宗教に賭けて、ジャンプ
『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」から。
宗教という道について。
ある宗教に関心をもつ。次々と教義を理解していく。矛盾はないか、しっくりこないところはないか。理論的にどんどん詰めていくと、ある究極的な一点で、人は先に進めなくなる。その先に進むためには、もはや跳ぶしかないのだ。宗教が”賭け”であると論じたのは、一体どこのだれだったろう
ここで跳ぶと大概の場合、賭けには敗けるし、人生そのものを棒に振ることになる。特にエホバの証人の場合は、この無謀な賭けに勝ちの目が出ることはない。
考えるのをやめた安直な選択の末路。宗教に賭けて跳ぶなんてのは、愚の骨頂。現実逃避に過ぎない。
考えに考え抜いて、立場の違う様々な人に意見を聞いて、そしてさらに考え抜いて、家族や利害関係者で納得し合えるまで徹底的に議論する。その上で自分で考え抜いて出した結論に賭ける。人生はこうあるべき。
思考の途中で、なぜか片方に全人生を賭けるなんて無謀をするから、破滅が待っている。
エホバの証人の輸血拒否は生命に対する冒涜、生きて償わせるエホバの証人の穢れ
Continue reading “家族まるっと入信するようゴリゴリに勧めるエホバの証人、なのに・・・”