『宗教2世』が、「宗教の残響」から自由になるには?

エホバの証人的価値観という「宗教の残響」

『宗教2世』、Session2-5。宗教2世に対するアンケート。教団内での性的マイノリティに関する否定的指導の有無を問う。

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本調査では

脱会後も宗教的価値が残り続けることを、「宗教の残響」と名付け

て、調査している。エホバの証人や旧統一教会という自称キリスト教系の2世に「宗教の残響」があるという結果に。

元エホバの証人2世である私も、「宗教の残響」の影響を受けた。

脱会後もしばらくは、神社や寺への参拝の際に、謎の居心地の悪さを感じた。今では全くそんなことはなくて、寺社仏閣が大好きなのだが。

献血の際に、何ともいえない罪深さを感じたりもした。もはや20年近く献血に行っていないのだが、恐らく今では何の罪悪感もない気がする。

しかし、最も強く「宗教の残響」があったのは、エホバの証人らしくなく生きようとしたこと。

私はエホバの証人の2世信者である頃から、エホバの証人や教理、組織体制、すべてが嫌いだった。今でも。近年は、信者個人を嫌うのは筋違いと、大人な考え方をできるようにはなったのだが。

脱会直後の14才は、とにかくエホバの証人に関係する何もかもが嫌いで、反エホバの証人的生き方をすることに全力を尽くした。

エホバの証人の貼りついたような笑顔だったり、生真面目さだったり、そういったモノを全否定。いかにエホバの証人らしくなく生きるかということだけを考えていた。

つまり、全力でエホバの証人を否定することで、思いっきりエホバの証人という「宗教の残響」に縛られていた。

自分がどうしたいか?どうすべきか?でなく、エホバの証人だったらこうはしないな、という方へ流されていただけ。エホバの証人的価値観でモノを測っている最悪な状態。モノサシが間違っているので、どう進んでも道を踏みはずす。

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「宗教の残響」から自由になるには?

「宗教の残響」から自由になったのは、以下の3つが理由。

  1. 時の経過
  2. 洗脳が解けたこと
  3. きちんとモノゴトを考えるようになったこと

源泉は宗教的理由だが、今では習慣的に避けるようになっていること。これは時の経過が癒す。神社に違和感があったとしても、毎日参拝すれば、1ヶ月も経てばだいぶ慣れるだろう。1年続ければ、新しい習慣になる。

2つ目、洗脳が解ければ、罪悪感は消える。罪悪感の根源は、存在もしない神に対するモノ。神がいるという洗脳が解ければ、罪悪感はきれいさっぱり消える。

宗教2世を苦しめるような宗教が定義する、神はいない。子どもを苦しめてウハウハしてる神なんて存在しないって。

3つ目、きちんとモノゴトを考えるようになったこと。これは洗脳が解けていないと無理。

私の場合は、深くモノゴトを考えない傾向というか、これも習慣なのかも知れないが、これが直ったことで、反エホバにこだわることの無意味さ、危険度に気付いた。しっかりモノゴトを考えた結果。

エホバの証人のようなバカバカしいカルトだと、一挙手一投足まで縛られ規定される。行動する前に考える必要がないので楽。脳のエネルギーを消費しない。この悪癖を引きずっていたのが、反エホバ的生き方。

エホバの証人だったらこうしないな、という反射反応で行動を決定できる。これも考えなくて良いので楽。癖になる。

私がこの悪癖から抜け出せたのは、痛い目にあって高い授業料を払って、多少は過去を顧みるようになったから。あとは、このブログを書いて、否が応でも考えをまとめる機会が出来たから。他には時の経過とも重なるのだが、年齢を重ねたというのもあるだろうか。


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