エホバの証人に遭わないという幸運
インターネットで読めるエホバの証人解約資料。JW解約-エホバの証人の真理を検証する。第4弾の「神の経路と奴隷級」から。
矛盾する教義の項目より。ものみの塔の教義には「不義の復活」という概念がある。エホバの証人のことを知らないまま死ねば、この不義の復活にあてはまる。すると、きたる地上の楽園でよみがえることができる設定。
この項の本筋はこの不義の復活ではないのだが、念のため不義の復活に突っ込んでおく。エホバの証人に会わないまま死ねば、不義の復活が出来る。つまりはエホバの証人に遭遇しない方がラッキーということになる。
であれば、
何のためにエホバの証人たちは世界中に伝道しているのか?不義の復活を断ち切るために災厄をばら撒いているに等しい。
本当は、もっと別の意味でエホバの証人は災いをまき散らしているのだが。家族を崩壊させ、信者の心身を損なわせ、経済的困窮に追い込むという災厄。
エホバの証人の不義の復活の教理の矛盾
不義の復活について、私が疑問に思ったのは不義の復活の時代の範囲。エホバの証人に遭わず(会うでなく、もはや遭うがピッタシ)に死ねば、不義の復活ができるというのなら、過去にも遡りエホバの証人に遭遇していない人は全員復活してくることになる。
それこそ、卑弥呼とか織田信長なんかは絶対にエホバの証人に遭っていない。日本にこの忌々しい宗教が入ってきたのは、明石順三という人が灯台社という組織を作った時。この人は背教者としてものみの塔側からは処分されているのだが、少なくとも明石順三以前の日本人はエホバの証人に遭遇していない。
wikipediaによると明石順三が灯台社を結成したのは1926年、ちょうど大正の終わり、昭和元年にあたる。ということは、日本人はもれなく、卑弥呼以降明治天皇くらいの時代の人までは、不義の復活にあてはまることになる。
これだけの過去の人物が全員、不義の復活をしてきたら、狭い日本国土は人間だらけで溢れかえる。それに日本だけに留まる話じゃない。米国のインディアンとかも漏れなく復活してくる。地球がパンクする勢いで、不義の復活が成し遂げられる。
地球に人が溢れかえって食糧不足とかならまだマシ。おそらく世界はカオスになる。織田信長なんかは天下布武の続きを実現しようと、暴れ始めるだろうし、ちょっとしたSF映画の世界。
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エホバの証人の楽園はカオス
エホバの証人の復活は、もともとトンデモ教理なのでフィクション。現実でないのが、こう考えてみると理解できる。つじつまを合わせただけのファンタジー教理なので、真面目に相手しちゃダメ。明らかにおかしい。
反論として、そんな昔の人は不義の復活はしない。不義の復活は現代人だけにあてはまるとか、エホバの証人は言いそう。
では、それはなぜ?その設定になっている理由は?そもそも現代っていつから?現代人だけでもエホバの証人に遭ってない人が全員よみがえってくると相当な人数になりそうだが。
いずれにせよ、
完全完璧なエホバ様の世の中で、ありがたーい不義の復活というオプションサービスが、時代を超えて地球人全員に施されないのはおかしい。現代人だけが優遇されるというのは、完全無欠、公平なエホバ様のお裁きとは思えない。
すると、過去に遡って、縄文から明治時代までの日本人が全員よみがえることになる。エホバの証人の楽園は完全なカオス。
“エホバの証人の楽園はカオス、卑弥呼から明治天皇まで復活する!?” への1件の返信