※街頭で布教中のエホバの証人の顔写真をSNSで晒す件

街頭布教中のエホバの証人の顔写真を晒すのはあり?

街頭でカート布教中のエホバの証人の顔出し写真がSNSなどに投稿される件。

肖像権だとか個人情報保護だとか、晒されて可哀想という感情論、晒されているのが身内だと目も当てられない、不愉快なので見たくない、と言った諸々の理由で顔出しはNGかと思っていたのだが・・・。

ふと、別に良いのかもと思ったり。というわけで考えてみた。

顔を晒されるのが嫌だと言うのなら、公共の場に立つのを止めれば良い。それでも立ちたいのならお面でも被ればいい。自ら顔面オープンにしてるんだし、それを晒されたところでという話。法律的にはクリアなのかも。

逆に言うと駅前の写真を撮って、アップしたい人とかもいるわけで、勝手に堂々と写り込んでいる方が悪い。というか邪魔。演説中の政治家の顔写真にモザイクかけたりしないよね。

そもそも、そのエホバの証人活動が有害なんだっての。糾弾されてしかるべき。

エホバの証人という宗教に対して1番許せないことは?

街頭布教中のエホバの証人の顔写真を晒すのはNG?

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カルト宗教2世信者の経由地と現在地、十人十色の問題

「親棄て」という荒療治

昨日の記事で、カルト宗教2世が抱える共通的な地盤に

  • 親を裏切る感覚
  • 親に対する情
  • 罪の感覚

があると書いた。根っこは似ていても、その後のルートが異なるため、カルト宗教2世の経由地、現在地が大きく異なる。その都度、その都度の選択が異なった結果、たどる道と現在地が異なる。

どれが正解というものでもなく、すべては本人が決めたこと。もしくは決めなかったこと。

たとえば、親を裏切るという感覚を容赦しきれずにいる人。この人はいまだにカルト宗教信者のままでいるかも知れない。

私は親を裏切るという思いに苦しみながらも、親を捨てる決断をした。親に対する情を捨てようとした。これができない人は、親ゆえに仮面カルト宗教信者であることを余儀なくされ、現在進行形で苦しみ続けている。

親であっても別の人間、他人。であれば、行動や思想に制限をかけてくる親は捨てても構わない、と私は思う。

カルト親に粘り強く接して変心に誘導するという姿勢も賞賛されるべきなのだろうが、

我が家の場合は「親棄て」が一種のカルト治療となった。私は親を捨てるつもりで、エホバの証人をやめた。すると、親の方が「捨ててないでー」と妥協する形になり、両親もエホバの証人をやめた。

こう上手くいかなくとも、親を捨てる決断をしているので、親が歩み寄らなければ、そのまま親を切れば良いと思う。親の人生でなく自分の人生なのだから。ここまで、情を捨てきれない人はまた違った現在地にいるのだろう。

カルト宗教2世問題は、十人十色なので

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誰にも分って貰えない、カルト宗教2世だからこそ・・・

誰にも分って貰えない、カルト宗教2世問題だけど・・・

AmazonのKindle『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』から。

「宗教に対して1番許せない事は?」の質問。対談形式なので話が逸れていく。宗教2世の悩みについて

宗教と縁のない普通の家庭で育った人には一生理解できない、分からない悩み

との発言。たしかに、家庭に宗教問題なんか抱えてない人のほうが圧倒的に多くて、宗教的マイノリティが理解されるのは難しい。一定の理解を示す人がいても、圧倒的共感や完全な理解など得られるはずがない。

ところが、それは誰だって同じ。自分たち宗教2世だって、全く別な問題を抱える人のことなど理解できるはずがない。人は実体験したこと以外は想像するしかない。

誰だって悲しいことや辛いこと、人に言えないことの一つや二つあると、「想像」してみる。すると、自分のエホバの証人2世という恥さらしな出自だって、もしかすると、自分だけが抱えた辛さではない、と思えてくる。

誰にも分かって貰えなくても、違う問題で同じ不理解に苦しむ人がいると考えれば、辛いのは自分だけじゃないと前向きになれる。そして、宗教2世という問題を抱えた人たちは、自分が抱える問題ゆえに他人に優しくなれる。他人に対する不理解ゆえに攻撃したり、苦しめたりしないように、自分の境遇から学ぶことができる。

もちろん、宗教2世どうしであれば、抱える問題に対する共感度や理解度は上がる。ところが、抱える問題にも強弱あり、回復度も人さまざま。理解して貰える量を過剰に見積もると、失望することにもなりかねない。

人は自分のことですら、よく理解していない。ましてや他人のことなど理解できるはずがない。完全に分かり合うことなどない。

エホバの証人という宗教に対して1番許せないことは?

宗教2世被害者の現在地、経由地

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家族を不幸にするカルト、神と聖書のあいだに介在するカルト

家族を不幸にする宗教、エホバの証人

AmazonのKindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』。「宗教に対して1番許せない事は?」の質問。

本書内の対談で出てきた意見

宗教によって子供が不幸にされてるのに「幸せ」について語るな!と言いたい

エホバの証人の場合も、家族持ちの信者の入り口は家庭の幸福・子どもの教育をネタにしたものが多い。エホバの証人はあなたの家族生活を幸福なものにしないのだが、勧誘する時は逆、さらにはエホバの証人にならないと不幸になる、というような物言いをする。

輸血拒否で不毛に死んだり、献身してすべてをエホバの証人組織に捧げることのどこが家族生活を幸福にするのか、詳しく説明して欲しいのだが。

脱会した者は排斥と称し、家族でも最低限の接触しか許さない。それのどこが家族の幸福?家族よりも信者間の結びつきを優先させる。端的にエホバの証人は家族を不幸にする宗教。

神と聖書のあいだに

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エホバの証人という宗教に対して1番許せないことは?

騙しと搾取のカルト宗教は許せない

AmazonのKindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』から。

質問その2「宗教に対して1番許せない事は?」

宗教が許せない、というと語弊があり、カルト宗教が許せないだけ。

カルト宗教が許せないのは広義には「信者を騙しているところ」、個人的には「屈辱の日々を送らされたこと」。

果たして伝統的な神社や寺院が参拝者を騙していないかと言えば・・・騙してない。拝んで賽銭入れたからって「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」とは決して言わない。

エホバの証人は簡単に言うよね。大ウソを。「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」って。

カルトの許せないところは「信者を騙しているところ」。これだけで良さそうだけど、もうちょっと補足すると

「信者を騙して人生そのものを搾取するところ」

普通の神社や寺院では献金破産することもないし、宗教活動にすべてを捧げるために仕事を辞めろとは言わない。逆に「ちゃんと働きなされ」とアドバイスしてくれるだろう。

神より大事なスマートフォン、神は博物館にでも飾っておけばいい

エホバの証人組織に対する個人的な恨み

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カルトによる宗教虐待、老若男女問わず救済対象とすべき

宗教虐待を受ける大人のカルト1世信者

カルトによる宗教虐待

AmazonのKindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』より。

読んでいて知ったことだが、

スケベな教祖→アボチ〇コという意味

らしく。以前から「アボチ〇コ」って何だろうと思っていたのが解決したのだが、実は特にひねりもなにも無くそのまま。本家もビックリの品の無いネットスラング。

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エホバの証人(JW)が暴走しないという、平和ボケ

カルトを擁護することの問題その2

昨日の記事でカルトを擁護することの問題その1として、愚かな者が騙されるのを促進していると書いた。「信教の自由」が保障されているからと、愚かな人々が、人生そのものを搾取されるのを見過ごしている。カルトを擁護する者は、その搾取活動を促進している。

とはいえ、「信教の自由」は憲法で規定されているから、という反論。それが浅はか。弱者をむさぼり喰うカルトに自由は与えるべきではない。

また、騙されていることに気付きもしない人々が享受している自由は、「信教の自由」のみ。その「信教の自由」のせいで精神的に束縛を受け、人生そのものの自由選択権を放棄させられている。

エホバの証人が輸血を拒否するために命まで投げ出すことがそれを証明している。基本的人権は「信教の自由」だけじゃないんだよ。

カルトにまで「信教の自由」が与えられている現在の仕組みが異常。

本日は問題その2。問題その1と共通なのだが、カルト信者は騙されているというのが前提。

カルト教理が真実であれば、存在自体が容認されるべきではない。エホバの証人の祈りが国家転覆を成し遂げるのであれば、祈らせるべきではない。

エホバの証人がどれだけ祈ろうが、彼らの待つハルマゲドンは起こらない。よって、エホバの証人はただ妄想を抱くだけ人畜無害の愚か者ということで「信教の自由」の建前のもと放置されている。

ここで2つ目の問題。果たしてエホバの証人はただの愚か者集団で人畜無害なのか?

カルトの暴走に先に手を打て

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カルトを擁護する者の罪、愚かな者が騙されるのを促進している

カルトを擁護することの問題その1

昨日の記事で書いた信教の自由を停止するべきカルト宗教の選別基準。それは教理が社会規範に照らして許されるかどうかというもの。

エホバの証人のハルマゲドンで国家転覆、統一教会の日本人総奴隷化計画(多分・・・)。どちらも社会として到底認められるわけがない。

であるのに、こういったカルトでさえ信者が信じるのは信教の自由だという意見がある。このぱっと見リベラルの一見バランスのとれているように見える考え方には2つ問題がある。

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信教の自由を停止するべきカルト宗教の選別方法とは?

カルト宗教に信教の自由が必要ない理由

Amazonのkindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』から。

対談の中で

信者の信仰の自由も尊重したい

という意見が出ている。元2世信者の被害者から出た意見だが、私はこの意見には反対。

現在の西側諸国の仕組みが、たまたま信仰にまで自由が認められているというだけ。その過剰な自由の行きすぎで、私のようなカルト宗教2世信者の人生が汚染されている。

宗教なんてあっても無くてもどうでも良いモノに、自由をむりやり与える必要などない。新宗教の一切を禁止してもいいくらい。ここまで過激でなくともカルト宗教の類に自由は必要ない、というのが私の意見。

カルトの基準だが、人権侵害しているとかマインドコントロールしているとか高額の寄付があるとか死亡者が出ているとか、小難しいことを考えなくても簡単な基準がある。

該当宗教の教理が社会として認められるか否か?社会が到底認め得ないモノを教理としているのなら、カルト、もしくは危険宗教に認定し解散、活動も禁じる。

エホバの証人の場合、ハルマゲドンが来て国家転覆されることになっている。そんなことは到底認められないのだから、当然、組織体としても存続を許すべきではない。

信教の自由で国家が覆されたらたまったものではない。カルト信者の信教の自由より、国民の安全を優先すべき。

統一教会の場合は日本人は韓国人に謝意を示すために奴隷になれみたいな教理で(多分・・・)、そんな話も筋が通らない。国民一人一人が謝意を示すために破産するなんてバカげた話は認めるわけにはいかないので、それを是とする組織の存続を許す必要はない。

カルトの見極め方と防御方法

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エホバの証人という盲信者、あなたは山上容疑者をどう思うか?

エホバの証人という盲信者

Amazonのkindle Unlimitedだと無料(2024/1現在)なので読み始めた一冊『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』

いろいろなカルト宗教の元2世被害者が集まって対談している。LINEのチャットが元になっており雑多な記述になっている。元エホバの証人も参加。その元エホバの証人の自己紹介で、現役信者である母親が

孫と会いたくもない

ようだと話している。

孫と会いたくない人って世の中にいるんだという驚きが率直な感想。「現役エホバの証人を孫に会わせたくない」というなら1000%同意するのだが、自ら「孫に会いたくない」というのは、さすがのカルト信者。

この実例が証明しているように、エホバの証人はあなたの家族生活を幸福なものにしない。エホバの証人が「家族の幸せガー」とか言っているのは嘘偽り・大げさ紛らわしい発言で、エホバの証人は家族を不和にするカルト。

創価学会や霊波之光が身内にいる人が家族・親族を

盲信者

と紹介している。うまい表現で、今後使わせて欲しいくらい。カルト信者が抱いているのは信仰ではなく妄信仰。

カルトを優先するために、破産したり、孫に会えなかったり。もはや何のために生きているのか、何のために宗教をやっているのか意味不明。そんな絶賛迷子人生なのに「エホバガー、教祖ガ―」とやっている。

なぜ、人生の価値を圧倒的に損ねているのか?客観的に見て不幸ではないのか?小学生でも気付ける自分の迷子状態に気付けない。自身の宗教関連問題については盲目。宗教中心に生きているのだから、人生全般においてほぼ盲目。カルトしか見えていない。まさに盲信者。

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