責任を転嫁する癖が救いに?エホバの証人からの脱会体験

エホバの証人2世を救う、「自分の責任ではない」と思うこと

週刊東洋経済2023/6/10号より。エホバの証人の特集ページも見開きで。

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宗教2世支援団体「スノードロップ」代表の夏野氏の言

大人になるにつれて、自分がされてきたことの重大さに気づいた。虐待をされたことによる心身の症状が今も続いている。普通に生きることにも体力が要る。ただ、自分の調子が悪くなったのは、自分の責任ではないと思えるようになった。苦しんでいる人がいたら、自分の責任ではないと思ってほしい

私も一応は虐待を受けて育ったのだが、14才の脱会以降は心身ともにすこぶる健康で、エホバの証人という宗教による後遺症はない。

私は、20才を過ぎるまでハルマゲドンを信じていたおバカさんだったのだが、精神への悪影響はそれくらい。体の不調はない。一度、円形脱毛症になったことがあるが、それは自分の行動で招いた運転免許取り消しになったとき。宗教は直接心身の不調に関係ない。

強靭な心身だからなのか、もしくは鈍感だからなのかと思っていたが、この「自分の責任ではない」と思っていたことが関係しているからなのではないかと考えた。

エホバの証人という劣悪泥沼環境に14年も浸かったのは私のせいではない。保護者である両親が騙されたせい。最後に父親の背中を押してカルトに堕としたのは私なのだが、物心つくかつかないかの子どもだった私に責任はない。

元エホバの証人(JW)2世、不吉な薄暗い部屋での最初の記憶

脱会するときに、両親を裏切る良心の呵責のようなモノをうっかり感じたが、そのときもオレは悪くないと思っていた。悪いのは、ハルマゲドンとか計画している神エホバが悪い。好きに生きたいオレを妨害する神エホバが悪いんだ!と責任を天に転嫁していた。

そのあと、いろんな悪いことをしてきたけど、自分を責めたりしたことはない。

前述の運転免許喪失のときは、さすがに反省した。しかし、それは自身の行動に対して責任を感じ反省したのであって、無謀運転の行動の源泉となった自身の命の軽視傾向は私の責任ではない。エホバの証人によって誤った価値観を植え付けられていたせいだ。

ハルマゲドンでやけっクソのエホバの証人(JW)2世

というふうに、いたるところで責任を転嫁する癖が、私自身を自責の沼にハマることから救ってきた。

行動には責任をとればいいが、行動の理由に責任を感じる必要はない。子どもの頃からエホバの証人基準という最低最悪な価値観を植え付けられたら、そりゃ無茶苦茶な考え方をするようになる。仕方のないこと。責任を感じず、少しずつ修正していけばいい。


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