ものみの塔のクリスマス禁止の無根拠を論破する、馬小屋は寒いのか?

JWはクリスマスも禁止

他の宗教の行事すべてを禁止するものみの塔協会

日本の小学校ではクリスマスから節分まで、あらゆるイベントが行われる。最近ではハロウィンも定着しつつある。

穿った見方をすると、消費活動を促すための販売戦略が公共の教育機関にまで伝染しているだけ。好意的な視点で捉えると、仏教の伝来を認めた日本人の異文化への寛容さの証しであるとも。単純に言えば、子供たちの楽しみ。

しかし、ものみの塔教会は他の宗教を認めておらず、冗談のようなイベントでもエホバの証人の子供は参加することが許されない。エホバの証人の子供は、ほんのちょっとでも他の宗教色のイベントは禁止。

エホバの証人の子供たちは、そういった季節毎の行事が行われる度に、先生にその行事に参加出来ない理由を説明しなければならない。そして、行事を見学するという屈辱的な時間を送る。

同級生が行事に参加したり、楽しみにしているのは羨ましい。しかし、それ以上に嫌だったことがある。行事に参加しない理由を同級生に聞かれたり、見学している途中で話しかけられたり、奇異の視線を浴びるのが私にとって何より屈辱的だった。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人の子どもの日常は生き地獄

エホバの証人の子供がクリスマスを禁止されている理由

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恥神エホバ、本当の自分とエホバの証人2世である自分

本来の自分とJWである自分

エホバの証人に試練を課しているのは「ものみの塔協会」

1993年1月にアメリカ合衆国の大統領が改選された。私は小学校6年生だったのだが、大統領選挙のニュースに戦々恐々としていた。

当時、エホバの証人の世界本部はニューヨークのブルックリンにあった。大統領の改選によりエホバの証人への迫害が始まるのではないか。そんなことを子どもながらに恐れていたのを思い出す。被害妄想も甚だしい。

私は生まれながらのエホバの証人信者だった。親ゆえのいわゆる宗教2世。

私は、エホバの証人のことを世間から爪弾きにされている弱い存在であると感じていた。私は信仰を守るというより、無難に何事も無く生きていければと願っている子どもだった。

しかし、エホバの証人の子どもにとってそれは許されない。エホバの証人2世には、簡単に乗り越えられるのだが、自尊心は極めて傷つくという微妙な試練が連続してやって来る。

信仰を試すような機会が、あえてものみの塔の教理には含まれている。それを乗り越えることでエホバの証人組織への未練と執着が強まり、ますます脱会しにくくなる

これがエホバの証人が組織依存してしまう原因の一つ。自ら招いた微妙な試練を、苦労して乗り越える。試練を与えてくると思い込んでいる世界を敵視する。そして、教団の中に逃げ込む。

考えてみれば、信教の自由と個人の尊厳が保障されている日本では、エホバの証人に与えられる試練はそれほど困難なものではない。逆に難しいのは、エホバの証人を思い切ってやめること。

これは深いマインドコントロール状態に無い場合でも同じ。エホバの証人の教理や組織の方針に疑問を感じていても、今までに払った犠牲と時間が惜しまれる。教団外にまともな人間関係を築いてこなかったことも影響する。

変化を恐れるエホバの証人たちは、生ぬるい馴れ合いのエホバの証人の王国会館に通い続けてしまう。

信者たちを組織に縛り付けるために、ものみの塔は、あえてエホバの証人にしょうもない試練を課している。

エホバの証人の王国会館という虚構の世界の架空の友人

エホバの証人の王国会館に流行る病

恥の象徴であるエホバ

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家族を崩壊させるものみの塔協会、バプテスマとは?排斥とは?

家族を引き裂くエホバの証人

エホバの証人2世の高校デビュー

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人というカルト宗教の2世信者だった。2世信者とは、親の1世信者によって信仰を強制される子供のこと。エホバの証人は、日本ではものみの塔聖書冊子協会という名称でも知られている。

私は中学2年生のときにエホバの証人をやめた。狂信的なエホバの証人だった両親に、「もう集会にも行かず、伝道もしない」と告げた。その決断をするのに悩み抜いた。脱会宣言をした夜は、心が引き裂かれるような思いだった。

エホバの証人は週に2回から3回、王国会館と呼ばれる集会所などに集まる。これが集会。伝道というのは布教活動のことで、文字通りに家から家のブザーの鳴らして周る。これらの活動を熱心に行うことで、日常生活に多大な支障がでる。

私のエホバの証人脱会は、小学校の高学年頃から願い続け、ようやく14才にして叶った。ものみの塔の教義から自由になり、一般女性と付き合いまくるという明るい将来を思い描き続けて、私はエホバの証人の子供という暗黒時代を乗り切った。

私はエホバの証人2世として、信仰を証言することを強要された。小学校・中学校の先生・同級生に「私はエホバの証人で、信仰上の理由でクリスマス会に参加できません」「給食の前に合掌しません」と。これは尋常でない屈辱であり苦痛。

エホバへの信仰を捨てた私は高校に進学する。私の高校生活は、初めからエホバの証人であることを誰にも証言しなくて良かった。地元から離れた高校を選んだので、完全な高校デビューを果たした。

高校デビューした私に対して、未だエホバの証人信者だった両親は、それまでと同様に接してくれた。私が成人して家を出るまで、経済的にも養ってくれた。エホバの証人には必要のないとされている短大卒となる高等教育まで受けさせて貰う。ほぼ私の希望通りの進路を選ばせてくれた。

これは、私が一人っ子で両親から深く愛されていたことが一因なのかも知れない。今となっては一家離散してしまったので確かめようがない。しかし、最も大きな理由は、私がバプテスマを受けてものみの塔に献身した正式なエホバの証人になっていなかったこと。

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時間のかかるエホバの証人(JW)2世の解放、つきまとうマインドコントロール

JWからの完全解放への道のりは険しい

14才、エホバからの解放

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人(JW)というカルト宗教の信者だった。両親が熱心な信者だったため、子供の私も当然のようにエホバの証人というカルトを強制された。いわゆる2世信者。

エホバの証人2世の日常生活は、大きく自由を制限される。

七夕やクリスマスといった宗教臭のする行事はすべて禁止。毎日の給食の「いただきます」「ごちそうさま」の合掌は出来ない。代わりにキリスト教ポーズで祈りを捧げないといけない。完全な変態。

エホバの証人の集会が平日の夜に2回、土日にもエホバの証人の集会と布教活動があり、学校のクラブ活動にはほとんど参加出来ない。
※2022年追記最近では、平日の夜の集会は週1回に減少した様子。

エホバの証人の子供は、学校の先生にこういった込み入った事情を自ら告げなければならない。信仰の証言と言われ、私にとってこれは大きなストレスだった。

私は小学校1年生以降、進級の都度、担任が変わった。4月になると、エホバの証人の信仰の証言を毎回しなければならなかった。

中学2年生から3年生に進級する時にだけ、担任の先生が変わらなかった。しかし、私は中学2年生の秋頃に、エホバの証人の信仰を捨てていたので、これは逆にやりにくかった。

「今年から何でもやります」という訳にもいかない。急にクラブ活動に真面目に参加しだすというのも今さらという感じ。仕方が無いので、都合の良いところだけ未だにエホバの証人であるような顔をしていた。

14才、中学3年生の給食の時に、私が合掌していたかどうかはもう覚えていない。ただ、

毎度の給食の前に、両手の両指を組み合わせたキリスト教的祈りのポーズをとるという、馬鹿馬鹿しい行いからはようやく解放されていた。

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子供の心の底にまで染み付くエホバの証人の教義

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エホバの証人(JW)の禁止事項まとめ~過酷なJW2世の子供の学校生活

山のような禁止事項を課されるJWの子ども

エホバの証人2世の学校生活、苦痛の日々

エホバの証人の2世信者(親の宗教を強制される子供)は、学校の給食の前に合掌のポーズをとることが禁止されている。これが私にとっては大問題だった。小学生から中学生に至るまで、全ての給食の時間が私にとっては苦痛だった。

毎日毎日、給食の昼が来るたびに憂鬱な気分になる。そんな学校生活がエホバの証人2世の日常。クラス全員が手を合わせて、「いただきます」という時に、私だけ両手を握り合わせた祈りのポーズをとらなければならない。

悪目立ちして、突っ込んでくれ、いじってくれ、イジメてくれと自ら火に油を注いでいるようなモノ。クラスメイトに好奇の目で見られることがたまらなく嫌で、辛かった。

エホバの証人の禁令下の子どもの日常

他者の視線と変化を恐れるエホバの証人2世

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合掌しないエホバの証人の祈り方から伺えるものみの塔の二面性

結局適当なJW教義

エホバの証人2世が給食の前に手を合わせない理由

日本の学校での給食の前、両手を合わせる合掌のポーズ。これは、エホバの証人には許されてはいない。理由は、エホバの証人が異教とみなす仏教や日本古来の神々への祈りのポーズを連想させるから。

日本の食卓の「いただきます」は、ありとあらゆるものへの大雑把な感謝を簡素に示したもの。機能性と様式美を備えた風土に根ざした祈り。しかし、こういったものを良しとする柔軟さをエホバの証人は持ち合わせていない。

エホバの証人の祈り方

エホバの証人の祈り方は以下のように決まっている。1人で単独で祈る場合や衆目の視線があるような場所では、祈りの発声はしなくても良いことになっている。学校の給食の前などもそのパターン。

しかし、こういった場合でも両手の両指を交互に握り合わせた祈りのポーズだけはしなければならない。逆に集会所など、信者のみで集まった場合や、家庭内で代表者が祈る場合は発声して祈らなければならない。

エホバの証人の教義はこの微妙なラインをついてくる。イスラム教徒のように時間がくれば、床に膝まずいて祈らなければならないというほど過激ではない。しかし、その一方で食堂に集まった全校生徒と同じように合掌のポーズをとることは許されない。

ご都合主義のものみの塔

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天には絶対に届かず怨念と化す、エホバの証人(JW)の祈り

エホバの証人の祈りは怨念と化す

不毛なエホバの証人(JW)の祈り

エホバの証人(JW)が自宅で祈りを捧げる場合、父親などの代表者が声に出して行う。タイミングは食事の前や、聖書研究と呼ばれるものみの塔の宗教本の勉強の前後など。

信者の個人宅で開かれる集会の際には賛美歌の合唱は行われないが、この祈りだけはしっかり捧げられる。日本家屋で正座した集団が、祈りの最後に声を合わせて「アーメン」。

冗談も大概にして欲しいのだが、本人たちは至って大真面目。

このとてつもなく長い祈りの間、聞いている側は目を閉じて、合わせた両手の指を組み合わせたポーズで神妙な顔つきをしていなければならない。不毛。

エホバの証人が盲信する神エホバなど存在しないので、虚空に向かって無意味な言葉の羅列を投げかけているだけ。その虚しさは、エホバの証人の空虚な人生そのもの。

偽神「エホバ」と偽りの塔「ものみの塔」

原始的な洗脳手法、エホバの証人の賛美の歌と祈り

無意味なエホバへの祈りは怨念と化す

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原始的なマインドコントロール手法、エホバの証人の賛美の歌と祈り

JWの祈りによるマインドコントロール

エホバの証人の賛美の歌とは

エホバの証人の宗教活動の特徴3つ。

  1. 信者が家から家に布教で歩き回る。テレビなどでコントに使われているアレ。
  2. 週に2~3回、集会と称して信者が集まる。
  3. 特殊信条を絶対厳守。輸血拒否だとか、各種他の宗教行事や選挙の拒否。

集会の開催は私が連行されていた頃は、週3だったのが週2へと減少。
※2022年現在、コロナ禍のため集会活動はZoom、布教活動はLINEや手紙などでも行われるようになっている。
※2023年追記、家から家の布教も停滞気味?少なくとも我が家には、ここ5年は来ていない。今ならウエルカムなんだが・・・エホバの証人は余計な時にしかこない。きっとやっと、来たと思ったら、忙しいときで、相手できないんだろうな・・・。

そのうちに、カルト臭を拭おうとして、特殊信条を取っ払って、輸血OKとか言い出しそうなのだが。終末思想で信者の恐怖心を煽っている限り、この教団は信者の自由を奪うカルトなので、要警戒。
※2023年追記、案の定、輸血は信者個人の自由だとか言い出し始めた。輸血したら自動的にエホバの証人を自ら断絶したことになるだけで、教団側から排斥したりはしないという理屈らしい。
とはいえ、終末思想で恐怖心を仕込んで、輸血したら自ら滅びの道を選ぶことだと脅している。それを信者の自由だと言うのは、やり口が汚すぎる。

私は、30年近く前になるが、エホバの証人であることを親に強制されていた。そして、未だにその傷を引きずっている。そして今、エホバの証人の集会に連行されていた頃の記憶を掘り起こし、このカルトの危険について警鐘を鳴らしている。

今回は、エホバの証人の集会で歌われる賛美歌と祈りについて。

エホバの証人の集会とは?日程・曜日・服装などまとめ

エホバの証人には、「エホバの証人の王国会館」という専用の集会所がある。その王国会館で集会が行われるときには、盛大に「賛美の歌」と呼ばれる賛美歌が歌われる。個人の家で集会が開催される場合は、さすがに賛美歌は歌わない。

賛美歌はたしか100曲ほどもあって、独自の賛美歌の本まで出版されている。賛美歌の伴奏のカセットテープなども製作されており、それらを含めた宗教本にまつわる寄付金はエホバの証人の収入源となっている。

現在ではCD、さらにはデータ化されているのかも知れない。集会の始まりにはそのカセットテープを流す係の人がいて、賛美歌を全員で合唱する。

マインドコントロールを深める長い祈りの時間

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自宅をものみの塔に献上するエホバの証人、マインドコントロールの完成

自宅を献上するJW

エホバの証人の会衆と群れとは

エホバの証人は、地域ごとに会衆という単位に分割されている。この会衆で宗教法人登録しているケースが多く(ほとんどこのケースなのか?)、国内では、それらの会衆をものみの塔聖書冊子協会が管理・統括している。

会衆の成員は最大100名程度。信者の増減に伴い、会衆は分割や合併を繰り返す。各会衆には○○会衆と大まかな地域名があてはめられている。

会衆の下に群れという単位もある。○○の群れという、もっと小さな地域名称で呼ばれている。

群れというのはエホバの証人が自身のことを羊に例えているから。対照的な羊と山羊、羊飼いに従順で忠実な羊をエホバの証人に、ちょっと自由気ままで攻撃的な山羊を信者でない一般の人々に例えている。

会衆や群れの単位で、集会と呼ばれるエホバの証人の集まりが開催される。

私がエホバの証人の集会に参加させられていた1990年代は、平日の夜に週2回集会が開かれていた。そのうちの1回は群れ単位での開催だった。

エホバの証人の集会は、基本的には王国会館という集会所で行われる。王国会館1つに対して基本は1つの会衆だが、会衆が複数割り振られていることもある。都市部など会衆が分割された場合は、元々の王国会館を複数の会衆で共有することになる。

群れ単位での集会は、王国会館では場所がまかなえないので、信者の個人宅での集会開催となる。

私の家でも、群れの集会が開かれていた。毎週火曜の夜になると、車が何台も近所の路上に停められる。そして、葬式か何かかという尋常でない人数の信者が集まってくる。異様な光景が繰り広げられていた。

路上駐車は近所迷惑だし、周辺住民にとっては、夜遅くに集まって何をしているのか抜群の不信感。

母は、自宅で集会のある日は家の掃除など準備にかかりきり。

集会が終わっても、信者はなかなか帰らないので、小学生だった私も夜寝るのが23時をまわるのは普通、場合によっては日付をまたぐことも。

育ち盛りの小学生にとって不規則・寝不足な生活が良いはずがない。

エホバの証人の集会とは?日程・曜日・服装などまとめ

自宅までを教団に献上するようになったらおしまい

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エホバの証人(JW)の集会所、王国会館(KingdomHall)とは?

エホバの証人の王国会館とは?

エホバの証人の王国会館とは

エホバの証人が集まる集会は、王国会館というエホバの証人の集会場で行われる。王国会館は全国各地にくまなく建設され、よく目にする忌まわしい建物。英語のKingdom Hallを直訳したので、王国会館という奇妙な名前になったのだろう。

私はあのパステルカラーの王国会館を見ると、何とも言えない嫌な気分になる。簡素な造りのあの建物を見ると吐き気がする。羽を伸ばしに海外に行っていたとき、いきなり現地の王国会館が目に入ってきて、非常に不愉快な気分になった。

信者の無償の労働と寄付金で建設される王国会館

エホバの証人の王国会館は、信者の無給の労働と寄付金で建造されている。私が王国会館に連行されていた1990年代半ばには、専門的に王国会館の建設を行うチームがあった。

この建設チームに加え、一般信者も寄付金だけでなく、自分の時間を差し出して王国会館の建設を行う。ハンマーをもって釘を叩くところから、食事の手配まで様々。これらの活動は全て無給。

私も子供の頃、何度もこの王国会館の建設の手伝いをさせられた。自分が主に連行されていた王国会館だけでなく、近隣の会衆の王国会館の建設にも連行された。

会衆というのは地区毎のエホバの証人の集まりのことで、100人程度が限界で、それを超えると分割される。新しい王国会館が建てられる場合もあれば、都会で人口密度が高くなると、時間帯を分けて、一つの王国会館を複数会衆で使用する場合もある。

エホバの証人の記憶に刻まれる王国会館

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