2世問題、素振り100回しなくても、ハルマゲドンで滅ぼされない

2世問題の性質の違い

『宗教2世』より。この本のタイトルが「カルト宗教2世」や「2世問題」でない理由が冒頭部分で説明されている。その理由は、問題のどこをスコープとしているかによる。

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「カルト宗教は問題だが、伝統宗教には問題がない」といった語りは、既存宗教が持つ教義や規範によって葛藤した信者の苦悩を見落としてしまうことにもなる

とあり、本書では既成宗教による被害者にも目を向けるらしく。その場合は厳密には2世ではないケースが多そうだが。ここは守備範囲広め。

「2世問題」という言葉ではどうか。確かにこのフレーズは、より幅広い当事者を含めるものである。より包括的な議論を行うことが可能

としつつも

幅広さゆえに、「宗教」にまつわる特徴的な体験に絞った分析は厳しくなる

として、範囲を狭めている。

宗教2世を問題視していると出てくるのが、芸能2世、スポーツ2世の話。政治家2世でも良い。こっちの2世問題も問題じゃないですか?という提起。

ここは根本が違うと私は思っていて、本人のためになるか、ならないか、悪事であるかないか。で全く異なるジャンルの問題。宗教問題から目を逸らそうとして槍玉に挙げられているだけ。

スポーツとか芸能は、大概はその道のプロにはなれない。とはいえ、周辺産業で喰っていくとか、その方面に向けた努力を経験や糧として、別の分野に活かすとか、潰しが効く。

宗教2世はそうはいかない。既成宗教の場合は、聖職者になる道が無きにしも非ず。実家のお寺を継ぎましたというパターン。新宗教の場合、ほとんどが世俗のままなので、宗教に費やした努力なんて何の役にも立たない。

「小学校から大学まで野球やってました!」なんてのは、結構高評価される。チームプレイができる、根気がある、体力がある。健康である。一定のプラス評価にはなる。

反対に、「物心つく頃から成人するまでエホバの証人やってました!」なんてのは同情か恐怖、軽蔑、奇異の視線以外は何も得られない。

スポーツ・芸能は何らかの役に立つ、宗教はほとんどの場合、カルトの場合だと100%将来の役に立たないマイナスでしかない。両者は、親による強要でも全く性質の違う問題。

しかもカルト宗教の場合は脅されている。活動しないとハルマゲドンで死にますよと。野球少年は素振り100回しなくても、ハルマゲドンで滅ぼされないでしょ。

カルト宗教は、ハルマゲドンといった恐怖で人々を惑わしている。カルト宗教2世たちは、その悪事に加担させられることにもなる。本人の努力が悪に転化することのない芸能・スポーツ問題とはさらに質が違う。

政治家2世問題については、新宗教を国外から輸入、代々癒着しつつ被害者を生みつつズブズブ関係を続ける巨悪。別途糾弾されるべきだろうが。

カルト宗教2世問題と芸能・スポーツ2世問題の違いとは・・・

 


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