不安は現実ではない
昨日の記事で、宗教親が子どもに対して無償の愛を抱いていないケースがあると書いた。この場合、子どもはどうなるのか?
出元はこの本『てい少年と悪魔サタン』より。
親が条件付きの愛情で育てると、その子は
いつも不安を抱えて、自信のない子になる
そして当然そのまま不安を抱えた自信のない大人になる
誰もがある程度の不安を抱えて生きているが、それでも家に帰れば家族や親がいて、心休まる環境で逃避というか休憩ができる。そこで心のエネルギーをチャージすれば、不安に押しつぶされてしまうことはない。
一人暮らしだったら、暖かい部屋でキンキンに冷えたビールを飲んで、テレビ見て爆睡して回復。
不安なんて、そもそも現実ではない。現実を見て自分の意識が変換・投影したのが不安という感情。そんなたかだか感情に押しつぶされてしまうなんてことが異常なのだが、親の愛情が欠如して育った子どもはこうなりかねない。
不安が自信に勝ってしまう。すると
性格が歪み、裏表の激しいひねくれた人格に育つ事もあれば、親の期待に応えない気持ちと自分の本心がせめぎあい疲れ果てて、うつ病などの心の病に苦しむ事も珍しくはなかった。
最悪のケースでは、やがて自死にいたるという痛ましい結末もあった。
というエンディングに。
親が生まれてきてくれた子を、そのままに愛するという無条件の愛。この無償の愛情がどれほど重要か。これが無かった場合は不安に押し潰されて死ぬしかないのか?この本にはキッチリこの先も書いてある。
カルトな毒親を持った子どもは存在だけで立派
親の選択も交換も出来ないが
自分は変われる!
過去と他人は変えれんが、未来と自分は変えられる
ありきたりの綺麗ごとなのだが、これは真実。人は今、この瞬間に変わることができる。不安とか心配を吹っ飛ばして変わるには、行動すること。
行動は現実だが、不安は仮想。必ず、行動は不安に勝る。行動している間に別の不安が台頭してきたら、また行動。些細な行動でいい。些細な行動ができただけで十分立派。そう自分を誉めてやれば、不安も少しは薄れる。その繰り返し。そしてキンキンに冷えたビールで休憩。
結局、行動できず嫌な気分になる日もある。だったら翌日、もしくは今から行動すれば良い。その途上、自分を誉めるのを忘れないように。
親が無条件の愛を持たなくても、子はその親に対して無条件の愛を示すことができる。そうしなければ生きていけないから。
毒親に愛されたのかそうでなかったか?定かでなかったのに、子どもの頃、親に対して「無償の愛」を示した自分は素晴らしい。そう自分を誉める。自分って最高。最低な親を愛せるオレって最高。不安に押し勝って、動き始めようとしているオレって偉い。
不安が悪い現実をもたらすように、「オレって最高」という言葉は良い未来を呼ぶ。そして、ほんの少しだけ自信をもって些細な行動。そして行動した自分を誉めてあげるためのキンキンのビールを。ああ、のど乾いてきた・・・。
“カルトな毒親を持った子どもは、存在しているだけで立派” への1件の返信