エホバの証人になると不幸になるのは、ものみの塔公認の事実

個人の選択と行動の結果、信者が苦しんでも構わないという教団

昨日の記事に続いて東洋経済ONLINEから『宗教虐待で心を病んだ兄が親から絶縁される残酷』。

基本的にエホバの証人2世は不幸になる。このご時世に、自由を過度に制限された人間が楽しく生きられるわけがない。

エホバの証人2世の不幸について、本誌が取り上げているのは同教団の「排斥」という仲間ハズレにするシステム。戒律破りの信者をのけ者にする仕組み。家族でも同様。

「排斥」は、家族であっても関係なしに適用される。子どもにとって、親から忌避されるのは辛い。

そのことを、本誌の記者がエホバの証人日本支部に取材している。お宅の宗教は「排斥」システムで2世信者を不幸にしてますが、その点どうなの?と。

教団広報部の回答は

エホバの証人は皆、聖書の考えを学び、受け入れ、実践することを個人的に決定します。

・・・中略・・・

聖書的な意味での悔い改めを示さない人だけがエホバの証人の会衆から除かれます。したがって、排斥は個人の選択と行動の結果です

個人の選択と行動の結果、信者が「排斥」になって苦しんでも構わないというのがエホバの証人組織の見解。さすが、溢れんばかりの愛に満ちたカルト組織「エホバの証人」。

エホバの証人になると苦しみ、不幸になる

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神の名の元に子どもに暴力を振るう、エホバの証人の親

壮絶なエホバの証人2世の日常

東洋経済ONLINEから『宗教虐待で心を病んだ兄が親から絶縁される残酷』。今回は後編。前編については東洋経済ONLINEに「エホバの証人」が名指しで掲載の記事で触れた。

取材されているのは、エホバの証人の

組織に不信感を抱く

現役エホバの証人2世。その兄が宗教虐待で心を病んでいるという話。

父親からテレビのコードを三つ編みにしたムチで何十回もたたかれ、体がみみず腫れしたこともあった。特に男性である兄への体罰は激しく、その苦しみから吐いてしまうことも

壮絶だが、これがエホバの証人2世の日常。

たたかれたことに対して『ありがとう』と言わなければ、さらにたたかれる。泣きながら『ありがとう』と繰り返していました

はいー。変態ー。何かのプレイのようだが、これもエホバの証人2世の日常。叩かれる前後に神に祈ったりするからね。異常。

祈っているということは、神の名の元にエホバの証人の親は子どもに暴力を振るっている。

親が子どもよりエホバの証人組織を優先しだすと・・・

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エホバの証人がくれる不要な中学の制服、一銭も損をしない保証人

エホバの証人がくれる要らない中学の制服

昨日の記事の続き。東洋経済ONLINEから『脱会した宗教2世が「母に会えない」過酷な現実』前編。

取材されている元エホバの証人2世、排斥者の女性が、周囲のエホバの証人信者には感謝していると述べている。

  • 中学の制服を貰った
  • 家を借りるときに保証人になって貰った

この2点を挙げ「エホバの証人がいなかったらとても暮らしていけなかった」と。

ここは冷静に考えてみよう。中学の制服、必要としていて貰えたのなら、貰えた側はありがたいが、あげた方は単なる不要品の処分。そこまでありがたがる必要はない。

月に何十時間も布教活動するエホバの証人。その時間働いて新品の制服買ってやれよ、と私は思う。せっかくの中学入学、人生で一度のことだぜ。

こう考えると、人生にたった一度の中学校の入学式で新品の制服にそでを通せなかったのは、エホバの証人のせい。ろくなもんじゃないだろ。有害すぎる。

エホバの証人が家を借りるときの保証人になってくれた?

家の保証人だってそう。一筆書くだけ。保証人になっているエホバの証人のほうには、一銭たりとも金を払う気はない。

「エホバの証人がいなかったらとても暮らしていけない」と思っている親子の保証人になっている。つまり、この親子は、少なくとも親のほうは暮らしていけなくなるから、エホバの証人であり続ける。この親子は絶対に家賃を滞納して蒸発して、周囲のエホバの証人から逃げたりしないという前提がある。

もしくはマインドコントロールの妄信で「エホバの証人は良い人だから家賃滞納して逃げるわけがない」、と信じ切った上で保証人になっている。

むしろ、エホバの証人は借金まみれになったってハルマゲドンでチャラになると信じている。だから保証人にでも何でもなる。そこに深い愛はない。

保証人がいなくて家が借りられないときに、保証人の欄にサインしてくれるのはありがたいけれど、実際に家賃を払って貰っているわけではない。そこまでありがたがる必要はない。

エホバの証人がいなければ・・・

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東洋経済ONLINEに「エホバの証人」が名指しで掲載

存在意義の無い宗教、エホバの証人

東洋経済ONLINEより。『脱会した宗教2世が「母に会えない」過酷な現実』前編。統一教会の話に続いてカルト宗教「エホバの証人」が名指しされている。エホバの証人よ、刮目して読め。じゃなかった。ここは「目ざめよ!!」か。

前編を読んだのだが、元エホバの証人としては普通の話。あるあるな悲劇。だが、一般人の感覚で読むと「異常」そのもの。

取材されている久美子さんという女性はエホバの証人2世の排斥者。排斥とはエホバの証人の戒律を破ったことによる破門。残存信者からは村八分にされる。

「長老」と呼ばれる世話人役が、母親に対し、久美子さんとの交流を慎むよう告げたことで、母親は久美子さんの帰省をも拒むようになる。現在に至るまで会うことが叶わず、連絡もできない。親族の集まりがある時は、久美子さんだけ招かれなくなった

娘よりも、エホバの証人の「長老」の言いなりになる母。異常すぎる。「実の娘と交流するな」なんてことを言うシチュエーションがあり得ない。親子の縁を切らせる宗教なんて、存在意義がない。

そもそもエホバの証人の決まりである排斥などに従う必要がない。好き勝手に実家に帰ればいいのだが、それでもマインドコントロール下の母親には忌避されると。辛すぎる。

しょうもないエホバの証人の排斥という取り決めに従う必要はない。現実はあまり変わらないが、こう考えるだけでも、少しだけ気は楽になりはしないか。エホバの証人の戒律に縛られる必要なんかない。

排斥処分から見るものみの塔、構造的に悔い改め不可能

エホバの証人の行動は何一つ評価すべきではない

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日本円大好きな神様、駅前カート罰ゲームが大好きな神様

カルトの搾取システム

『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』、AmazonのKindleにて。「宗教に対して1番許せない事は?」。

対談なので話が展開する。カルト信者が抱く妄想、

これだけ献金してるんだから、全部神様が助けてくれる

というモノ。対談している元2世信者はそんな妄想を抱いてはいないのだが、親世代の1世信者が抱く強い妄想。

神様シールド

と表現されている。

エホバの証人も同じ。エホバの証人の場合は貧乏なので、金でなく時間を貪り喰われる。

「こんなに奉仕したんだから、全部エホバが助けてくれる」

そんなわけないっての。金の切れ目が縁の切れ目。献金辞めりゃ縁も切れるし、活動辞めりゃそっぽを向かれる。

まず、そんなに日本円が欲しい神なんていないだろ。セコ過ぎ。そんな神なんて役に立たないよ。助けてくれない。

あとは無限に奉仕時間を要求する神、無能ですか?自分で何とかしろよ。一軒一軒、呼び鈴鳴らしたり、駅前で「聖書を無料で学べます」って立って不審者だと思われたり。そんなことしなくても、全知全能の神様なんだからテメーで何とかしろっての。

この一連の流れは、金や時間、つまり信者の人生を貪り喰うためのシステム。そこに神は存在しない。カルトの神は役に立たないというか、存在すらしない。日本円大好き、街頭カート布教という罰ゲーム大好きなんて神様がいるわけない。

エホバの証人という盲信者、あなたは山上容疑者をどう思うか?

組織に捨てられるのが怖くて搾取システムから抜けられない
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※街頭で布教中のエホバの証人の顔写真をSNSで晒す件

街頭布教中のエホバの証人の顔写真を晒すのはあり?

街頭でカート布教中のエホバの証人の顔出し写真がSNSなどに投稿される件。

肖像権だとか個人情報保護だとか、晒されて可哀想という感情論、晒されているのが身内だと目も当てられない、不愉快なので見たくない、と言った諸々の理由で顔出しはNGかと思っていたのだが・・・。

ふと、別に良いのかもと思ったり。というわけで考えてみた。

顔を晒されるのが嫌だと言うのなら、公共の場に立つのを止めれば良い。それでも立ちたいのならお面でも被ればいい。自ら顔面オープンにしてるんだし、それを晒されたところでという話。法律的にはクリアなのかも。

逆に言うと駅前の写真を撮って、アップしたい人とかもいるわけで、勝手に堂々と写り込んでいる方が悪い。というか邪魔。演説中の政治家の顔写真にモザイクかけたりしないよね。

そもそも、そのエホバの証人活動が有害なんだっての。糾弾されてしかるべき。

エホバの証人という宗教に対して1番許せないことは?

街頭布教中のエホバの証人の顔写真を晒すのはNG?

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カルト宗教2世信者の経由地と現在地、十人十色の問題

「親棄て」という荒療治

昨日の記事で、カルト宗教2世が抱える共通的な地盤に

  • 親を裏切る感覚
  • 親に対する情
  • 罪の感覚

があると書いた。根っこは似ていても、その後のルートが異なるため、カルト宗教2世の経由地、現在地が大きく異なる。その都度、その都度の選択が異なった結果、たどる道と現在地が異なる。

どれが正解というものでもなく、すべては本人が決めたこと。もしくは決めなかったこと。

たとえば、親を裏切るという感覚を容赦しきれずにいる人。この人はいまだにカルト宗教信者のままでいるかも知れない。

私は親を裏切るという思いに苦しみながらも、親を捨てる決断をした。親に対する情を捨てようとした。これができない人は、親ゆえに仮面カルト宗教信者であることを余儀なくされ、現在進行形で苦しみ続けている。

親であっても別の人間、他人。であれば、行動や思想に制限をかけてくる親は捨てても構わない、と私は思う。

カルト親に粘り強く接して変心に誘導するという姿勢も賞賛されるべきなのだろうが、

我が家の場合は「親棄て」が一種のカルト治療となった。私は親を捨てるつもりで、エホバの証人をやめた。すると、親の方が「捨ててないでー」と妥協する形になり、両親もエホバの証人をやめた。

こう上手くいかなくとも、親を捨てる決断をしているので、親が歩み寄らなければ、そのまま親を切れば良いと思う。親の人生でなく自分の人生なのだから。ここまで、情を捨てきれない人はまた違った現在地にいるのだろう。

カルト宗教2世問題は、十人十色なので

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誰にも分って貰えない、カルト宗教2世だからこそ・・・

誰にも分って貰えない、カルト宗教2世問題だけど・・・

AmazonのKindle『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』から。

「宗教に対して1番許せない事は?」の質問。対談形式なので話が逸れていく。宗教2世の悩みについて

宗教と縁のない普通の家庭で育った人には一生理解できない、分からない悩み

との発言。たしかに、家庭に宗教問題なんか抱えてない人のほうが圧倒的に多くて、宗教的マイノリティが理解されるのは難しい。一定の理解を示す人がいても、圧倒的共感や完全な理解など得られるはずがない。

ところが、それは誰だって同じ。自分たち宗教2世だって、全く別な問題を抱える人のことなど理解できるはずがない。人は実体験したこと以外は想像するしかない。

誰だって悲しいことや辛いこと、人に言えないことの一つや二つあると、「想像」してみる。すると、自分のエホバの証人2世という恥さらしな出自だって、もしかすると、自分だけが抱えた辛さではない、と思えてくる。

誰にも分かって貰えなくても、違う問題で同じ不理解に苦しむ人がいると考えれば、辛いのは自分だけじゃないと前向きになれる。そして、宗教2世という問題を抱えた人たちは、自分が抱える問題ゆえに他人に優しくなれる。他人に対する不理解ゆえに攻撃したり、苦しめたりしないように、自分の境遇から学ぶことができる。

もちろん、宗教2世どうしであれば、抱える問題に対する共感度や理解度は上がる。ところが、抱える問題にも強弱あり、回復度も人さまざま。理解して貰える量を過剰に見積もると、失望することにもなりかねない。

人は自分のことですら、よく理解していない。ましてや他人のことなど理解できるはずがない。完全に分かり合うことなどない。

エホバの証人という宗教に対して1番許せないことは?

宗教2世被害者の現在地、経由地

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家族を不幸にするカルト、神と聖書のあいだに介在するカルト

家族を不幸にする宗教、エホバの証人

AmazonのKindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』。「宗教に対して1番許せない事は?」の質問。

本書内の対談で出てきた意見

宗教によって子供が不幸にされてるのに「幸せ」について語るな!と言いたい

エホバの証人の場合も、家族持ちの信者の入り口は家庭の幸福・子どもの教育をネタにしたものが多い。エホバの証人はあなたの家族生活を幸福なものにしないのだが、勧誘する時は逆、さらにはエホバの証人にならないと不幸になる、というような物言いをする。

輸血拒否で不毛に死んだり、献身してすべてをエホバの証人組織に捧げることのどこが家族生活を幸福にするのか、詳しく説明して欲しいのだが。

脱会した者は排斥と称し、家族でも最低限の接触しか許さない。それのどこが家族の幸福?家族よりも信者間の結びつきを優先させる。端的にエホバの証人は家族を不幸にする宗教。

神と聖書のあいだに

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エホバの証人という宗教に対して1番許せないことは?

騙しと搾取のカルト宗教は許せない

AmazonのKindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』から。

質問その2「宗教に対して1番許せない事は?」

宗教が許せない、というと語弊があり、カルト宗教が許せないだけ。

カルト宗教が許せないのは広義には「信者を騙しているところ」、個人的には「屈辱の日々を送らされたこと」。

果たして伝統的な神社や寺院が参拝者を騙していないかと言えば・・・騙してない。拝んで賽銭入れたからって「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」とは決して言わない。

エホバの証人は簡単に言うよね。大ウソを。「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」って。

カルトの許せないところは「信者を騙しているところ」。これだけで良さそうだけど、もうちょっと補足すると

「信者を騙して人生そのものを搾取するところ」

普通の神社や寺院では献金破産することもないし、宗教活動にすべてを捧げるために仕事を辞めろとは言わない。逆に「ちゃんと働きなされ」とアドバイスしてくれるだろう。

神より大事なスマートフォン、神は博物館にでも飾っておけばいい

エホバの証人組織に対する個人的な恨み

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