「ふさわしくない」というおぞましいエホバの証人ワード
エホバの証人をやめた後はもちろん、やめる前にもエホバの証人的思考から抜け出す必要がある。エホバの証人的思考とは、かくあるべき、こうあるべきという固定観念。
エホバの証人風に言うと”ふさわしい”、”ふさわしくない”の二択。
この”ふさわしくない”という言葉ほどおぞましい言葉はない。「エホバの証人にとってふさわしくない」、この言葉で私は何度も一刀両断にされてきた。
友達と夏休みにキャンプに行きたい。友達の家で映画を見たい。少年野球を始めたい。そんな子どもの望みが、「エホバの証人にとってふさわしくない」の簡単な一言で切り捨てられる。
そう制限されているうちに、エホバの証人2世の子どもも、かくあるべきというモデルプラン、ステレオタイプに陥りやすい思考になっていく。ものみの塔による洗脳の成果。
この思考停止状態は、ものごとを深く考えなくて良いので楽。
エホバの証人をやめたあとの思考方法
“”ふさわしい”、”ふさわしくない”の二択で決めつけるエホバの証人” の続きを読む

