エホバの証人のエロエロ児童虐待
こども家庭庁の研究事業、「保護者による宗教の信仰等に起因する児童虐待に関する調査研究」報告書。第4章、市区町村調査。
問4、保護者による宗教の信仰等に起因すると推察される虐待の該当事例。
教育と称し、年齢に⾒合わない性的な表現を含んだ資料を⾒せる・⼝頭で伝える
エホバの証人の宗教本に出てくるセックス、マスターベーションと言った言葉。信者たちは臆することなく、こんなエロエロワードを幼児の頃から子どもに教える。これも完全な児童虐待。
次の画像はものみの塔誌より(1982年1月15日号)。
これは聖書中のタマルという女性が異母兄弟にレイプされた逸話。それを4コマ漫画風に描いたものみの塔誌のイラスト。レイプされたので別の兄弟が報復でレイプ犯を殺した。エホバの証人はこういうのを平気で子どもに見せてきた。児童虐待以外の何ものでもない。
エホバの証人のこらしめ=体罰
宗教団体等の施設内等において暴⼒⾏為等を受けていると知りながら、安全確保のための対応を怠る
これもエホバの証人。エホバの証人の集会所「王国会館」の中で、子どもが体罰を受けるのは、暗黙どころかお天道様の真下での周知の事実。
エホバの証人たちは、王国会館で子どもが体罰という暴力行為を受けているのを知りながら、それを容認してきた。むしろ、それを推奨したり好ましいモノとして見てきた残虐な集団。
次のエホバの証人のものみの塔誌(1980年9月1日号)がそれを証明している。
王国会館でぐずった子どもがこらしめ部屋に連行される瞬間。この子が「エホバ、お願いだから助けて!」と言ったのを笑い話にしている悪趣味な記事。
この子が必要な懲らしめを逃れられるよう神に願い求めた
と記事中にある。集会場の小部屋で行われる「必要な懲らしめ」というのは、神に助けを求めないといけないレベルのモノ。最低でも体罰は確定。訓戒とか正座では神に助けを求めない。というか正座でも体罰だが。
この少女には、神に助けを求めたくなってしまう、わらをもつかみたくなるほどの苦痛が待っている。これは児童虐待以外の何ものでもない。そして、それは最低でも体罰。こんこんとお説教とかで、神に助けを求めないだろ。
現在のエホバの証人は、こういう児童虐待の罪をごまかすため、「懲らしめは体罰を意味しない」などと言い出す。それ、ウソ。
この子が泣き叫んでまで回避しようとしているのが「懲らしめ」と、ものみの塔誌に書かれている。「懲らしめ」が泣き叫んでまで回避しないといけないモノなら、それは体罰以上。それが必ずしも体罰でないというのは、エホバの証人特有の詭弁にすぎない。
誰がどう見ても、エホバの証人の集会所の小部屋で行われるのは体罰。エホバの証人がそれを否定しようが、世間はそうは見ない。だって小部屋に連行される子どもが「神様!助けて!」って言ってるんだよ。その小部屋のなかで、どれだけ残忍なことが行われるかは明らか。
というか、かつてエホバの証人の王国会館のこらしめ部屋で体罰が行わていたのは、体験者にとっては周知の事実。それをごまかそうなんてのは、エホバの証人は往生際が悪すぎ。恥を知れ。