するという、エホバの証人的エリートコースを歩ませたいと、両親は思っていた。
※1献身:バプテスマというカルト儀式を受けて正式信者になること
※2開拓奉仕:年間1000時間(最近では800時間、コロナ禍では時間制限なし?)をエホバの証人の布教活動に費やす自称伝道者のこと
※3ベテル:エホバの証人の日本支部のこと

そんなものはエリートコースでも何でもなく、廃人となって野垂れ死に一直線、墓場までの片道切符。しかし、小学校高学年の頃には、両親がそう強く願っていたので、私もそうするしかないのかという気になりつつあった。

両親という壁は高い。「両親に愛されたい」という思いから、子どもは親の願い通りの自分になろうとしてしまう。

しかし、私の「模範的」なエホバの証人になろうとする努力は、長くもたなかった。やはり、どうしてもエホバの証人には許されない行事や立ち入りが許されない場所に関心があった。

クリスマスパーティーに参加してみたかったし、ゲームセンターにも入ってみたかった。それ以上に何よりも性の問題を解決しなければ、私は真のエホバの証人にはなれなかった。それは無理な話だった。

エホバの証人2世の抑えきれない欲求

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エホバの証人一家の根底は嘘、エホバの証人家族が機能不全に陥る理由

エホバの証人2世の妄想

エホバの証人一家の根底にある嘘

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。14才のときに、親と決別しエホバの証人をやめた。14才までの間に、真面目にエホバの証人になろうと試みたことが何度かあった。

エホバの証人というのは、自称キリスト教系の新興宗教。ハルマゲドンという終末思想を掲げ、世界中で信者を増やした。日本ではものみの塔聖書冊子協会が指導・運営的立場にある。

私は、そのエホバの証人の2世信者。親に宗教を強制された子どものこと。

「僕は大人になったらベテルで奉仕したいです」

子どもの頃の私は、両親の顔色を伺って、彼らが望むことを言い続けていた。ベテルに入って働けば両親は喜ぶし、両親の愛を得られる。実際に本当にそうしても言いのかなと、思った時期が何度かあった。

ベテルというのは各国のエホバの証人の支部のことで、国内の信者の管理・統括、宗教本の刊行などを行っている。そこで無償で働く出家信者となると、エホバの証人的にはエリート扱い。しかし、現実の社会では人生の墓場行き。

エホバの証人の教理では、ハルマゲドンという終末を生き残れるのは、正しい信者だけという設定になっている。ハルマゲドン後の地球は楽園となり、エホバの証人たちはそこで永遠に生きる。エホバの証人は、この突拍子もない話を本気で信じている。

私も、真面目にエホバの証人になろうとしたのは、このトンデモ話を信じていたから。真面目なエホバの証人になれば、親子3人でハルマゲドンを通過し、楽園に入ることができると、心の底から思っていた。

これが幼い頃からの洗脳の成果。

エホバの証人は、ものみの塔の活動に全身全霊を費やすことに喜びを感じている。家族そろって丸々マインドコントロール状態は、本人たちにとって幸福な状態、だから放って置けばいい、という意見もある。本人たちの自由だと。

しかし、これは誤っている。なぜなら、

エホバの証人一家の根底にあるモノが虚構だから。ハルマゲドンを通過し楽園で永遠の命を享受というストーリーが、完全なる嘘だから。結局、現状をどれだけ幻想で飾っても、エホバの証人一家の未来に幸福が待つことはない。

さらに、周囲の無垢の人々を勧誘し、犠牲者を増殖させることは、本人の自由という言葉で許されることではない。むしろ、無垢の人々を騙し欺くという罪を重ね続けることは、本人たちも望まないことであろう。

エホバの証人家族が機能不全に陥る理由

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エホバの証人ベテル崇拝という罪、人生の墓場=海老名ベテル

ベテルという墓場

エホバの証人の子どもに強制されるベテル奉仕願望

私の両親は、ものみの塔協会のマインドコントロール下にあるエホバの証人だった。私はその一人息子で、ゴリゴリのエホバの証人の2世信者として育てられた。

エホバの証人というのはキリスト教系を自称する新興宗教。日本では、ものみの塔聖書冊子協会が組織の運営・統括を行っている。2世信者というのは親の宗教を強制される子どものこと。

ある時、父がまだ子どもだった私にこう言った。

「お前がベテル長老になってくれたら本当に嬉しい、お母さんは泣いて喜ぶだろう」

この場合のベテルとは、エホバの証人の日本支部のこと。神奈川県海老名市に存在する。国内信者の統括とエホバの証人用の宗教本の印刷・製本・発送が行われている。

ベテルで無償奉仕することは、エホバの証人にとって特権とされている。その中で出世し長老にまでなってくれたら、両親は本当に嬉しいのだそうだ。

私の家庭では、「プロ野球選手になりたい」などという子どもらしい純粋な夢を口に出すことはできなかった。「大人になったらベテルに入って奉仕したい」と言わなければならなかった

エホバの証人のベテル・日本支部・世界本部とは

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エホバの証人2世の子どもの心を蝕む、信者の親とその暴力

エホバの証人の子供の悲しみ

子どもには適さない、エホバの証人という宗教

エホバの証人の世界では、子どもの望むたいていのことは禁止されているか、推奨されていない。

エホバの証人の親たちは敬虔なクリスチャンであろうとして、盲目的に教団の教理に従う。そのため、エホバの証人2世の子どもたちは、親から厳格すぎる戒律を押し付けられる。

子どもは、様々なことに興味を持ち、試してみて将来を夢見る。ところが、エホバの証人の子どもは、その希望をもつ前に親の妨害を受ける。

それでもエホバの証人の子どもは親を愛していて、親の愛と是認を得ようとする。これは当然のこと。

子どもは、親がいなければ経済的に自立する力が備わっていない。親の承認を得て、生活全般の保護を受けなければ、生きていくことが出来ない。

また、無力な子どもが保護者の愛情を必要とするのは当然のこと。説明するまでもない。もはや本能レベル。

父親に褒められたいというエホバの証人2世の叶わない願い

エホバの証人2世の子どもの苦痛に満ちた少年時代

親の顔色を伺うエホバの証人2世

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父親にほめられたいという、エホバの証人2世の叶わない願い

哀しいエホバの証人親子

はかない人生の、本当の意味とは

私はほぼ生まれながらにエホバの証人の2世信者として育てられた。幼稚園や保育園で幼児教育を受けることなく、母に教団の布教活動に連れ回される幼児期を過ごす。

幼児期に体を動かしたり歌ったりという機会が無かったため、私は運動が全くできず、音楽的な才能も皆無だった。集団生活にもなじまないまま小学生になる。

音痴でスポーツが全く出来ないということが、私は嫌で仕方がなかった。思春期になればなおさら。自分がエホバの証人2世であることと同じくらい、体育や音楽が出来ないこと、絵が尋常でなく下手なことが嫌だった。

しかし、熱心なエホバの証人だった両親は、そんな私の悩みなど気にも留めなかった。スポーツがダメでリズム感が皆無でも良い、エホバの証人の活動さえしっかり行っていればいい、と考えていた。

理由は、教団の言いなりになることで、ハルマゲドンを通過し楽園で永遠の命を得ることが出来ると信じていたから。心の底からただの一つも疑うことなく。これがカルトによるマインドコントロールの最終形態。

この世の終わりが近いのなら、やらなければならないことはエホバの証人活動などではない。自分の心に沿って本当にやりたいことをやらなければならない。それが、限りある命に意味を持たせる方法。エホバの証人だらけの世界で、だらだらと永遠に生き続けることには、なんの価値もない

私は14才のときにこの考えに至り、エホバの証人をやめた。

悲しいエホバの証人の親子関係

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音痴なエホバの証人2世、幼児教育を受けない子どもたち

エホバの証人2世の制限生活

運動音痴なエホバの証人2世

私はエホバの証人2世として物心ついた頃から育てられた。

エホバの証人とは、自称キリスト教系の新興宗教。世界中に信者がおり、日本ではものみの塔という名前でも知られている。2世とは、宗教2世のことで、親の信仰を押し付けられる子どものこと。

私の幼児時代は、母に毎日のようにものみの塔の布教活動へ連行された。そのため、私は幼稚園や保育園といった幼児教育を一切受けていない。

ものみの塔的には、世俗の幼児教育など必要ないというスタンス。エホバの証人の王国会館という集会所に連れて行くことや、家庭での聖書研究(実際にはものみの塔の宗教本研究)が何よりの情操教育だというのが、エホバの証人の親たちの言い分。

私は運動が苦手で、リズム感が無く絵も下手な子どもだった。両親いわく、幼稚園だか保育園で、幼い頃にそういった練習をしていないからだろうということ。その代わりに本を読むことや文章を書いたりするのは得意で、小学校でも体育や音楽、図工以外の成績は良かった。

小学校の主要科目で私の成績が良いのは、幼児の頃からものみの塔の出版物に慣れ親しんでいるせいだと、両親は常々自慢していた。運動ができなくて音痴でも構わない。そんなモノは、エホバの証人に必要ないというのが両親の考えだった。

父は、高校のときにインターハイに出るほど運動神経が良かったのに、私にはその血は受け継がれていなかった様子。また、全く運動やお遊戯をしなかった幼児期の影響も大きい。

好きこそ物の上手なれと言うが、できないモノを好きになるのはとても難しい。水泳で50mのノルマを泳げるようになったのも、クラスで最も最後のグループだった。

スポーツを禁止されるエホバの証人2世

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エホバの証人2世の野球、たった一球でのゲームセット

たった一球でのゲームセット

エホバの証人の野外集会

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人の2世信者として育てられた。父は会衆の長老で、母は正規開拓者。エホバの証人の言うところの神権家族。筋金入りのマインドコントロール家庭だった。

とあるエホバの証人の野外集会のときの話。エホバの証人の集会という集まりは、ほとんどが王国会館という建物で行われる。ただ半年に一度だけ、週末の集会が”レクリエーション”を兼ねて屋外で行われることがある。これが野外集会。

この野外集会を、エホバの証人の子どもたちは心から待ちわびている。普段は羽を伸ばして遊ぶことが全くできないから。

短縮版のものみの塔誌の討議が終わると、持ち寄った昼食を食べて午後からは”レクリエーション”の時間。この日だけは午後からの布教活動もお休み。

我々エホバの証人の子どもたちは、集会が終わった瞬間に野球を始めた。他の信者が昼食の準備をしている、ほんの僅かな時間が待ちきれなかった。

そのプレイボールの第一球目を私がジャストミート。

ボールは大きく飛んでいき、昼食の準備をしていたエホバの証人信者たちのど真ん中に突き刺さった。とある女性信者の頭をかすめるのが遠目にも見えた。ホームランとはそういうモノ。運良く誰にも当たらなかったのだが、軟球とはいえ、命中していたら多少の怪我は免れなかったようにも思われた。

打ち砕かれるエホバの証人二世の子供の楽しみ

エホバの証人の野外集会の思い出

エホバの証人2世の子どもの本当の願い

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エホバの証人2世のホームラン、カルトな野球大会とは・・・

エホバの証人の野球大会とは

カルトの野球大会

エホバの証人の週末の集会で、半年に一度の間隔で野外集会と呼ばれる屋外での開催があった。大きな公園や河川敷などで”レクリエーション”を兼ねて開かれる集会。

とある野外集会のとき。ものみの塔誌の討議も終わり、大人の信者たちが昼食の準備を始めた。父はこの会衆の長老だったので、昼食の準備を仕切る形になっていた。

エホバの証人2世の子どもにとって、野外集会の日だけは存分に遊ぶことが出来る。楽しみにして待ちわびた野外集会。昼食前に我慢しきれなくなった子どもだけで野球を始めた。

エホバの証人の親は、子どもが一般の子どもと遊んだり、野球をしたりすることに良い顔をしない。そして、集会のある日や布教活動に出かける日は、友達と野球をすることなどは許されなかった。

食後には、大人も交えて”レクリエーション”が行われる。それは野球だったりサッカーだったり、子供たちの望む流行のスポーツ。エホバの証人の子どもたちはこの日を楽しみに待ち望んでいた。

激しく敵意をむき出しにしたり、露骨な応援などはエホバの証人的にNGだが、一応スコアはつけるし、競技の面白みを損なわない程度に本気でボールを投げたりする。カルト教団の野球大会と言ってもその辺は普通。

エホバの証人の集会とは?日程・曜日・服装などまとめ

エホバの証人2世のホームラン

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エホバの証人(JW)2世の子どものハードスケジュール

エホバの証人の子供は一体いつ遊ぶんだ?

エホバの証人布教活動のため、ノーゲーム

私の両親は、エホバの証人という宗教に完全にマインドコントロールされており、私は生まれながらにエホバの証人の2世信者であることを強要された。

エホバの証人とは通称JW。自称キリスト教系の新興宗教。

2世信者とは親の宗教を押し付けられる子どものこと。

私は、小学校4年生になるときに引越しを経験した。田舎の小学校に転校。転校先で私にできた最初の友達は、無論エホバの証人では無かった。

土曜の午前中の学校が終わり、その子に誘われて2人で野球をした。当時は、まだ土曜日の午前中に学校の授業があった。1990年代前半のこと。

ちょっと離れた場所にある公園まで2人で自転車を走らせて、野球の試合をすることに。2人でどうやって野球の試合をしたのか、今となっては疑問なのだが、とにかく2人で野球の試合をした。

しかし、土曜の午後には、私にはエホバの証人の布教活動が待っていた。エホバの証人が言うところの奉仕活動。繁華街や駅前で教団の雑誌をもって街宣したり、見知らぬ家の呼び鈴をもれなく鳴らして周ったりする、ほぼ罰ゲーム。

野球を始めて30分もすると、母親との約束の帰宅時間になる。帰って布教活動に出かけなければならない。つかの間の野球対決に決着はつかず「さようなら」ということに。

急いで帰らないと、母に怒られる私のために、その子は自転車でバットを運ぶのを手伝ってくれた。

ど田舎の小学校だったので、1学年につき1クラスしかない。その小学校にエホバの証人の子どもが入ってきたのは私が初めて。よく分からない怪しげな奉仕活動とか言っている奴のために、バットを運ぶのを手伝ってくれたその子は朴訥で良い子だった。

こうしてできた貴重な友人との時間は、エホバの証人の布教活動のせいで打ち切り。

普通の子どもであれば、楽しい土曜の午後の時間が始まったばかり。そのタイミングで、子どもの私はカルトの世界へ戻らなければならなかった

エホバの証人の勧誘のための伝道奉仕活動

エホバの証人2世の子どものハードスケジュール

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