エホバの証人を許せない理由
ちと最近忙しくて、うっかりするとエホバの証人のことなんかコロッと忘れて1日を送っていることがある。このブログは毎日更新が(自分に課した)ルールなのだが、こんな日には書くことがない。
数年前、忙しさにかまけて毎日更新が滞り、そのままブログ仮死状態になった。今回はそんなことがないよう何とか絞り出してでも書くしかない。継続こそが読者様、自分自身、八百万の神々に向けての熱量の証し。
その熱こそ「ものみの塔を崩壊させる」という私の悲願。
私がエホバの証人のことをスカッと忘れてしまえるのは、現状このカルトの被害を一切被っていないから。周囲に目障りなエホバの証人は皆無だし、生活も何とか安定している。
生活は一時、非常に不安定だったのだが、それをエホバの証人という出自のせいにするのは無理があるほど私が好き勝手に生きていたから。それはそれで満足だったし後悔もない。自己責任とわきまえているが、違う人生があればあんな自暴自棄生活はしたくない。
現在の自身と自身の家族の安寧を考えるなら、小汚いカルトのことなどきれいさっぱり忘れて生きていくのが身のため。そして、健全かつ安全。
とはいえ、それだと悔しすぎる。
エホバの証人のせいで失った両親との家族関係、完膚なきまでに損なわれた両親の人生。私自身の人生にもエホバの証人二世として14年間もの時を過ごしたという汚点を残された。
ゆえに私は何が何でもエホバの証人を許せない。そして、エホバの証人やものみの塔が大っ嫌い。完全に私怨ではあるが、見逃すわけにはいかない。
エホバの証人脱会者が口を閉ざす理由
脱会後の私は、エホバの証人とは全く関係なくほとんどの期間を生きてきた。エホバの証人二世である過去を隠し、「エホバの証人?何それ?知りませんよ」顔で通してきた。
今でも、身内、親類、友人、知り合いにエホバの証人は一人もいない。カルトと関係なく生きていくにはもってこいの環境。
しかし、だからと言ってエホバの証人というカルトは、忘れて良い類のものではない。忘れてしまいたいものではあるが。
例えば、私の両親などは完璧に忘れたふりをして日々を過ごしている。大きな傷を隠すようにして生きている。
なぜか?思い出すと古傷をギラッと光るナイフでえぐられるかのように辛いから。そして恥だから。
カルトに騙されて、人生を棒に振り、家族を崩壊させ、一人息子に愛想をつかされた。そんな自らの恥や愚かさを世間に喧伝して周りたい奴は、現役エホバの証人以外には存在しない。
だから、エホバの証人脱会者はみんな黙ってしまう。口を閉ざしてしまう。それ以上辛い思いをしたくない。その気持ちは私にも分かる。
明日に続きます。
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