エホバの証人の野外集会、一瞬で終了する子どもの楽しみ

楽しいことなど皆無、エホバの証人の子ども

エホバの証人の野外集会とは・・・

エホバの証人の週末の集会だが、半年に一度ほど野外集会と称して大きな公園や河川敷などで行われることがあった。レジャーシートが敷かれ、いつもより短い1時間弱の集会が開かれる。

公開講演という単独の宗教講話は無く、ものみの塔誌の討議だけで終わる。私の父は会衆の長老だったので、この野外集会の際にもリーダーシップをとって会場の設営などを行っていた。

野外集会の日は、ものみの塔誌の討議も省略版になる。通常は節ごとに朗読された後、欄外に書かれている質問を司会者が読み上げる。続いて挙手した信者が回答するという手順。

ところが、野外集会の際には朗読が省かれ、いきなり質問が読み上げられる。そして、予習してきた信者が挙手して回答する。これはぐんぐん進むので、子どもにとっては遊べる時間が刻一刻と近づいてくる。

もうこれだけなら、一切宗教系の要素は抜きにして、ひたすら遊べば良いと思うのだが。とはいえ、

エホバの証人2世の子どもたちにとって、この短縮版ものみの塔討議は画期的な素晴らしいシステムだった。いつもの長くて退屈なだけの公開講演は無いし、朗読がない分、ぐいぐい進んでいく。

天気の良い日にレジャーシートを敷いて、近くには持参した野球道具などが置かれている。信者たちが手作りして持ち寄った弁当やおかず、飲み物も豊富に用意されている。

簡単なものみの塔誌の討議が終わると、持ち寄った料理や飲み物などで昼食をとる。信者たち全員が協力し合って、準備から後片付けまで行われる。その後で”レクリエーション”の時間となる。

エホバの証人2世の子供に対する餌と罰

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元エホバの証人2世が奪われた、取り返しのつかない時間

失った時間の大きさに唖然とするエホバの証人2世

元エホバの証人2世、楽しい病気の記憶

エホバの証人の子どもが強要される集会とは

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人の2世信者として育てられた。週に3回もあるエホバの証人の集会には、毎回必ず連行されていた。

集会とは、普通のキリスト教で言うところのミサのようなもの。信者の個人宅や、王国会館と呼ばれる、エホバの証人にとっての教会のようなところで開催される。

エホバの証人は、この集会への参加を非常に重要視している。熱心なエホバの証人だった両親も同様。

体調が悪くても、よほどの高熱が出ているような状態でないと集会を休ませてもらえなかった。ちょっとした風邪くらいではそのまま連行された。

そのため、私の記憶では、集会を休んだことはほとんどない。学校を休んだ回数の方が圧倒的に多い。子どもの頃の私は、本当に数えるほどしかエホバの証人の集会を休んだことが無かった。

テレビの熱を冷ますエホバの証人の子ども

両親が集会で家を空けて、高熱の自分が家で留守番をしている。この状態が、子どもの頃の数少ない幸せな記憶として、まざまざと思い出すことができる。

エホバの証人の集会に行かずに、好きなだけテレビを見れるのが嬉しくてたまらなかった。しかし、寝ないでこっそりテレビを見ていたのが両親にばれると、後でひどく怒られる。

両親が帰って来る30分前には、テレビを消して布団に潜り込んでいた。テレビの熱を冷ますため。昔のブラウン管型のテレビは、電源の熱が冷めるのに時間がかかった。

私は、14才のときに初めて、集会に行かないと両親に告げた。もうエホバの証人をやめてやるということ。

この日、両親が集会に出かけ、一人で家に残った時の激しい喜びは、人生においてこれ以降感じたことがない。これからはこの時間を自分のために使えるのだ!

マインドコントロールに使われるエホバの証人の集会とは

退屈かつ過酷なエホバの証人の集会

エホバの証人の集会は退屈で仕方がなかった。しかし、そういったことを顔に出すわけには行かない。集会で不真面目な態度を取れば、待っているのは懲らしめという体罰。エホバの証人の社会では、児童虐待が常態化している。

児童虐待が隠蔽されている王国会館を通報せよ

懲らしめが怖いので、集会には真面目に参加するしかない。注解という、挙手してコメントする回数は親に決められていた。その回数は手を挙げ、さらに真面目な顔で講演のノートを取ったりという日々。

エホバの証人のマインドコントロール集会

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お年玉が寄付箱へ流れる、エホバの証人の集金システム

エホバの証人がお年玉を禁止しない理由

エホバの証人がお年玉を禁止しない理由

エホバの証人は教理にのっとるのなら、お年玉の受け渡しをしてはいけない。しかし、なぜか私の家ではお年玉が許されていた。親も親戚の子どもに渡していた。お年玉袋ではなく、わざわざ子ども用の封筒を使っていたが。

私の両親は異常に熱心なエホバの証人だった。そのため、親族の葬式で焼香はしなかったし、読経の際にはわざわざ席を外していた。私も、エホバの証人の教理に従い、ありとあらゆることを禁止された。

それにも関わらず、お年玉の受け渡しだけはしていたのは、教団が特別にお年玉を禁止していないから。

エホバの証人は、お年玉の起源が何であるかも調べず、単純に教団の言いなりになっているだけ。この際、しっかりと自分でお年玉の由来について調べることをお勧めする。

ついでに、エホバの証人初代会長ラッセルの私生活や、エホバの証人が国連NGOに加盟していたことなども調べてみてはどうだろうか。

自分で何も調査せず、何も考えずという状態は良くない。その思考状態で「聖書研究」など出来るわけがない。

お年玉の”たま”は魂のたま。その魂は年神様という神道の神様のもの。自称キリスト教徒のエホバの証人としては明らかに異教のイベント。

エホバの証人がお年玉を禁止しない理由、それは子どもが貰ってきた現金が回りまわって教団の資金になるから。組織としては、1月にお年玉のあがりが寄付として多く集まるのは都合が良い。

そのため、特にお年玉を禁止だとは言わない。年賀状が禁止だったのは、信者が送りあったところで、単に時間の無駄だからだろう。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

お年玉は、エホバの証人の寄付箱へ

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エホバの証人が神権的戦術でお年玉を貰うのはカルトだから

エホバの証人とお年玉

エホバの証人とお年玉

エホバの証人にとって、お正月のイベントはほとんど禁止。門松をたてることも無いし、初詣にも行かない。「明けましておめでとうございます。」とも言わない。しかし、不思議なことに、我が家ではお年玉だけは許されていた。

お年玉の起源に宗教臭が一切ないのかも知れないと考え、ちょっと調べてみた。すると、お年玉は「としだま」のことで「たま」とは魂のことだった。

この段階で、エホバの証人の教理をちょっとかじったことのある人なら、お年玉はNGだと分かる。魂、霊魂などはエホバの証人的には完全なNGワード。

新年を司る年神様への供えた餅玉を、神棚から下げて食べたことから「としだま」と呼ばれるようになったという説もある。年神様とは日本古来の由緒正しい神様。日本古来の神々への信仰や、それに関係することはエホバの証人には禁止。

神棚への供え物には神様の分霊が宿るとされ、それを頂くことで人々は力を得て新たな年を迎える。神棚から力を得るなんて、お年玉はエホバの証人が最も避けなければならないたぐいのモノ。

やはり、お年玉はエホバの証人的には完全にNGイベント。

エホバの証人が貰うお年玉は、王国会館の寄付箱に直行

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エホバの証人のクリスマスケーキ、今日から人生をやり直す

エホバの証人のクリスマスとは・・・

エホバの証人のクリスマス

今日12月24日は日本中が浮かれるクリスマス。しかも日曜日で、家族や恋人と楽しく過ごそうとしている人たちがたくさんいる。しかし、そうでもない人々もいる。エホバの証人の家族は、いつも通りに週末の集会に出かけている。

エホバの証人組織は、クリスマスを祝うことを禁止している。クリスマスもサンタクロースも、恋人と過ごす甘い夜も、エホバの証人には何の関係もない。いつも通りに日曜日の集会、午後からは布教活動で街頭に立ったり。

果たして、本当にそれで良いのだろうか?「自分で考えて決めていることだから、それで良い」と、エホバの証人たちは答える。「クリスマスは企業の経済戦略で、それに乗っかるだけ無駄なことだ」と言う。

しかし、それは本当に自分で考えたことなのか?単純に教団の言いなりになっているだけではないのか?経済戦略に乗っかって、ちょっとだけ浪費することの何が悪いのか?

ちょっとした浪費が、永遠の記憶として身近な人との間に残る。安いものだ。楽しく消費し、世の中にお金を回す。立派な経済活動の一つ。

エホバの証人2世の子どもに至ってはさらにむごい。クリスマス会に行きたくて仕方がないし、明日の朝はクリスマスプレゼントが欲しい。これは間違いない。私も子どもの頃はそうだった。楽しいことが嫌いな子どもは存在しない

教団や親の言いなりになってクリスマスを避けているだけ。親の顔色をうかがっているだけ。もしくは子どもの頃から洗脳され、クリスマスを自ら避けるような、エホバの証人体質にされてしまった。

子どもたちが自分で選択して決定したことではない。親が「クリスマス会に行っても良いよ」とさえ言ってくれれば、どれだけ幸せだったか。

誕生日パーティーが禁止のエホバの証人2世

『ドアの向こうのカルト』~エホバの証人の作るケーキが不味い理由

エホバの証人がクリスマスケーキを買って家へ帰ると

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表面的には模範的、しかし裏の顔は歪むエホバの証人2世

エホバの証人2世の2面性

模範的でなければならない、エホバの証人2世の子ども

エホバの証人2世の子どもは、常に”模範的”であれとされる。親のエホバの証人たちは、自分は神に選ばれた者であるという意識を持つ。全人類がハルマゲドンで滅ぼされても、選民階級であるエホバの証人は生き残るという自負。

その特権階級であるエホバの証人の子どもなのだから、常に行儀よく、礼儀正しくしろと言われる。とくに私の家のような、家族全員がエホバの証人という環境ではその傾向が顕著だった。

家族丸ごとエホバの証人というカルト家庭のことを、教団の用語で「神権家族」と呼ぶ。

ご本人たちは、来たるハルマゲドンで生き残る特権階級だと思い込んでいるのだが、実情は痛い痛いマインドコントロール一家。

父はあえて不安定な職業を選び、両親揃って、会う人会う人に「この世の終わりが~」と言い出すカルト野郎。社会の最下級、底辺に位置するのがエホバの証人の神権家族。

父はエホバの証人の会衆の長老という要職につき、母は正規開拓奉仕者でフルタイムでの布教活動を行っていた。筋金入りのエホバの証人夫婦。その一人息子である私は、特別に模範的な子どもでなければならないと言われた。

一般の子どもたちに対してだけでなく、他の信者の子どもに対しても、模範となれ。学校でも人の嫌がる掃除などを率先して行い、校則などの決まりを守ることはもちろん、先生にも常に褒められるようにしていなければならない。

成績優秀でも決して親には褒められないエホバの証人の子ども

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模範的生き方を強要される、エホバの証人2世の苦悩

エホバの証人親の強要を受けるエホバの証人2世の子ども

エホバの証人の神権家族とは・・・

私は物心ついた頃から14才になるまで、エホバの証人2世として育てられた。エホバの証人2世というのは、片親もしくは両親がエホバの証人である子供のこと。

両親ともにエホバの証人の場合はもれなく必ず、片親だけがエホバの証人の場合でも、その片親が、子どもをエホバの証人にしようとする。

私の家は両親ともにエホバの証人。2人ともバプテスマという洗礼のような儀式を受けていた。これはものみの塔協会に対する献身の決意表明。

父親は、会衆の長老という要職についていた。会衆というのは、エホバの証人を地域毎に集めた単位。長老は会衆内のトップに位置する。母親も正規開拓者と呼ばれるフルタイムでのものみの塔協会の伝道者だった。

私は、こういった家族全員がエホバの証人という通称「神権家族」で14才までをすごす。私は一人っ子で兄弟はいなかったので、両親によるエホバの証人押し付けはすべて私に集中した。

模範的であれ、という子どもに対する押し付け

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エホバの証人2世ロボットの、思春期セックス問題!

エホバの証人2世、過剰な性的欲求

エホバの証人2世ロボットの裏表

私は、ほぼ生まれながらにエホバの証人という宗教の2世信者として育てられた。エホバの証人というのは米国由来の新興宗教で、日本では「ものみの塔」という名称でも知られている。

私が子どもの頃に、家族ぐるみで付き合っていた宇部家という家があった。宇部家は両親揃ってエホバの証人という、教団内での通称「親権家族」。宇部家と我が家は同じ家族構成で、一人息子の宇部君は私と同じくらいの年齢だった。

宇部君は完璧なエホバの証人2世だった。騙されやすく染まりやすい、そして周囲に好かれるためにはどうすれば良いのか、それだけを考えている子ども。完全にエホバの証人の洗脳下にあった。しかし、

エホバの証人2世には必ず裏表の顔がある。両親の前と学校での顔、教団内での年上の信者の前での顔と、同年代のエホバの証人2世の間での顔、そういった裏表の顔を上手く使い分けている。

私がエホバの証人をやめたいと考え始めた小学校高学年の頃。わが家は引っ越して田舎に引っ込んでいたので、風の噂で宇部君のことを聞く。宇部君は教団に献身してバプテスマを受けたらしい。

バプテスマとはエホバの証人版の洗礼のこと。何もかもを、ものみの塔という偶像に捧げます、と誓う洗礼。宇部君は、小さな頃からエホバの証人の会衆内でも”模範的”な2世信者だった。若くして”兄弟”と呼ばれることになった生粋のエホバの証人2世。

そんな完全なる洗脳下にあるエホバの証人2世にも裏表があるのだろうか。宇部君に限っては、もしかすると聖者のように純粋にものみの塔道を追い求める求道者だったのかも知れない。

そう思えるほど、宇部君はロボットのようなエホバの証人の子供だった。眉毛はだいぶ濃かったけれども。

自慰行為の罪悪感と快感に溺れていくエホバの証人2世

エホバの証人2世ロボットのセックスとマスターベーション問題

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カルトの子どもの危険な遊び、エホバの証人2世ロボット工場

子どもが子どもにカルトを仕込むエホバの証人

エホバの証人2世の危険な遊び

私の両親が、まだエホバの証人の研究生だった頃の話。研究生とは、エホバの証人に勧誘されたばかりの新参信者。正式入信していない仮信者状態。正式信者に、聖書研究という名のマインドコントロールを繰り返し施され、カルトの奈落へいざなわれていく。

父の聖書研究をしていたエホバの証人とは、家族ぐるみの付き合いになっていた。その家は家族全員がエホバの証人という通称「神権家族」。ちょうど私と同じくらいの年齢の子どももいて、父親たちが聖書研究をしている間、私はその子どもと一緒に待っていた。

その子は宇部君という名前で、不確かな記憶ではあるが、父の聖書研究の間、私も宇部君にエホバの証人の教理を教えられていたような気がする。後に、私もその宇部君の立場になったことがある。

父親がマインドコントロールしている研究生の家の子どもに、エホバの証人の教理を教える聖書研究の真似事。子どもが子どもにカルトを仕込む、危険な遊び。

宇部君は、驚くほど穏やかで礼儀正しい子供だった。

「僕はエホバの証人2世ですから」というきれいな言葉使いは、同年代の近所の子どもからは一切聞いたことがなかった。

「一緒にこの本を読んで、お父さんたちを待っていましょうね」などと、まるで大人のような話し方をする。

小学校に入る前の、通常は泥だらけになって走り回っているような子どもがこんな感じ。おそらく2人で読んでいた本は、ものみの塔が子ども向けに発行していた黄色い本。聖書の内容を子ども向けに絵本感覚にしたモノ。

エホバの証人2世ロボット工場

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エホバの証人の性的自衛行動、「お前は大丈夫だろ」

性的欲求を募らせるエホバの証人

エホバの証人の性教育は逆効果

エホバの証人は布教活動を行ない、一般の人を勧誘する。勧誘された人はエホバの証人の研究生となり、エホバの証人の伝道者によってカルト道を導かれる。

この研究生と伝道者が異性だった場合は、同性の伝道者へその後の聖書研究という名のマインドコントロール活動が引き継がれる。聖書研究は、家に上がり込んで長時間2人きりになる。なので、これは当然。

ある意味では、これは教団の自衛行為と言える。

エホバの証人2世の性に対する興味は著しく高く、そして極限まで抑圧されている。そのため、エホバの証人2世は非常に誘惑に弱いから。

エホバの証人2世というのは、親の信仰を押し付けられた宗教2世信者のこと。私は、生まれながらのエホバの証人2世であることを強制された。

エホバの証人組織は、性の欲求を抑えつけると同時に、性的な誘惑の危険性について繰り返し説いている。あえて触れなければ良いものを、毎週の集会や家庭での聖書研究で、性に関する問題に必ず触れる。

エホバの証人の子どもは、物心つくかつかないかの頃から、週に1度は性に関する話題に接することになる。これが余計に性欲を膨らませる原因になる。

エホバの証人組織が、性について高頻度で扱わなければならないのは、それだけ性に関する問題で、脱会する信者が多いから。ところが、性について問題提起し、露骨に話題にし厳格に禁止していくほど、信者の欲望は余計に高まっていく

エホバの証人組織はこの負のループに陥っている。性問題で脱会するだけなら良いのだが、過剰な性教育は、多くの性的モンスターを生み出した。そのため、エホバの証人組織は、児童性虐待の温床となっている。

組織的な児童性虐待を疑われても仕方がないものみの塔協会

エホバの証人の王国会館で児童性虐待が起きる理由

エホバの証人の性的問題、「お前は大丈夫だろ」

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