エホバの証人という穢れ
『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』から。
川崎事件の調査のため、エホバの証人組織に潜入中の著者。その祖母が輸血拒否をしているという。説得に向かった著者は
祖母の、エホバの証人として生きてきた人生を、その誇りのままに、閉じさせてあげたい。そう感じた
という。
たまにこういう論調をエホバの証人非信者から聞くのだが、私の考えとは相容れない。
エホバの証人として生きた人生は、誇りになどならない。穢れ。人生の汚点でしかない。例え死ぬ直前の慰みであっても、エホバの証人として死んでいこうとしている人間には真実を伝えるべきだ。
「エホバの証人として生きて人生を無駄にしたね」と。無駄にするだけならともかく、
「有害なカルトに協力して、世界に害悪をばら撒いた。罪深いね」と。
残酷かも知れないが、真理を追い求めて、真理に命をかけた人間には、真実を伝えねばなるまい。
そして、中途半端に口当たりのいいことだけ言ってあしらっていると、死後にエホバの証人親に祟られることになる。
祟られるというのは冗談半分だとしても、どうせ死ねば、エホバの証人理論でも完全に無になるのだから、言うことは言っておいた方がいい。
「エホバの証人として殉教したなんて、残された家族にしてみれば恥でしかない。それ以上に無念。家族よりもカルトを優先するなんて」と。
エホバの証人を生かせ
“エホバの証人の輸血拒否は生命に対する冒涜、生きて償わせるエホバの証人の穢れ” の続きを読む