エホバの証人2世というペナルティを和らげるために
エホバの証人2世が気持ち悪いと思われるのは致し方ない。それが宗教2世生まれの問題の重み。これが昨日の記事。今日は、エホバの証人2世生まれという重いペナルティを少しでも軽くするために少年の私が気を付けていたこと。
エホバの証人をやっているのは自分の意思ではないということを、周囲に気付いてもらえるよう暗に振舞う。やりたくてこんな変な宗教をやっているのではないと周囲に印象付けるように努力した。
私はエホバの証人の洗脳下にあったので、出来れば神の是認を得たいとは思っていた。エホバの証人の両親とともにハルマゲドンを生き延びて楽園に入りたいと願っていた。そして永遠の命を得るのが正しい選択だと思っていた。それ以外の選択肢を親から示されなかったから。これは小学校5年生くらいまでの話。
それ以降は、今この瞬間に誰かに気持ち悪いと思われていることが嫌だった。
今、この瞬間を好きに生きられないのは、私自身からから見ても気持ち悪い。今の不遇と引き換えに将来の永遠なんて要らないと考え始めた。そもそもエホバの証人である限り、将来も永続的に自由な生き方はできない。それでは永遠に気持ち悪いままの自分。
そう考え始めたときに、エホバの証人をやりたくてやっているわけではないという暗黙の自己主張を始めた。正々堂々と主張して両親にバレると待っているのは体罰。ここは加減が大事だった。
脳内お花畑の現役エホバの証人よ、終わりが近い根拠を教えてくれ
エホバの証人2世の綱渡り生活
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