ものみの塔という鳥かごの中の人生、未来に対して無意味な人生

投獄されるエホバの証人

『良心の危機』から。なかなか読み終わらない本書。分厚い本だとしおりの位置でどこまで読み進んだか分かるのだが、今回は電子書籍で読んでいるので外観からは不明。アプリ内で本を開く前に何%と出るので、確認してみるとまだ三分の一程度。

まだ折り返してもいないのに、ものみの塔の冗談じみた不義の数々が出てくる。ものみの塔と統治体のやっていることは茶番なのに、信者一人一人の人生にとっては悲劇に転換される。災厄を撒き散らすものみの塔。

私みたいに日本のエホバの証人2世だと、体罰を受けた、子供時代に自由を制限された、進路を狭められたというような親との関係が問題のメイン。その結果、現在の経済的困窮だったり、精神的な問題を抱えていたり、家族の問題があったり。

本書の5章後半から6章で取り上げられている話題は、エホバの証人と対政府の問題。エホバの証人信者として不合理なものみの塔の指針に従い投獄される話。

日本のエホバの証人は収監までされないので、マシだと言うつもりは一つもない。人は置かれた場所で、各自の問題と戦っている。それでも、しょうもないものみの塔の方針のせいで何年間も牢で過ごすというのは、やりきれない。想像しがたいものがある。

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『良心の危機』、エホバの証人(JW)の茶番の数々その1

『良心の危機』、エホバの証人(JW)の茶番の数々その2

ものみの塔という牢で過ごす無意味な人生

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『良心の危機』、エホバの証人(JW)の茶番の数々その2

一回ならOK、二回目からはNG

『良心の危機』、第5章「しきたりと律法主義」、この章でもエホバの証人という組織がいかに偽者か。茶番の数々が紹介されている。

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エホバの証人と血に関する話。血友病患者に投与される血液成分に関して、ものみの塔の認識は

一回ならば「薬の投与」と見なされるので構わないというものだった。しかし二回以上行うと、これはその血液成分を常に「食べて」いると見なされ、血を食することに関する聖書の戒めに触れるとされた

バカバカしい話で、一回も二回も生存のために必要ならば投与すればいい。盗みは一度だけならOKで、常習犯ならNGってわけがない。さすがのものみの塔もこの不条理に気づいたのか撤回、血液成分の注射は無制限OKに改変。

旧基準が適用されている間、二度目の成分注射を拒否している人がいたとしたら?こんな茶番につきあって命を落としていたことになる。甚だしい命の弄び。

ものみの塔は、この朝令暮改を大っぴらにはしない。自身の愚かさを宣伝することになるので。その愚かさのせいで、今にも二回目の成分注射を控えて死んでいく信者がいるかも知れないのに。

ものみの塔という悪の手先にならないために

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『良心の危機』、エホバの証人(JW)の茶番の数々その1

ものみの塔が聖なる場所って、冗談キツイぜ

『良心の危機』、第4章から第5章。エホバの証人という組織がいかに偽者か。茶番の数々が紹介されている。

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ちょっとしたことを取り上げ、それに象徴的な価値を持たせて、大いに意義深いことであるかのようにしてしまう

これは聖書中の「聖なる場所が正しい状態にされる」という預言に対して、ものみの塔の表決権が修正されたことをこじつけた一例。ものみの塔はこのようにして聖書を弄んでいる。

ものみの塔のようなカルトを捉えて「聖なる場所」とは冗談キツイ。ものみの塔が消滅したときこそ、この世界が正しい状態になる。

ものみの塔、思いつきの真理

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『ニュータイプの時代』、ものみの塔サバイバーの倫理観

反ものみの塔活動のモヤっとポイント

『ニュータイプの時代』、第4章の「ルールより自分の倫理観に従う」の部分で、今まで何となくモヤっとしていたことがスッキリ。

このブログを始めとした私の活動は反ものみの塔の意思で動いている。この世界に必要のないものみの塔を消滅させ、世界を正しい姿に戻したい。そのためにはエホバの証人の一人一人にはものみの塔を脱会、一般人に戻って貰う必要がある。

私のもやもやは、そこまでして良いのか?ということ。

信教の自由、基本的人権という盾の下、この国には人間がどこまでも愚かになる権利すら認められている。

人間がどこまでも愚かになる権利とは、輸血拒否して死んだり死なせたり、不毛な宗教活動に打ち込み公共の益を損ねたり、世界の終末とその後の永遠の命を妄想したり。

エホバの証人をゼロにするということはその権利を踏みにじることになる。私としては、それは全然構わないと考えている。人間がどこまでも愚かになる権利など認める必要がない。

とはいえ、法治国家のこの国で「思想、信教の自由が云々」とか「信じるものは否定するが信じることは否定しない」とか「個人が信じることで誰にも迷惑かけていない」などと言われると、それもそうかと。

単にものみの塔が目障りで、私怨でやっているという本音の一部は決してさらせない。勧誘したり、子供に強制したり、そもそもの時点でマインドコントロールされて騙されているんだから、信じるものが邪悪である以上は信じることすら否定する必要がある。程度の反論しかできず堂々巡り。

これがモヤッとポイント。ここを救ってくれたのが本書。

キングオブカルト、エホバの証人

ものみの塔聖書冊子協会に電凸した話の続き、体罰推奨協会

この国の未来をどうしたいか?カルトサバイバーの倫理観

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『てい少年と目ざめの霹靂』、エホバの証人のやめ方とは?

エホバの証人をやめる前には準備を入念に

てい少年シリーズ三部作。いつの間にか完結編の第三作目が出ていたので読む。AmazonのKindle Unlimitedだと無料で読める。

てい少年と目ざめの霹靂

第一部
『私はこれでカルトをやめました。~人生搾取されたけどまぁいっか~』

第二部
『てい少年と悪魔サタン』~姑息なものみの塔協会のやり口

前作を改めて読み返したわけではないので、あくまで記憶なのだが本作で伏線が回収され大団円となっている気がする。まるで晴天の霹靂を浴びたかのように、てい少年はカルト脱会を決意する。

少年の脳裏にこれまで体験してきた長老兄弟の偽善、保身、神に導かれていない証拠となる無数の出来事が走馬灯のように巡った。
その衝撃は、荒れ模様ではなかった空から、とてつもない雷が落ちたかのような衝撃であった・・・

「やめよう・・・」

という

目ざめの霹靂を身に受けた

こうしてカルト脱会。めでたしめでたしなのだが、普通のエホバの証人は覚醒の霹靂を受けて脱会したとしても、めでたしめでたしとはならないだろう。

少年はここに至るまでに紆余曲折流れに流されつつも、社会での生存手段と居場所、ついでに伴侶まで見つけている。

私の立場的には、全てのエホバの証人には今すぐ脱会して欲しい。とはいえ用意は周到にした方がいい。この少年のように。

エホバの証人脱会後の居場所を準備する

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家庭生活を幸福にすると言いながら、不幸になったら関与しないものみの塔

元エホバの証人2世のインタビュー記事が載った雑誌

週刊SPA!2022年8/2号に宗教2世問題が取り上げているというので読む。昨今の元首相銃撃事件騒動の影響。Kindle Unlimitedを契約している人はタダで読める(2024/1現在)。統一教会、エホバの証人、創価学会の2世信者のインタビュー記事が載っている。

元エホバの証人2世のインタビュー内容はよくある話で、元信者なら驚きもしない話。子どもの頃には自由を制限され、エホバの証人のおかげで一家離散というありがちな話。ごくごく一般的なエホバの証人のなれの果て。我が家もそうだったし。

こうした記事で、エホバの証人に対する世間の危険認知度があがるのは良いことではないかと。しかし、短い記事なので内容が微妙なのは否めない。記者の理解度の問題もあるかと。

カルト宗教の家庭が、狂気のモンスターを生む理由とは

エホバの証人の本質が世間に知れ渡るように・・・

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ものみの塔が許されるには3なし実現、さらに釈明と補償を連発

ものみの塔の改革に対する安易な期待

『良心の危機』第4章「内部動乱、そして改革」より。

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1976年のものみの塔組織の改革を目にした筆者はこう期待していた。ものみの塔が

権力格差がなくなって全体がいわば平らになり、独断的な見方を減らして穏健な方向に進み、もっとお互いの立場を思いやるような空気ができ、さらにはいつの日か、やたらに規則を作って人の生活を束縛して支配する権威主義的なやり方がなくなってくれれば良い

という淡い安易な期待。

ものみの塔がいい方向に行くはずがない。もとがインチキで偽者なのだから。真理などではないから。

「自身が真理、自身が唯一の」って言う奴は間違いなく偽者。自身の主張に対する唯一の真理は「自分は何か間違っているかも知れないし、同じようなことしている奴は他にもいるかも知れない」と認識すること。それが唯一の真理。

1975年、前年の預言ハズシの反省は皆無、一時自粛したのは組織の保身のため。ちと懲りただけ。人生を大きく損なった信者たちに対し悪びれるところが一切ない。ゆえにまた元の醜い状態に戻る。1975年の失敗の後の統治体は

ヨベルの千年期が来るとしてかなり喧伝された1975年が何事もなく過ぎてしまったことで自粛ムードが漂い、独断的な側面が目に見えて減った。決議の際も、さらに規律を押し付けたり、特定の行為を「排斥に当たる行為」と見なすことなどについてかなり注意するようになった

これも反省でなく、批判回避のため。

『ものみの塔の終焉』1975年狂想曲

根っこが腐っているものみの塔は改革してもムダ

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ものみの塔の権力抗争、地位にこだわるのではなく・・・

地位でなく、地位のもたらすものにこだわる

『良心の危機』第4章「内部動乱、そして改革」より。

ものみの塔協会の組織内部のしょうもない権力闘争。人の集まる所に権力や地位の争奪が起こるのは人の世の営みであり、ものみの塔という組織が単なる人間の一団体であることが良く分かる本章。

そして、一切の好ましいものをもたらさないカルトであることが明らかになる本章。

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筆者は権力抗争の元ととなる「地位」について以下のように述べている。筆者が一国でのものみの塔組織の最高責任者としての

責務を果たすにつけ、「地位」というものが常に気になり、その「地位」を守る必要も感じた。しかしいろいろあった末、地位にこだわっていると、人づき合いも楽しくないし、自分の生活も面白くなくなることがわかった。地位に絡んで生まれてくる対立や確執などもまったく肌に合わない。しばらくするうち、地位にこだわるのはやめてしまった。すると毎日がうんと楽しくなったし、それまでよりはるかに生産的かつ有益な結果につながった

ここで書かれている生産的・有益な結果が脱会前のエホバの証人活動に関わることなら大ひんしゅくなのだが。

ものみの塔内部で得られる地位など、この程度のもので実利が伴わない。経済的に恵まれる訳でもなく、世の中に対する生産的行動の実行権限が得られる訳でもなく。カルト信者に対する法王的権限が備わるだけ。ものみの塔組織での地位向上は、言わば悪事が極まるだけで無価値。

必要なのは地位にこだわることではなく、地位のもたらすものにこだわること。地位が与えてくれる決定権、無論それは社会的善に対する行動の決定権であるべき。そして地位のもたらす自由。経済的自由だったり精神的自由だったり。

実利を考えぬまま、地位にこだわるのを単純にやめるというのはエホバの証人的世捨て人的発想。

『良心の危機』、脚注にひっそりと隠された重大発表

自らラビになろうとする者

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ものみの塔の統治体発足の舞台裏、エホバの証人が知らない真実

ものみの塔会長だろうが統治体だろうがどうでも良いのだが・・・

『良心の危機』第3章「統治体」から。第4章の動乱に続く。

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1916年までのものみの塔協会の出版物は完全にラッセルの管轄下にあり、1942年まではラザフォード会長の管轄下にあった。同様に、ノアが会長だった頃エホバの証人に対して「霊的な食物」を用意し、かつ供給する権限は、二人から三人の人間の管轄下にあった

これらは

出版物の内容ばかりではない。世界中にいるエホバの証人の活動におけるあらゆる事柄が会長の権限下にあった。

こうなると、会長というより教祖と言った方がよく。しかし、建前は統治体という

献身してバプテスマを受けて油そそがれたエホバの民の事がらを管理する責任を引き受けた、油そそがれたクリスチャンの一団が確かに登場しました。

これがひとりの人間の支配する宗教組織ではなくて、霊によって油そそがれたクリスチャンで成る統治体

という架空の設定に近づけるべく、ものみの塔内で騒乱が起きるのだが、そんな話はどうでも良いのだが。ものみの塔会長の独裁であれ、統治体の集団統治であれ、いずれも偽者であることに変わりがないから。

エホバの証人の統治体、着ぐるみをまとった小粒っこ

エホバの証人は『統治体の証人』か『統治体教』に改名しよう

エホバの証人が知らない真実

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『良心の危機』、脚注にひっそりと隠された重大発表

大学で二年と独学、それで聖書の翻訳ができるのか

『良心の危機』第3章「統治体」より。

脚注にサラッと超重要なことが書いてあるので、拾っておく。私みたいに隅から隅まで読まないと気が済まない貧乏性でないと、読みこぼす恐れがあるよ・・・

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ものみの塔協会の製作した「新世界訳聖書」は、著者のおじにあたるフレッド・フランズが中心になって翻訳された。この部分の脚注より。

「新世界訳聖書」には

訳者の名前は記されておらず、「新世界訳委員会」の仕事であることになっている。この委員会には他にネイサン・ノア、アルバート・シュローダー、ジョージ・ギャンギャスがいた。しかし、聖書の言語について、この種の翻訳をするための知識があるのはフレッド・フランズだけだった。フレッド・フランズは、シンシナティ大学でギリシャ語を二年間学んでいたが、ヘブライ語は独学だった

エホバの証人が後生大事にしている「新世界訳聖書」。その翻訳に携わったチームの中で、多少なりとも原語の知識があったのは著者のおじのフレッド・フランズただ一人だった。ギリシャ語は大学で二年、ヘブライ語は独学だそうで。

この辺りは本書でさらに掘り下げられるのだろうか?フレッド・フランズが、裁判所で原語知識について問われたというのを何かで読んだ気がするので、続きに期待。

油そそがれちゃってた著者

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