組織の利害を守るため、過去を変えたいエホバの証人組織

自身の過去をコントロールしたいエホバの証人組織

エホバの証人という宗教団体は世間の常識とかけ離れている。これに教団内部の人間も気付き始めたのが、子供に対する虐待の件。

私の実体験としてエホバの証人2世信者だった子供の頃にしこたま屈辱的な体罰を受けた。エホバの証人は組織として児童虐待を推奨している。懲らしめと称して物理的に体罰を与えることが必要であるとはっきり公式サイトに書いてある。

この公式サイトはエホバの証人組織そのものと同様に信者の崇拝対象になっている。そのため、一信者が公式サイトを否定したりないがしろにすることはない。背教者扱いされるからだ。

以前に、エホバの証人の日本支部に「体罰を推奨しているか」と質問したことがある。その際、エホバの証人の電話番は明確に答えはしない。「公式サイトを見てくれ」としか言わない。

その公式サイトに体罰が必要だと書いてあるのだから、ものみの塔聖書冊子協会は体罰推奨協会であることは間違いない。しかも、現在進行形で。

しかし、体罰推奨協会と世間の常識との乖離が明らかになり、「体罰をしていた親がいたとすれば残念なことだ」とする発言が教団広報部から出てきた。

基本的にエホバの証人は組織のマインドコントロール下にあり、一般常識とかけ離れている。しかし、世間との軋轢が大きくなり過ぎると組織そのものの維持存続にも関わる。

そのため、子供には体罰上等のエホバの証人教義をなかったことにしたいという意思が垣間見られる。

組織の利害に明るいエホバの証人もいる

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無根拠、エホバの証人の格闘技禁止の理由

格闘技禁止、エホバの証人の子供

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』11章「格闘技と平和の精神」より。

日本に蔓延するカルト宗教「エホバの証人」。私はその二世信者だった。二世信者とは親の信仰を強制されて育つ子供のこと。エホバの証人は、日本ではものみの塔聖書冊子協会という宗教法人により運営されている。

エホバの証人には禁止事項が多く、戦闘的なこと全般が禁止。兵役から武道まで。学校に通う子供にもこの影響が出る。格闘技の授業は禁止だし、運動会の騎馬戦なども参加できない。中には進級できず退学になった生徒も存在する。

私も中学生のときには柔道の授業を見学するはめになった。エホバの証人だからという、とんでもなく恥ずかしい理由で。

中学三年生のときにはカルト信仰を断ち切っていたので、数回柔道の授業に参加。しかし、親に柔道着は買って貰えなかったので、友人のを借りた。

他人の汗臭い柔道着を着るのは嫌だったので(貸して貰っておいて酷い言い方ではある・・・)、後半はサボり気味に。宗教問題児が普通の問題児になったというわけだ。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人二世が剣道事件で失った貴重でかけがえのないモノ

エホバの証人が格闘技禁止の理由

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エホバの証人、親子累々に及ぼす負の連鎖

元エホバの証人二世の親不孝

今日、コンビニでとある親子を見かけた。母と娘、娘の方は私より年上。50歳くらいか。母親の方はもう老人。親子と断定しているのだが、親子と決め付けられる空気を醸し出していた。

母親の方が必死に雑誌を選んでいて、娘の方が横でその姿を見ている。老人特有の身体の衰えによる不自由さで、必死に雑誌を選んでいる姿は、既に認知症ぎみなのかと思わせるほど。

壮健な年齢であれば、雑誌選ぶのにあぁも必死にならないだろう。それを暖かくでも、嫌そうでもなく、日常の一端として付き添っている娘。

近所の賃貸アパートに老人の親子が住んでいる。父と息子。父の方は100歳近いのだろう。身体の自由が利かないらしく車いす生活。毎日、ケアセンターの車が迎えに来て、日中は介護施設に行っている。

息子は毎日、車いすの父親を家の前で送り迎えしている。息子の方も老人、20年近く前に定年退職しているような年齢に見える。昼間に買い物に出るのを見かけるのだが、年齢が年齢がなので、歩くのが辛そうにも見える。

老人が老人を介護するという社会問題とか、この父子は愛想が悪く、挨拶しても挨拶を返してこない(父親の方はもはや前後不覚なのだろうが)。賃貸での老人二人暮らしで、近い未来に不安を感じているのではないかという諸問題は、今回は全く放っておいて、思うことがある。

近所の父・息子、コンビニでの母・娘の親子を見て、私がひしひしと感じてること。

あんな親子の子供側になれなかった。親孝行な子供になりそこなった。

ということ。

昨日のコンビニで母娘を見たときに、涙が出そうに、切ない気持ちになった。自分の母親があれくらいの年齢になったときに、私は母親の横にいないだろう。

エホバの証人の悲しい父親

エホバの証人、崩壊が約束された偽りの家族

エホバの証人、親子累々に及ぼす負の連鎖

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エホバの証人二世が抑えきれない破壊衝動で蛍光灯を割りまくる

エホバの証人の懲らしめという虐待による悪循環 

エホバの証人の子供の生活には過大なストレスがかかる。一般の人、信者の人、親戚家族、誰かれ問わず模範的であれと言われる。子供らしく大暴れすることは許されない。

ストレスはどこかで発散させなければならない。子供の私は密かに悪事を行うようになっていた。両親にさえ露見しなければ、とりあえずは懲らしめという体罰を受けることはない。

エホバの証人の子供が一見お利口に見えるのは、この懲らしめという暴力の効果。エホバの証人的模範的行動から逸れると待っているのは懲らしめ。暴力による制裁を受ける。

痛みは効くので、子供は反射的にエホバの証人的行動を取るようになる。サーカスの動物と同じ調教方法。ところがサーカスの動物ほど人間の子供は単細胞ではない。

私のように親がいない所で悪事を働くようになるのはマシな方。これはこれで気を休める息抜きの時間を持てているから。都合が悪いのは、懲らしめという暴力によって精神を病むエホバの証人の子供たちが絶えないこと。

暴力の痛みや恐怖に対する対処療法として、体が痛みを感じなくなる。これは、大ケガをしても死にかけても笑っていられるエホバの証人二世ロボットの誕生。エホバの証人信者には鬱病が多い。これも子供の頃から暴力を受けて、精神を病んだ結果。

また、暴力は連鎖する。懲らしめを受けて育ったエホバの証人二世の子供は、暴力的になる。子供の頃から、問題の有効な解決策として暴力という手段を親が示し続けた結果。

暴力は決して有効な解決策でなく、表面的な解決に過ぎない。余計に問題をややこしくするのだが、子供にはそんなことは関係ない。自らが受けた暴力を周囲にまき散らすようになる。エホバの証人の二世信者にDV加害者や子供に対する虐待者が多いのは当然の帰結。

私はエホバの証人の子供でありながら、親にバレないように悪事を行うことでストレスを発散していた。しかし洗脳状態にはあるので、天にいるエホバという神には見られているという思いがあった。やがて罰が下されると考えていた。

いつか罪の報いを受けるのだという罪悪感を強く抱くこともエホバの証人2世の精神に暗い影を落としている。自分の命はハルマゲドンまでの限定的なもので寿命を全うすることが出来ない。このため刹那的な生き方へ誘導される。

エホバの証人の懲らしめという名の体罰と児童虐待

蛍光灯を割りまくるエホバの証人2世の子供

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エホバの証人二世の子供の体罰からの卒業

エホバの証人二世の初恋

私の両親は異常に熱心なエホバの証人だった。私も当然のように生まれながらのエホバの証人二世信者として育てられた。

エホバの証人はものみの塔協会の厳格な戒律に従って生活する。親がエホバの証人だった場合は、子供に対してもこの厳格な戒律が適用される。このため、私は非常に制限の多い子ども時代を送ることになる。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

ものみの塔協会の戒律を破ったときに待っているのは懲らしめと呼ばれる体罰である。親にお尻を素手もしくはベルトなどで何度も叩かれる。叩かれる回数は裁判官さながらに親が宣告する。

小学校6年生のときにクラスに好きな女の子が出来たのだが、これはどうしようもなかった。エホバの証人2世である限り、異性との交際など小学生や中学生には認められない。

幼い頃から何にも与えられなかった反動なのか、私の独占欲は異常に強かった。とにかくその好きな女の子を誰にもとられたくないという強い思いに駆られた。

エホバの証人である限り、デートをしたり付き合ったりなど出来る訳もない。それでも私はその女の子に告白したのだった。これが親にばれようものなら、とんでもない目にあいかねない。

エホバの証人二世の子どもの体罰が終わるとき

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『解毒』~『羽』の無いエホバの証人2世

自殺者の多いエホバの証人2世

元エホバの証人二世の書いた『解毒』。この本の作者はエホバの証人2世で、エホバの証人2世たちのことを”戦友”であると書く。かつての私の戦友たちはどうしているのだろうか?死んでいなければ、私と同じ40歳。

死んでいなければというのは、エホバの証人には自殺者が多いから。特にエホバの証人2世には自殺者が多いとこの本の作者も書いている。

作者によると原因は2つ。毒親による虐待で精神を病むこと。教義を強制されて育ったために自立心が無く、社会でやっていけないため。

エホバの証人に自殺者が多い理由①

傷だらけの元エホバの証人2世

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エホバの証人をやめた中学生の暴走

私はほとんど生まれながらにしてエホバの証人で、両親は完全なるものみの塔教会の洗脳下にあった。私は14歳のときに自分の意志でエホバの証人を辞めるに至る。いわゆる脱塔。脱ものみの塔。

脱塔宣言の仕方はエホバの証人2世が脱塔宣言する際の3つの注意点(親に対しての告げ方)

エホバの証人をやめた後の中学校生活は自由そのもの。気ままに送った。縛り付けるものが何もなかった。エホバの証人はものみの塔協会の戒律を守らなければならないのが第一。そして、その次には上位の権威に従えとなる。

エホバの証人の定義する上位の権威とは

ものみの塔教会の教義の中に、上位の権威に従えという戒律が存在する。上位の権威とは、親、学校の先生、政治権力、そういったもの。そういった上記の権威は神エホバが認めた秩序であるとされている。

そうなると、戦争をおっぱじめたり、汚職に手を染めたり、独裁で人種差別をするような権力も神が認めたということになる。これは明らかな矛盾で、この教義はものみの塔協会のこじつけなのだ。現存の権力に真っ向から逆らうと都合が悪いから。

現行の権力者は神が認めたから存在できるのだとしている。民主選挙で選ばれた権力者が、さも神の是認を一旦は得たのだとしている。この教義のため、エホバの証人は、法律や校則を守る優良市民でなければならない。エホバの証人の教義に反しない限りは、社会的模範となる必要がある。

このため、学校でもエホバの証人の評判は意外と良い。先生に喰ってかかるような不良と比べれば、宗教上出来ない儀式はあるが、掃除、当番などの学校の活動は真面目だし、生活態度も良好だからだ。

エホバの証人をやめて実感する生の実感

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『カルト村で生まれました。』エホバの証人との相違点3つと類似点3つまとめ

『カルト村で生まれました。』被害に巻き込まれる子供

ヤマギシ会というカルト集団で育った半生をマンガ形式で描いた一冊。この集団は全財産を巻き上げる点や子供に対する強烈な体罰を行うという点から完全にカルト。

エホバの証人との類似点3つ

  1. カルトである
  2. 子どもを巻き込む
  3. 幼児虐待を行う

エホバの証人との相違点3つ

  1. 親子が一緒に暮らせない
  2. 高校を卒業したら脱カルトのチャンスが来る
  3. 季節の行事に対しては寛容

集団の中にいる人は情報統制によりまさか自分がカルトの餌食になっているとは思いもしない。この集団は高校卒業時に脱退を自分で選択できる方式になっているのは多少は良心的だが、それまでの感受性豊かな幼少期や少年期は決して取り戻すことが出来ない。

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金が要らない自給自足の生活を営みたい、この本に描かれているのは、その思想が暴走したカルト。物が溢れた現代社会で所有欲を否定するというのは、何でもかんでも手に入れた勝者か、でなければ敗者の遠吠え、現実逃避である。

ただ、思想は個人の自由である。自給自足の禁欲生活をしたければ勝手にすればいい。しかし、無垢の子供をそこに引きずり込むのは悪行そのもの。現代社会になじめないように子どもを縛り付け、育てるのは最悪の虐待行為である。

エホバの証人との共通点と相違点

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エホバの証人に自殺者が多い理由④

エホバの証人に自殺者が多い理由

前回は私の父親の自殺未遂から、エホバの証人に自殺者が多い理由を考察した。父親が夜の海に身投げをしようとした前回の話はこちら

今回はこの続き。シリーズ最後4回目。お互いにエホバの証人をやめた後で、父親から聞いた話。

エホバの証人家族の崩壊と父親の出奔

父親、母親、私が一人息子という、私の家族はエホバの証人家族として、ものみの塔協会の洗脳下にあった。私が生まれた頃から、エホバの証人をやめると14歳の私が宣言したときまで、それが続く。

私が成人し、家を出て一人暮らしを始めた頃、父親、母親の順番でエホバの証人をやめる。この過程で両親は離婚し、一家崩壊となる。父親は離婚と同時に行き先知れずとなり、数年ぶりに再開したときに聞いた話である。

父親は、離婚した後、一人放浪するように日本中を彷徨っていたという。その途中で持ち金が無くなるたびに、死のうと考えた。しかし、その度に最後の有り金で買った馬券が当たったり、これで負けたら死ぬしかないというパチンコで大勝したりした。

まるで何かの力に生きろと言われているかのよう。ギャンブルの神様か?エホバの証人はこんな話をすると、エホバが救ってくれたとか言い出すのだが、背教者に一方的に善行を施す神はいないよね。とにもかくにも自殺する直前で何度も命拾いしたのだという。

世の中には、道半ばで死んでいく者が無数にいる。一方、自殺願望を抱えたまま、生き延びたのは何かの意味があるのかもしれない。そんなことは私にとってはどうでも良く、ただ一人の父親が、こうして生き残り、また話が出来て良かったと胸をなで下ろしたのだった。

カルト宗教にハマり貧困し自殺するエホバの証人

父親はなぜ、何度も死のうと思ったのか?

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雪だるまを作れないエホバの証人2世の子供

雪だるまを作れないエホバの証人2世

息子の小さなころの写真を見ていると、雪だるまと一緒に座っている写真を発見した。彼の全身の大きさが雪だるまと同じくらい。何とも可愛らしく懐かしい。息子がまだ歩けるかどうかの年齢なので、雪だるまは私が作ったものだろう。

私の小さな頃のアルバムにも似たような写真があった。雪だるまと並んでいるのだが、よく見ると違いがある。息子のは雪を球状にしたものが2つ重なっている雪だるま。不格好ながらに私が描いた目、口もついている。私の小さい頃のは雪を球状にしたものが一つだけ。頭がついていない。

私の子どもの頃の写真は、微妙な表情の幼い私、その横に丸い大きな球状の雪。気にしなければ、そのままスルーなのだが、私はその写真を見ていて悲しい事実を思い出した。これもエホバの証人にまつわるものである。

子どもの私はコロコロと雪玉を転がして大きな球にして雪だるまの胴体を作った。そしてももう一個、一回り小さめの雪だるまの頭を作ろうとしたのだが、ここで両親にストップをかけられたのだ。

雪だるまはエホバの証人にふさわしくない。という理由で。

雪だるまが禁止される理由

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