極悪行為が無いから真の宗教だというエホバの証人の主張

エホバの証人は統一教会よりヤバくないのか?

統一教会が騒ぎになっていて、ヤバさは「統一教会 > エホバの証人」という論調になっていたり、エホバの証人の信者本人が「統一教会はあんなに異常で、エホバの証人はこう違うから真の宗教だ」みたいな寝言を言っていたりする。

ここできっちり否定しておきたい。

エホバの証人も統一教会もカルトで、有害。本質は同じ。この国に、いやこの世界に存在を容認してはいけないもの。

エホバの証人の方が統一教会よりヤバくないとされる理由3つ

  • 霊感商法で壺を売らない 
  • 合同結婚しない
  • 政治家と癒着し、選挙に干渉したり組織票を投じない

エホバの証人の信者が自らを真の宗教だと言うときも、上記をしないからという理由をあげる。

上記3点が表面的なモノで本質は同じだということを証明すれば、エホバの証人は統一教会よりヤバくないという論調に一石を投じられる。この点は明日。

カルトに操られた、「人間のような者」のたどる末路

宗教団体の極悪行動三兄弟

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「神と聖書と私とあなた」、その間に割り込むモノは・・・

エホバの証人の神権の不在

『近現代日本とエホバの証人』、第三章「不確定の時代」前半より。

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1949年、エホバの証人のギレアデ学校を卒業した宣教者が日本にやってきた。ギレアデ学校とは、灯台社の明石順三によって

「規格品的」な「信者獲得運動」

と批判された宣教者の養成課程。

開設当初に強調されたのは、「聖書そのものの研究」と「神権組織」であった

この「神権組織」というのがエホバの証人の存在の根拠なのだが、エホバの証人組織が神権を所有している証拠は一切ない。神権の所有を証明できるエホバの証人はいない。単なる自称「神権組織」であり、信者たちの思い込みによる妄信がそれを支えている。

偽神エホバという偶像を掲げるものみの塔、偶像崇拝者のエホバの証人

エホバの証人の宣教者、その人格が低俗である理由

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後世にエホバの証人という負の遺産を残さない。聖書が無料っていう不道徳

未来を思うと、残してはいけないエホバの証人

『近現代日本とエホバの証人』、第三章「不確定の時代」前半。

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日本のエホバの証人の歴史と展開を世界本部の布教方針からひも解く本書。世界本部によって明石順三の灯台社が潰された後、1948年から1970年代半ばまで。

それにしても古い。まだ私は生まれてもいない。私が中流階級のごくごく平凡な家庭に生まれる前に、この国を蝕み始めていたエホバの証人。私が生まれたときには、その病巣が無尽蔵に広がり、わが家がその毒手にかかる。

自分が生まれる前から、呪われたカルトがこの国に広がり、一般的な家庭に生まれた私の前半生にエホバの証人という汚点を残した。

当時の日本人たち、なんとかしろよと思う。カルトが広がって手遅れになる前に根絶やしにしておけよと。

高度経済成長期の日本にエホバの証人というカルトが無くたって誰も困らない。現在でも同じ、この国の歴史が始まったときから今に至るまでエホバの証人が日本に無くても誰も困らない。

困るのは現実逃避中の無自覚なマインドコントロール信者だけ。この人たちは人生を損ない不幸になる。不毛で無価値なカルト活動に時間を費やし、ろくに働きもしないので国のお荷物。

エホバの証人が無くても困らないどころか、有害そのもの。エホバの証人が存在するだけで社会全体が害を受ける。

私が生まれる前に日本を蝕み始めたエホバの証人。当時の日本人、私の親の親の世代。広がる前に潰しておけよ。これは私たちの子孫から見ても同じ。エホバの証人というカルトを子孫世代に残せば、被害者が出て不幸になる人が増える。そして、子孫世代の経済資源を喰い散らかされる。

この国の未来を思えばこそ、エホバの証人というカルトを根絶やしに。後世に負の遺産を残さない。

エホバの証人の不道徳

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偽神エホバという偶像を掲げるものみの塔、偶像崇拝者のエホバの証人

エホバ偽神問題

『近現代日本とエホバの証人』、第二章「灯台社の時代」脚注から。

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昨日の記事で、戦前のエホバの証人の反戦行動は決してキリスト教的良心から出たものではないことを本書から紹介した。単純にエホバの証人教義に拡大解釈された偶像崇拝と殺人禁止という聖書原則に従っただけ。

この偶像崇拝について、本書の脚注では以下のように記載。

エホバの証人のいう「偶像」は、必ずしも像の形をとるものではなく、特定の人物や場所など、エホバ神以外の対象に熱狂したり心酔したりする行為は全て偶像崇拝とみなされる

このエホバの証人的「偶像」崇拝の拡大適用によって、エホバの証人は国旗を振ったり、「天皇陛下万歳!」とやらないわけだ。

エホバ神以外への熱狂・心酔が偶像崇拝となる解釈なのだが、まずこのエホバというのが存在しない偽神。その時点でエホバそのものが偶像。

このエホバ偽神問題は後ほど。

エホバの証人が行うものみの塔(=偶像)崇拝

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エホバの証人の反戦、平和的行動が評価されるべきでない理由

エホバの証人と戦争

『近現代日本とエホバの証人』、第二章「灯台社の時代」末尾部分。

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日本におけるエホバの証人の始まり。戦前に明石順三が米国から持ち込んだことに由来する。戦時中にはエホバの証人は思想犯として逮捕収監された。

当時のエホバの証人活動が「平和と反戦」という方向性で好評価されることがある。軍務を拒否し、戦争にも反対したと。

この大戦が敗戦に終わったことや、統帥権の濫用による暴走・無計画とも言える開戦までの成り行きにより、この戦争を批判することが盲目的に正しいとされる風潮もある。

先の大戦の是非を問うのは、このブログの主旨とは異なるし、一概に断じれるほどの知見も無いので避ける。「日本のエホバの証人が、戦時中に戦争反対の行動を示していて素晴らしい」という意見に対してだけは、反対意見を述べておきたい。

国民として戦火の中にあった場合、エホバの証人のように「戦争反対、兵役拒否」という態度をとるのが果たして正しいのか?戦争の是非はともかく、始まってしまったら、国民として成すべきことを成すという態度が正しいのではないだろうか。

戦争賛成と言っているのではない。戦争で死んだり、殺し合ったりするのは絶対にイヤだし、少なくとも平和主義を謳っている、この時代この国に生まれてきてラッキーだったと思う。

とはいえ、実際に戦争が始まってしまったのなら仕方ない。国民としてやれることをやるのが正しいのではないかと。

当時のエホバの証人の反戦行動が国全体に広がったとすると、戦争を継続することができず、早々に国家瓦解。中途半端な国として疎んじられ、外国の分割占領統治を許し踏みにじられ、現在の日本という国は存在しない。我々の祖父、曾祖父の世代は他国に搾取され犯されという目に遭う。

個人として戦争反対という意見を持つのは何の問題もない。戦争が始まってしまっても反対は反対、という個人的態度をとりつつも、国民としての責任・義務は何らかの形で果たす。それがあるべき姿。非常時の国家で逮捕収監されてまでお荷物になるのはいかがなものか。

『近現代日本とエホバの証人』、カルトに取って喰われる無自覚層

ブレずに教団至上主義のエホバの証人

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エホバの証人にマンガ喫茶の無料クーポンをプレゼントしよう

エホバの証人の極限状態とは・・・

昨日の記事で「極限状態とエホバの証人情報の遮断」で、エホバの証人のマインドコントロールに風穴を開けられるのではないかと書いた。

ヒントになったのはエホバの証人を日本に輸入した明石順三。彼の極限体験は思想犯としての収監。

まさか、現在の日本でエホバの証人だからってだけで今の所は逮捕されたりしない。ならば、この極限状態を現代社会でいかに再現するか?

極限体験としてよく例に上がるのが、大災害であったり、身近な人の不幸であったり。そんな極限状態を作り出してエホバの証人に味あわせるわけにもいかない。

ならば、エホバの証人情報の強制遮断。ふんだんにエホバの証人のマインドコントロール情報を浴びている者から、それらを急に没収すれば、それはそれで極限状態。

エホバの証人文書を発行禁止にして信者が見られないようにする。どうやったら発行禁止にできるのかという問題もあるが、例え発禁になっても現代ではネットで見れちゃうし、日本語版の翻訳がなくとも自動翻訳で簡単に読むことが可能。日本のものみの塔協会の冗長な翻訳より自動翻訳の方が優れているかも知れないくらいだ。

赤の他人の信者から強制的にものみの塔本を没収したりすることは不可能だし、家族の場合でも全部燃やしたりしても逆効果。本人のマインドコントロールが燃え上がるだけ。むしろ隠れて読むだろうし、ネットで簡単に閲覧できるので、一切の効果なし。

物理的にエホバの証人情報の遮断が不可能ならば・・・

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エホバの証人の解放、極限状態とエホバの証人情報の遮断

エホバの証人の安っぽいマインドコントロール

極限状態とエホバの証人情報の遮断が、解放へのヒント

昨日の記事で、エホバの証人を日本に持ち込んだ「灯台社」明石順三がものみの塔を見限った理由を考察した。その理由とは、極限体験とものみの塔情報の遮断。

明石の極限体験は思想犯としての収監。しかも大戦末期の混乱期。極限も極限。この極限体験中に「こんな目に遭うくらいなら、エホバの証人なんざまっぴらだ」となったわけではない。

明石は日本のエホバの証人の活動の中心人物だった。周りを騙し、自分もまさに命がけでエホバの証人活動を行い、信仰の陶酔の中心にいた。その状態で捕まり拘留。拘留中はお仲間の信者や、エホバの証人情報から強制的に距離を置くことになった。

肥溜めの中にいて、外にいる人間をそこに引きずり込んでいる間は、その臭いに気付かなかった。ところが逮捕され肥溜めを出て、今度は違う刺激臭のする場所に拘留された。

拘留中は肥溜めを思い描き、記憶の中のそのかぐわしい臭いを追い求める。一転、解放され待ちわびた肥溜めに頭からダイブすると「何だこれ?くっせー」となった。

極限状態で鼻をリセットするわけだが、リセット後もしばらくは元の臭いを与えてはいけない。エホバの証人情報は完全遮断。エホバの証人漬けになっていた状態をきれいさっぱり洗い流して、真っ白にする。心根までは変えられないもののエホバの証人欠乏状態にする。

その状態で解放された明石は、エホバの証人文書を読んで「何だ、この非聖書的な組織は!」となった。

エホバの証人の激安マインドコントロール

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エホバの証人(JW)の本質、明石覚醒の原因とは?

ものみの塔情報の遮断が・・・

エホバの証人の本質は「騙し合い」

昨日の記事の続き。戦時中に収監された明石順三、釈放後にものみの塔に違和感を覚える。その目覚めの原動力は何だったのか?

  • ものみの塔が変わった
  • 本人が変わった

このどちらか、もしくは両方だが、私は後者、明石本人が変わったのだと考えている。

ものみの塔が変わったわけではない。会長が小粒になり、組織化が進められ信者の束縛が強まった。それは表面的なモノで、本質は当初から全く変わっていない。

聖書を独自の思い込みで解釈して、気持ちいいくらいにハズれる予言を捏造する。そして、大した反省もなく新たな思い込み解釈で聖書をこねくり回して予言を出現させる。

自分が思い込んでいる間は信じない者を敵視するほどに自信満々。ところがハズれたあとは「信じるか信じないかはあなた自身の問題でした」と、自信満々だった事実は忘れちゃうか封印するか。

この繰り返しで、その時々で表面的な信仰の対象が変わるだけ。エホバの証人が信仰するのは、神の仮面を被った思い込み解釈だったり、組織そのものであったり、組織の規則であったり、組織の権威者だったり。

本人たちが何を信じているつもりで、実質何を信じているのかは、些細な問題。エホバの証人の本質は「騙されている」ということ。そして騙された側がそれを信じ込みさらに騙されてる人を増殖させる「騙し合い」。これがエホバの証人の本質。

明石覚醒の原因は極限体験とものみの塔情報の欠乏

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ものみの塔の普遍の「真理」、150年前から続いて今なお解明中?

ものみの塔の自慰行為、絶賛継続中

「灯台社」明石順三の結末

『近現代日本とエホバの証人』より。第二章「灯台社の時代」後半。

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日本にエホバの証人を輸入した明石順三だが、戦時中に「思想犯」として懲役刑に。戦後、釈放されエホバの証人の世界本部と再接触。

釈放後の明石は、世界本部から送られたものみの塔本に対して疑念を抱く。そして、7つの公開質問状をものみの塔会長宛てに送付。質問の内容は、ものみの塔の非正当性を問う内容。

結果、明石の質問に対して堂々たる回答があったり、お互いの着地点を探る話し合いがあったりということはなく、ものみの塔世界本部側は明石を黙殺の上、除名。

ものみの塔は組織崇拝者の組織なので、この結果は当然。今も昔も変わらず。

盲目に崇拝されるべき組織を、正当に批判されるのはものみの塔にとって抜群に都合が悪い。ものみの塔が必要としているのは、正義感のある賢い自主的な人物でなく、無自覚にただひたすらものみの塔という偶像を崇め奉る人物。

ものみの塔の普遍の「真理」は今なお解明中

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貧乏で病気になることを喜びと感じる、エホバの証人

宗教は、自分の最低限を整えてから

エホバの証人のコルポーターの精神的不健康

『近現代日本とエホバの証人』から。第二章「灯台社の時代」より。

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本書によると、戦前のエホバの証人(当時は灯台社)の伝道者は「コルポーター」と称されていた。

コルポーターは無給でこの活動に従事していたため、きわめて貧しく、赤痢に罹患して亡くなった者もいた。この経験を語った信者自身も赤痢にかかり、夫は肺結核に罹患する経験をしているが、それでも「素晴らしい奉仕(宣教)の喜び」が与えられたと述べている

規模の大小こそあれ、現代のエホバの証人も同じ。たいていは貧するし、心身を病む。ところがエホバの証人は、その活動のためならば、貧乏で病気になるのが喜びだと思い込むようになる。これがマインドコントロールの効果。

過酷な環境を喜びと捉えるエホバの証人のマゾヒズム

入信前にこれを聞かされたらどうか?

「エホバの証人になると、とても良いことがありますが、貧乏で病気になります」と。どんな良いことが待ち構えていても、貧乏で病に侵されるのが分かっているのなら、エホバの証人にはならない。

この価値観が転換してしまうのが、マインドコントロールの結果。そうならないためには、エホバの証人にはならないに限る。だって、

貧乏になって病気になるのは誰だって嫌でしょ。例え、貧したり病気にならないとしても、貧乏で病気になることを喜びだと思う、精神状態にはなりたくない。エホバの証人の精神状態は明らかに不健康。

よってエホバの証人には近づかない方が良いし、現役エホバの証人は、少なくともエホバの証人をやめないと健康には近づけない。

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