宗教で孤独は癒えない
『宗教2世』、Session3-3『2世たちの、その後』より。脱会当時者の声。
専業主婦だった母親も、信仰によって孤独から救われていた点があった。しかしながら、孤独になったときの救い手が宗教しかないという環境は、どうにかしないといけない
そもそも、宗教は孤独を救わない。宗教世界に浸ると自分を見つめることになるため、孤独を促進する向きの方が強いのではないだろうか。孤独を求め、孤独に打ち勝つモノ。
孤独を埋めたいのなら、趣味サークルにでも入れば良くて、宗教にそれを求めるから人生のバランスを崩す。
「私と神」の間に、仲間の信者とか、組織とかが入ってくる。集団になれば同調圧力が発生し、人間が付け加えた戒律も介在してくる。
そして、寄付金や時間のノルマ、集会などの儀式への参加の要求。宗教により、忙しくしているうちに、自分を見失う。
孤独は忘れ去られただけで、根本的な解決にはなっていない。
仲間の信者ができたところで、それは宗教つながりの仲間。宗教をやめたら決裂する関係が、本来の孤独を癒すことにはならない。
趣味サークルだったら、サークルをやめても気が合う友達となら、そのまま友人でいられる。宗教の場合は、どうしてもやめたら裏切り者という雰囲気が生じる。
宗教というのは、それくらい重いモノ。孤独を埋めるために安易に始めるモノではない。
宗教問題の報道
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