JW的腐臭を放つ人間関係を整理する、腐り組織からの脱会のススメ

エホバの証人(JW)組織の本質とは

『良心の危機』、付録部分から。

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著者がエホバの証人(JW)組織を排斥された後、それに抗して書いた手紙より。

エホバの証人に求められる態度は

人の良心は「統治体が却下することができる」

統治体の言うことなら何でも「オウム返しに繰り返している」人間

がエホバの証人的な優秀基準。

統治体を崇めることが要求されるエホバの証人は

多くの教会関係者が、自分たちが「母なる」教会と呼ぶ教会の指示することをすべて鵜呑みにして受け入れていた過去何世紀もの歴史

をなぞっていると言える。

エホバの証人とは、

単に人間が造り上げた基準、つまり本当は霊感を受けておらず、神の言葉の裏付けもないのに神の基準だといわれている基準に従っている

組織。

ここまで理解すると、エホバの証人に関わることが無意味で時間の無駄、人生の汚点となることは明らか。救いの経路などではあり得ない。

ここまで理解していた著者が、エホバの証人組織からの排斥処分に対して再審を上訴していたのはなぜか?

エホバの証人的腐臭を放つ人間関係を整理する

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エホバの証人をやめた後に得られる安寧、そして特別ボーナス

真理を追い求めるエホバの証人が至るべき真理

『良心の危機』、第13章「展望」から。

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エホバの証人をやめることについて、著者は以下のように友人の言葉を紹介している。

無駄な望みをきっぱりと捨てた者には、その代償として穏やかさが与えられる

無駄な望みとは、永遠の命とか復活から始まり、エホバの証人組織の不義、教義や予言解釈の矛盾が正されること。

そんな無駄な望みは、今現在の自分自身とは一切関係ない。

宇宙の主権とか神の存在とかそんなモノは、一個人、特にカルトに騙されちゃうような幼稚な精神性の人にはどうでも良いこと。

かつて真理を追い求めた者、そして、今なお追い求めていると「思い込んで」いる者にとって、本当の真理にたどり着くことがいかに重要か。

本当の真理とは、「ものみの塔はカルトで自分は騙されていた」ということ。その真理にたどり着くと平穏が訪れる。ありとあらゆる疑問が解決する。

なんでエホバの証人って神に是認を受けているはずなのに、こんなに不幸せなのか?

答え:エホバなんて存在せず、カルト行為で世界を汚染しキリストを冒涜しているから。そりゃ家族は去り、世間から疎まれる。しまいにゃ自分自身の健康・精神まで病む。

エホバの証人(JW)の人生の展望とは、今日から生き直し

エホバの証人をやめた後のボーナス

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エホバの証人2世、カルト信者を身内に抱える苦悩とは

元エホバの証人2世にとっての真理

昨日の記事で、エホバの証人の人生は無意味であるだけでなく有害なので、エホバの証人をやめるべきだと書いた。無価値ならまだしも、世界に害悪を振りまいて一度限りの人生を終える哀れ。

どんなに高齢で後戻りが出来なくとも、例え死の床にあろうとも、エホバの証人をやめて、少なくとも悪ではない側に戻らないといけない。

ただ、これは一般論で実際に自分の親が深いマインドコントロール下のエホバの証人だとしたら。老齢で、ほぼ全人生をエホバの証人にフルベットしていたら。

今さら、エホバの証人をやめて幻滅、ショックを受けて打ちひしがれて、そのせいで体を病んだり。それを面倒くさく、疎ましく思うのも理解できないではない。

しかし、自分の親族が社会に害をもたらしている状態。それで良いのか?それを放置していいのか?

その有害物質から逃げ出すので精一杯だったという気持ちも良く分かる。私も親がエホバの証人である限りは親を捨てる覚悟だった。

これはやはりちょっと幼稚な白黒二択のエホバの証人的思考かも知れない。しかし、子供の頃からそうやってエホバの証人に育てられたので仕方ない。真理か真理じゃないか。私にとっての真理は、

エホバの証人組織とエホバの証人活動は完全悪。なので、この悪に関係する者が身近にいる場合は、愛を持ちつつも毅然とした態度を示すべきだと思う。

親を捨てる覚悟を決めるエホバの証人2世

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エホバの証人(JW)の人生の展望とは?今日から生き直し

他の人の役に立つどころか、害でしかないエホバの証人の人生

『良心の危機』、第13章「展望」から。

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いよいよ最終章なので、著者はエホバの証人の展望を予測(予言ではない)するとともに、人生の展望について下記のように書いている。

終わりに近づきつつある人生を省みて本当に何らかの満足をもたらしてくれるのはただ一つ、その人生が他の人たちのためになった度合いだということである-まずは心の最も深い部分において、それから精神的、物質的な面において。

自分の人生が他の人たちのためになった度合い。エホバの証人の場合はこれが激しくマイナス。他人に害をもたらし、社会に迷惑をかけた。

本人たちが人生を省みることなどなくとも、エホバの証人は生きながらにしてそのリターンを受けている。

家族を失い、精神を病む。エホバの証人の人間関係を維持するには、真実を曲げ続けるしかない。そんな人生に一遍たりとも満足はできないだろう。そして、復活とか永遠という妄想教義に逃避する。

エホバの証人が試されるのは、神でなく組織への忠節

踏み絵を踏むのを許されるエホバの証人、許されないエホバの証人

エホバの証人が生き直すには、幻滅のショックを受けるしかない

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良心に従い宗教を脱会するときに、立ちふさがるカルト要素

人生を妨げるカルト

何らかの態度を貫くとは

『良心の危機』、第1章「良心の代償」より。

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生涯が終わりに近づいてきた時、「少なくとも私は何らかの態度を貫き通した」と言うことのできる人の方が、何の立場も貫かなった人よりも満足感が大きい

当初、「ごもっとも」とうなづいたのだが、

かたくなにも「エホバの証人としての態度を貫き通しました」なんて人が出てくると困る。それは単なる自己満足で、ものみの塔の言いなりになっているだけ。何らかの態度を貫く美しい姿勢とは、対極。

頑迷なマインドコントロール状態を貫いて生きるのも、「何らかの態度の貫き」であろうと言われれば、それはその通り。しかし、それは残念極まりない生き方の貫き方。

その時々で柔軟にベストな対応を取るという態度だって、それを続ければ「何らかの態度を貫き」通したということにはなる。

結局はモノの見方しだい。エホバの証人には「家族に迷惑をかけない態度」を貫き通して欲しい。

『良心の危機「エホバの証人」組織中枢での葛藤』、回り道回避の一冊

エホバの証人を脱会すべきという良心

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エホバの証人2世の子ども、親に対する条件付きの愛

元エホバの証人2世の親に対する条件付きの愛情

エホバの証人の子ども、条件付きの愛

私は、エホバの証人という宗教の2世信者だった。親を捨てる覚悟でエホバの証人からの脱会を決意したのが14才の秋、大昔のできごと。

エホバの証人は、エホバの証人しか愛さない。エホバの証人の親は、子が「エホバの証人であるなら」という条件付きの愛しか持っていない。そういった内容の昨日の記事を書いて以来、考えていた。

私は、異常に熱心なエホバの証人だった両親を捨てる覚悟ができていた。そんな冷酷な私のほうが、親に対して条件付きの愛しか持っていなかったのではないかと。悲しいが仕方ない。そんな薄情者だったから、今の自分がある。

エホバの証人の親は持たなくとも、子どもは持つと言われる無償の愛、無条件の愛が、私にはなかった。私の親に対する愛は条件付き。両親が「エホバの証人でないなら」という条件付きの愛情だった。

『解毒』~エホバの証人が持たない無償の愛

人生の答え合わせはできないのなら・・・

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家族を人質にとるエホバの証人、入信時と脱会時の罠

家族を人質にとるエホバの証人

エホバの証人が増殖した理由

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』、「第十章 道」。

20世紀の日本でエホバの証人が増殖した理由。我が家もそうだったのだが、専業主婦の母親が入信。その母親が子どもを道連れにする。そして、最後に父親が陥落というのがエホバの証人増殖パターン。

最後に父親が思い切ってジャンプしてエホバの証人堕ち。ものみの塔は通常の思考回路をすっ飛ばさせる用意をしていて、それにハマるとエホバの証人道という破滅の道へ自らジャンプしてしまう。

家族まるっと入信するようゴリゴリに勧めるエホバの証人、なのに・・・

家族の悪事を見逃すな

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元エホバの証人2世(JW2世)の内的問題と外的問題

元エホバの証人の抱える問題

内なるエホバの証人問題

昨日の記事で、私はエホバの証人を20年間完全シャットアウトしていた、と書いた。完全シャットアウト時代を経て、なぜあえて反エホバの証人活動に舞い戻ったのか?

エホバの証人を完全シャットアウトし続けるのは、何かが違うと思ったから。

いったい何が違うのか?

それは自分のエホバの証人問題が根本的に解決していないということ。

内なる問題はほぼ解決。というか、元々そんなに問題は抱えていなかった。理由は、私の両親がいわゆる条件付きの愛の持ち主ではなかったから。両親はガチガチのエホバの証人だったが、私がエホバの証人をやめても親子の愛は残った。

エホバの証人はエホバの証人だけを愛するようマインドコントロールされている。エホバの証人であればという条件付きの愛。

私としては14才でエホバの証人をやめたら親子の縁切り、中卒で路頭に迷い野垂れ死にするつもりだった。エホバの証人であり続ける恐怖、屈辱に比べれば、まさに地上の楽園。

ところが、親は私を手放さず、高等教育を受けさせてくれるというモノだから、それに甘えることにした。そして、時を置いて両親もエホバの証人を離脱。

両親には酷い目に合わされたとは思うけれど、今の私の自己肯定感の高さは親に捨てられなかった、最後の最後で両親が無条件の愛を示したということに依っている。

子どもは、生死に関わるのでこの辺りの感覚は敏感。幼い私も親の愛が無条件であると無意識化では認識していたのかも知れない。それも現在の私の自己肯定感の糧となっている。しかし、その無意識化の皮算用が裏切られたとき、子どもたちが負う傷は大きい。

今でもエホバの証人だった頃の苦行を夢に見ることもあるけれど、これが生きにくさの原因になっていることはない。今のところは。

最近、エホバの証人だった過去を積極的に掘り起こしているが、それも悪影響ではなく、あのとき子どもだった自分がして欲しかったこと、できなかったこと、考えていたことなどが整理されていく、どちらかと言えば好循環。

エホバの証人と私、外なる問題

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脱・元エホバの証人・脱会予備群に対するタカ派意見

元エホバの証人に対するタカ派意見

脱エホバの証人に対するタカ派意見

エホバの証人関連のSNSなどで、「いつまでもエホバの証人を引きずってんじゃねぇ、やめたいならとっととやめやがれ」的なタカ派意見を目にすることがある。自分もかつてほとんど同じ考えだった。私がエホバの証人をやめてから20年間くらい。

私はエホバの証人をやめたあとは全力で遊び、仕事に打ち込んだ。エホバの証人的なモノは生活のすべてから完全シャットアウト。飛び込んでくる自宅への伝道者も、ドアを開けた瞬間に彼らと分かればドアを閉じた。

そうして過ごした20年。タカ派と少し違うのは、エホバの証人と口にすらしなかった点。つまり、「いつまでもエホバの証人を引きずってんじゃねぇ、やめたいならとっととやめやがれ」と思っていたけど、一切口にはしなかった。

完全なる一般人として過ごしていたので、「エホバの証人」と言ったところで誰にも通じなかっただろうし、周囲にエホバの証人関係者が皆無だった。そうなるように自身の周辺環境をデザインした。

エホバの証人という禁断のワードを持ち出したのは、エホバの証人の「残りの者」の人数をネットで調べようと検索したとき。ちなみに、このときにものみの塔による私の洗脳が解除された。

もう一度は現在の妻と付き合うとき。マジメに付き合うなら、さすがに自分の出自を明かすべきかと考え、エホバの証人2世という過去をカミングアウトした。

エホバの証人を完全シャットアウトした20年。その間、エホバの証人と発声したりキーボードに打ち込んだのは、たったのこの2回。今だと「え」の予測変換で「エホバの証人」と出てくるので、1日に100回近く打ち込んでいる気もする。現役時代にもない熱心さ。

エホバによって引き裂かれた自我、その再統合のための反エホバ

元エホバの証人2世の宗教観、妄信と暴走の果ての信念

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元エホバの証人2世の完全なる救い、エホバから自由になる方法

エホバという暗闇から自由になる方法

死んだエホバの証人の子どもは自分自身

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第九章 子」から。本書が題材としているエホバの証人児童の死、著者はその亡くなったの子どもの幻影を追いかけている。

「死んだ子供は、ひょっとしたら俺なのかも知れない」と筆者は書いている。

あの被害児童は我々そのもの。右も左も分からない幼い頃からカルトを強制されたエホバの証人の子ども。

私にも、被害者児童同様に輸血拒否で殺されていた可能性が充分にある。その死地から偶然サバイバルした者の責務として、このブログを書き続けている。

物理的に死んだかどうかはさておき(尋常でなく大きな問題ではあるが)、エホバの証人の子どもとして傷を負ったという事実は誰もが共通。それぞれが抱える傷の深さが違うだけ。

死んでしまったか、生きているかの違い。あまりにも大きな差ではあるが、生きていても、深い傷に身動きがとれなかったり、数十年もの間、見える景色が灰色のままだったり。死に体同然だったり。

やはり、あの被害者の子どもはオレたちなんだ。

エホバの証人のマインドコントロール大会の狂気に流す涙

カルト宗教の2世信者が救われる方法~映画『星の子』より

エホバの証人のまま暗闇を彷徨うもう一人の自分

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